盾として

 蝋引きの亜麻布が風に揺れて、差し込む光は朝の兆しだった。

 サヨナキドリも鳴かない静かな夜は、じきに明けようとしていた。


「殿下、お休みされてはいかがですか」


 椅子に腰かけたままうとうとするニーニャに、パールが声をかけた。


「……や、それは、あるいは」


 半眼をあらぬ方向に向けながら、ニーニャは茫洋と応じる。パールは苦笑した。


「しかし、お口元が」

「あう」


 ニーニャはあごに手をやり、恥じ入ってちぢこまった。めちゃくちゃよだれが垂れていたのだ。


「相手は心身を操る蕃神でふっずっ」


 よだれをすすったニーニャは、できる限り尊大に見えるよう、背を反らし、机上で指を組んだ。


「いつ、従者化した人々が襲ってくるか分かりません。寝ていられるわけがないでしょう」

「なによりのお心がけです」

「え? 今の皮肉ですか? パール、皮肉言うんですね」


 パールは降参とばかりに両手を挙げた。


「ここ最近の殿下は、実に〝飾られない〟性質たちをお出しですね」


 挙げた両手の人差し指と中指を、パールは鉤のように曲げてみせる。


「ええ? なんですか。なんか今、かっこでくくりましたよね? わたしはずっとわたしです」

「近頃はサー・ノブローのお茶会にも、従容と臨まれているようですが」

「んっ……ぐうう……痛っ!」


 組んだ指の爪を思わず立てて、肉に食い込む痛みが走り、ニーニャは八つ当たりっぽく叫んだ。


「パールのせいで!」

「そうですね。失礼いたしました、〝殿下〟」

「またかっこでくくった! 大事なとこを!」


 じゃれ合いめいた怒りも生真面目さも長続きせず、ふたりは、声をあげて笑った。


「意外だな。パール、冗談を言うんですね」

「あなたがニーニャ・ブラドーをやるのであれば、私もパール・バーレイをやるだけですよ。私とあなたに、さほど年の差もないでしょう」


 ニーニャはパールを頭からつま先まで見て、椅子から降り、横に並んだ。


「どうされました?」


 背伸びしたりぴょんぴょん跳ねたりしはじめたニーニャに、パールは訊ねた。


「身長……」

「伸びますよ」

「どうでしょう。わたし、ドワーフの血が入ってますから」

「伸びますとも」


 パールはにっこりした。ニーニャはむすっとしてから、


「それじゃあ、パールイ・バーレイ」


 ちょっといじわるな笑みを浮かべて、こう訊ねた。


「わたしが、あなたの君主であれば?」

「御心のままにいたしましょう。死ねと命じられれば、今、この場で」


 疑義を挟む余地のない即答だった。


「……ごめんなさい」

「なぜ謝るのですか? 殿下が救ってくださらなければ、私は自由地域の債務監獄で慰みものになっていたのですよ」 


 パールはニーニャの頭をぽんと撫で、扉に歩み寄った。


「どうかお忘れなく。友として寄り添うよりは、盾として使い棄てられたい。それが、我が真なる望みです」


 剣の柄に、パールは手を添える。


「何者だ。殿下の御寝に、なにゆえくだらん邪魔をしに来た」

「お、おれです。ペーター・パーレットです」


 扉の向こうから、くぐもった声が返ってきた。ニーニャとパールは目を合わせた。


「いかなるご用件ですか、サー・ペーター」

「そ、そのう、なにやら、みんなの様子が変で」


 パールは手で、ニーニャに退がるよう示した。ニーニャは頷き、部屋の中央まで後退した。


「腕だの首だのに見たことねえようなあざができて、寝起きみてえにぼうっとしてるんです」

「病疫に罹患したと?」

「かもしれません。そんだから、いらっしゃった殿下には申し訳ねえですが、うつっちまう前にお帰りいただくべきかと……うわあ! なに、なに、を!」


 突如悲鳴が上がり、なにか重たい物が扉に叩きつけられる音がした。


「どうされた、ペーター・パーレット!」

「たすっけて! なんでだ、ラウラ、なんだっておれを!? 放せ、ちくしょう!」


 パールは振り返り、判断を仰ぐようにニーニャを見た。


「きーちゃん!」


 ニーニャの声に応じ、夜鷹が鋭く鳴いた。女のものらしい甲高い悲鳴が上がった。


「パール、開けて! 早く!」

「し、しかし!」

「襲われているんですよ、ペーター・パーレットは!」


 パールはそれ以上迷わず、ノブに手をかけた。開いた扉から、ペーターが転がり込んできた。


「殿下はそのままで!」


 駆け寄ろうとしたニーニャを怒鳴りつけ、ペーターの首根っこを掴んで部屋に引きずり込む。


「パール!」


 片目を覆ってきーちゃんと視界を共有したニーニャが叫ぶ。パールはとっさに盾を拾い上げ、扉に向けた。弾丸のように放たれた何かが、盾にぶち当たった。


「あがっ!?」


 盾をその場に、パールは壁まで吹っ飛ばされた。


「なにが……」


 落ちた盾には、円錐の形を持つ、奇妙なものが突き刺さっていた。


 鋼鉄の体を持った蛭とでも呼べるようなものだった。尻尾をびゅるびゅると動かし、盾に深く食い込もうとしていた。


 パールとニーニャは、逆立つ後れ毛に身を震わせた。この感覚に、覚えがあった。


 その物体の、つかみどころのなさ、出自の分からなさが、一種の麻痺に陥らせていた。

 水面を覗いてその深さを想像してしまったときのような、深い穴に落ち続ける夢を見ているような、立っていられなくなるほどの無力感があった。


 モッタ村のときと、同じ感覚だった。


「ひいいいい!?」


 ペーターの悲鳴が、二人を現実に引き戻した。盾に刺さっていた蛭が飛び跳ね、ペーターの首筋に食らいついたのだ。


 パールは抜剣しながら飛び出し、鋼の蛭に剣を食い込ませると、肘をテコに跳ね上げた。ペーターの肉をいくらか引きちぎりながら、蛭は宙を舞った。


「このっ……」


 落ちていた盾を踏みつけ、跳ねたところを掴むと、


「シールドボレー!」


 蛭めがけ、スキルを込めて投擲とうてきした。


 魔力の白熱光を帯びて水平に飛んだ盾が、蛭を扉の外まではじき出すと、反動でパールの手元に戻ってきた。

 盾裏のベルトに腕を通し、グリップを握り、パールは、ペーターめがけ駆け出したニーニャの進路を盾でふさいだ。


 倒れて動かないペーターの、抉られた傷の周辺が、青黒く変色していった。不定形に広がった痣に、蜘蛛の巣状の赤い筋が浮き上がった。


「ペーターさん……?」

「う、なに、が」


 ペーターは傷をさすりながらふらふらと立ち上がり、周囲を見回した。


「そう、夢の、棘を……窓に、窓に」


 足が一本の棒でもあるかのような奇妙な歩き方で、ペーターが、ニーニャとパールに迫る。


「そこで止まれ、ペーター・パーレット!」

 

 剣の切っ先を向けて威嚇するが、ペーターは止まらない。パールは剣を振りかぶった。


「もふ吉!」


 蒙古山猫マヌルネコの召喚獣が、床から飛び出す。


「オアアアア」


 もふ吉は威嚇の唸り声をあげると、空気でも吹き込まれたようにぶわっと膨らんだ。


「あがっ!?」

「わひゃ!」


 もふ吉の急激な膨張が、パールとニーニャをまとめてぶっ飛ばした。ペーターは委細構わずまっすぐ突き進んでいった。


 風が強く吹き込んで、窓の亜麻布が持ち上がった。曙光が差し込み、ペーターの、伸ばした指を撫でた。


 光を浴びた指先に、圧縮された炎のような球体が生じた。それは、圧力から解き放たれたように膨らみ――



 閃光と爆轟が、部屋に満ちた。

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