103.シスターセシリア

 ◆とある人の前世◆



 私が目を覚ますと、そこは見覚えのない天井でした。


 真っ白い天井を眺めていると、白い服を着た男女の数人が来ました。


「こんにちは、私の声が聞こえますか?」


 一番前に立っている白い服の男性がそう尋ねて来ました。


「はい、聞こえます」


「それは良かった、もう大丈夫なようですね」


「えっと……ここは? 私はどうして……?」


「覚えていないのも無理ありません、貴方は河川橋・・・から落ちて、そのまま溺れてからこの病院へ運ばれましたから」


「えっと……河川橋から落ちて……溺れて……」


「はい、後少し遅れたら無事では済まなかったでしょう。しかも元々衰弱していたようですから、本当に無事で何よりです」


 私は何も覚えていませんでした。


「それでは、お名前を教えて頂いても?」


 男性からそう言われましたが……そこで私は更に知る事になりました。







「私、自分が誰なのか、名前も思い出せません……私は一体……」


 ――何も、本当に何一つ・・覚えていない事を……。




 ◇




 それから私は記憶喪失という病名とのことで、行く当ても無かったので、教会でお世話になる事になりました。


 名前も知らないので、教会からシスター・セシリアという名を頂きました。


 それから数年間、自分が誰なのか思い出す事も出来ずに教会で過ごしていました。


 私に記憶はありませんが、どうやら料理が好きなようでした。


 料理をするととても楽しい気分になりましたから、教会では食事係となりました。


 私が作る料理はどれも一級品だと皆さん褒めてくださいました。



 それから率先してボランティアにも沢山参加しました。


 何故かは分かりませんが、特に子供のボランティアはとても良い気分で勤しむ事が出来ました。


 しかし、何故かは分かりませんが、兄妹を見ていると、とても悲しい気持ちになりました。


 なんだか……絶対に忘れてはならないモノを忘れているような、心に大きな穴が空いているような、そんな感じがしました。




 ◇




 私がシスター・セシリアになってからどれくらい経ったのでしょうか。


 そろそろ十年くらいになります。


 この十年間何も思い出す事はありませんでした。



 そして、ある日、教会のミサが終わり、シスター達と食事をしているときでした。


 私達はテレビでニュースを見ていました。


「それでは、緊急のニュースをお伝えします、○○市の住宅で火災が起こりました」


 テレビではアナウンサーさんが今日も一生懸命に事件等を伝えてくれていました。


 しかし、○○市って私が現在住んでる町の隣町ですね。


 周りも隣市だとざわついていました。


「この住宅火災は、家の持ち主の赤羽真央アカバネマオ容疑者による放火と見られています。現在警察より事情聴取を行っております」


 その言葉を聞いた私は、何故か分からない不安が押し寄せて来ました。そしてニュースに釘付けになりました。


「現在、火災の跡から二人の死体が見つかっており、現在連絡が付かない容疑者の息子の黒斗くん(15才)、娘の理沙さん(14才)と見られております」


 そのニュースから子供達の名前を聞いたとき、私はかつてないほどに動揺しました。


 何故でしょう……忘れてはならないモノがあったはずなのに覚えていない。


 この子達の名前を聞くと何故こんなに悲しい気持ちになるのか。


 そこから涙が止まることなく流れました。


 他のシスターさん達が驚き私を抱きしめてくださいましたが、止まる事はありませんでした。


「あの場所に……あそこに行かなきゃいけないんです。どうかあそこに私を連れて行ってください! お願いします!」


 そう必死に叫んだのを覚えています。


 それから焼け跡に着くまでは何も覚えていませんでした。


 そして焼け跡に着いた私は……。






「クロト!! リサ!! ごめんなさい……私が……私が貴方たちの事を忘れてしまったばかりに……こんな……こんな酷い母親でごめんなさい……」


 焼け跡を見た時、全てを思い出しました。


 自分が何者・・なのか…何故兄妹を見かける度に悲しい気持ちになっていたのか。





 夫の暴力が始まって、私と子供達は必死に耐えるしかありませんでした。


 まだ日本では男性至上主義であり、離婚等を良しとしないような社会でした。


 私が何度も実家に離婚を相談しても、「家の恥だ! 出ていけ!」とばかりお父さんに言われました。


 だから、私はひたすら耐える事を選びました。


 夫の暴力もどんどんエスカレートしていき、子供達を守るため私が身体を張っていましたが少しずつ少しずつ頭を殴られ気づけば大きな怪我をしていました。


 長年殴られながら夜遅くまで働き……私は満身創痍でした。


 そしてその日は……奇しくも長男のクロトの誕生日でした。


 クロトの大好きだったプリンをたくさん買って祝ってあげようとした帰りの矢先、私は長年の満身創痍な身体により、河川橋から落ちてしまったのです。


 それから十年間、私は最愛の子供達を忘れてしまっていました。


 こんな最低な母を子供達は許してくれるでしょうか? いえ、私は本当に駄目な母親です。



 それからこの事件で子供達に火事では付かないような無数の怪我がある事が分かり、夫が酒に溺れ家に火を付けた事が分かりました。


 そして、夫は死刑となりました。


 この事件をきっかけに日本では家庭内暴力に対して物凄いバッシングが起きました。


 次々法律は改正になり、暴力は悪だという風潮が生まれました。


 学校でも暴力に合っている子供を見かけたら直ちに保護するようにまでなりました。



 でももう遅いんです。


 私の子供達はあれから十年間、夫の暴力に曝され、ご飯もまともに食えなかったでしょう、そして最後は焼け死んでしまいました……。


 私は最低な母親です。


 あれから私はシスター・セシリアとして、生涯を掛けボランティアを続けました。




 そんな私は八十五歳という年齢になるまで生き永らえました。


 死んで行った子供達の分も少しでも生きると決めていたからです。


 私のボランティア活動も国内外で有名となり、いつの間にか私の事を日本の聖女と呼んでくれるようになりました。


 そして教会で一番偉いお方から、直々に正式的な『聖女』の称号も頂けました。


 ですが、私が『聖女』だなんて、そんな大それた称号は勿体ないのです。


 だって……私は自分の子供を見殺しにしてしまいましたから……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る