第87話 空席の玉座

「ねえ、ラピス。きみはセリカブルカに連れられて深淵からまっすぐにここに来たのかい? それともどこかに寄り道とかはした?」


「怪我のせいでぼんやりしていたのではっきりとは覚えていないが……そういうことはなかったと思うのじゃ」


「それじゃあきみは今、自分たちの住処がどうなっているかは把握しているかい?」


「まったく把握しておらんの。余は一番に山を飛び出し、父王の死についても白の龍王に聞かされて知ったくらいじゃ。今年の狩りは失敗したのじゃろ?」


 アクシス襲撃について言えばそうではあるが、多くの上位種の龍たちは散り散りに姿を消したので、恐らくは別の場所で狩りをしているか、巣に戻ったとは思うので、龍たちにとって成功か失敗かというのは判断はつかないけれど。


「はっきり言ってしまえば俺はラピスの親の仇のようなものだ。だからラピスが嫌であれば答えなくても良いんだけど……今、ニーズヘッグの住処で何が起こっているか。想像でもいい、わかることがあれば教えてくれないか?」


「初めにも言うたであろう。余は主様に救われた身じゃ。それにあの群れでの生活自体好いておらん。話すことに躊躇いなどはないが……恐らくは余と同じ血を引く龍たちが群れの王の座を巡って争っているか、他の山の王が縄張りを狙ってきているかもしれんの」


 ……やっぱりそうか。

 群れの主を倒したことでアクシスを襲撃した龍の侵攻は止まったけれど、それは一時的なものに過ぎない。


 人間も動物も魔物も龍も、群れの王が死ねばその玉座を狙う争いが起き、新たな王が生まれるだけだ。


 北方山脈には幾つもの山が聳える。

 ニーズヘッグのような龍王種が一体しかいないなんて甘い考えだということか。


「ラピス。きみは……きみは俺たちのことを恩人だと言ってくれている。けれど、それ以外の人間についてはどう思う?」


「興味ないの。余が興味を持つのは強い者だけじゃ。主様らの前で言うのもなんじゃが……人間は小さく弱すぎる。余が深淵の母の前でそうであったように、人間もまた余の前では小さく弱き存在でしかない……ああ、しかしそうか。主様は我が父を倒す程の力を持っているんじゃったな。恩人でなければ一度し合うてみたかったものじゃ」


 それはちょっと遠慮したいところだ。

 ほんの少し前にセリカブルカに絶対防御アブソリュート・シールドを破られたばかりだと言うのに龍の相手なんてしたくない。


 というか、そういうことは関係なく……いくら体の一部に鱗があろうと、頭に角が生えていようと、こんな少女と戦う気持ちになんてなれやしない。


「はぁ……春までは積極的に仕事をするつもりはなかったんだけどなぁ」


 机の上に置かれたまま、とうに冷めたお茶を流し込んで喉を潤す。


「ノル! 馬を出せるように準備しておいてくれ! ミミとフィー、それからクーニアにはラピスのを頼むよ。いけるかい?」


「はい!」


 別の机でルビィと一緒に勉強をしていたノルが元気良く返事をして立ち上がる。


「問題ないわ。このコは大丈夫よ」


「今の話でなんとなく想像は着いたが……首を突っ込むつもりなのか?」


「なんにゃ? なんなのにゃ? ミミにはよくわからないのにゃ? お風呂の使い方を教えればいいのかにゃ?」


 俺と一緒にラピスの話を聞いていた三人――ミミはよくわかっていない様子だが――は状況を察して答えてくれる。


「首を突っ込むつもりはない……と言いたいところだけどね」


 少ない言葉でも気持ちを汲んでくれる二人には感謝しかないし、どんな状況でも変わらないミミには安心する。


「アイシャ、お湯を水筒に詰めておいてくれ。俺は上着を取ってくる」


「承知しました。ご主人様。ルビィ、少しだけいい子で待っていられるわね?」


「はーい! りんごさんを数えて待ってるね!」


 部屋に戻り上着と剣を身に着けて階段を降る。

 魔道具を使ってお湯を沸かしたのであろう、既に水筒の準備を済ませたアイシャが待っていたのでそれを受け取り玄関を出る。


「セレストさん! 鞍は付けてあります!」


「随分手慣れたものだな。もう少し雪が積もったら冬の乗馬の仕方を教えよう」


「……やった! ありがとうございます!」


「俺はギルドに行ってくる。俺の留守の間にすることはわかっているか?」


「何かが襲ってきても、戦闘は姉さんたちに任せる。俺はアイシャとルビィを守る、です!」


 ぱらぱらと降る雪と冷たい風に指先と頬を真っ赤にさせながら首肯するノルの頭をがしがしと少し乱暴に撫でてやる。


「お前は本当に恰好いい男だよ」


 どこかの赤髪のこどもに見せてやりたいものだ。


「よし、寒い中済まないが少し頑張ってくれよ、相棒」


 鐙に軽く力を込めて馬を煽る。

 目的地は冒険者ギルド新大陸支部。


 偶然か必然か、龍の悪戯か。

 手元に転がってきた北方山脈を安定させるための『鍵』の情報を届けなければならない。


 この『鍵』が果たしてアクシスにとって、人間にとって、俺にとってどんな未来へ続く扉を開くことになるのかを、確かめるために。

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