第83話=第0話 プロローグ

 ◆


 僕は生まれてからこれまでで、どれだけの時間を正直に生きてきただろうか。


 最後に正直に笑ったのは?

 最後に正直に泣いたのは?


 それはもう、自分でも思い出せない程幼い赤子の頃だけなのだと思う。


 僕の記憶の中で最も古いものは朧気で、赤い髪をした同じ姿をした弟とともに、金色の髪をした母に抱かれ、赤い髪をした父がそれを眺めている――そんな風景だ。


「カシム」


 僕のことをそう呼びながら頭を撫でる母さんの優しい手つき。

 僕の名はカシムなのだということを頭が理解した。

 母さんの胸に抱かれるのはあたたかくて、手のひらは優しいのだと感情がそれを理解した。


 それが、僕にとっての嘘まみれの人生のはじまりだ。



 ◆



 父さんと母さん、そして使用人たちの会話の中で、僕は生まれて1年も経たない赤子だということがわかった。


 どうしてみんなの話す言葉がわかるのかはわからないけれど。


 理解はしていても言葉を口に出せる程成長していない体は大人たちの話を聞くばかりで、答えを返すことはできずにいた。


 多分、それはみんなにとって幸せなことなのだと思う。


 僕が大人たちの会話を理解していたとみんなが知っていたら、はしなかったであろうし、いつも僕の周りをうろちょろしているジェドという名の弟が棄てられてしまうことは決まっていただろうから。


 ゼノファリア王国の貴族の間では「双子」というのは忌み嫌われている。

 理由としては、本来ひとりの人間に宿るべき能力がふたりに別れてしまったり、妙に偏ってしまったりして普通の子より劣ると考えられているからだ。


 僕が「有能」であると知れれば弟は「無能」として処分されてしまうかもしれない。


 僕はソファの端を掴んで床の上に立ち、未だに立ち上がることができずに床を這いながら後を付いて来る弟の姿を見た。


 それはなんだか悲しくて、恐ろしいことだと思った。



 ◆



 どうやら、僕と違い、弟は大人の言葉がわかっていないらしい。

 大人たちが深刻な話をしていても、弟は気まぐれに笑ったり泣いたりと忙しくてしている。


 母さんが本を読んでくれるときも、僕は母さんよりも先に本に記された文字を読んでいたけれど、弟は母さんの声を聞きながら嬉しそうにしていた。


 このままでは、良くない。



 ◆



 僕とジェドが5才のとき、妹が生まれた。

 ミリアという母さんと同じ金髪をしていて、夜泣きが多い騒がしい赤ん坊だった。


 僕とジェドは既に貴族として教師をつけられて勉強と剣を学び始めていた。


 僕はこの頃には家にある本を隠れて全て読み終えていたので、教師の話はあまり楽しくはなかった。

 領地の外の話は少しだけ面白かったけれど、それくらいだ。


 思えば、この頃には僕はもう……どこか遠くへ行くことを決めていたのかもしれない。



 ◆



 妹がある程度会話ができるくらい喋るようになった。

 僕とジェドは7才になっていた。


 この頃には、僕は秘密で行っていた魔法の訓練で防御魔法をある程度コントロールできるようになっていた。


 将来に備えて目立たない魔法を習得するためにこの魔法を選んだと僕は僕に思い込ませていた。


 本当は、さいしょに正体のわからない恐怖心を抱いたときのまま弱気な僕が、自分を守るためにその魔法を習得することを選んだんだ。



 ◆



 8才。

 父さんや母さんと社交の場に出ることが増えてきた。


 僕とジェドは家の外ではひとりの存在でなければならない。


 僕は家の外ではジェドリオン=カシム・ファビュラスだ。


 人前に出るようになり、僕の焦燥感は増していった。

 僕とジェドの外見は確かに変わらない。


 けれど、ジェドはまだ僕を超えていない。


「僕はそんな未来をする」


 その呟きは、賑やかな社交場の騒めきにかき消える。



 ◆



「うっ……おえぇっ」


「兄さんっ! 大丈夫!?」


「大丈夫だ。心配ないよ。ごほっごほっ……」


 10才。

 ジェドと同じ暮らしをしていては僕とジェドの差は埋まらない。

 魔法の力や知識を隠すことはできても肉体は隠せない。


 同じものを食べ、同じ訓練をし、同じことを学ぶだけではダメだ。


 傍目から、僕とジェドに明確な違いがあるのだと理解って貰えなければならない。


 バレないように弟の攻撃を貰って胃の中身を吐くのにも慣れたものだ。


 吐いて、負けて、床に転がり天を仰ぐ。

 何もかも拒絶して弟にも、家族にも、使用人にも嘘をついているくせに「受け入れろ」だの「誇り」だのを語るのにうんざりする。


 自由になりたい。

 嘘を重ね過ぎた僕はもう、家族のことが大切だという気持ちさえ本当かわからない。


 遠く、二度と会えない程に離れてしまえば……僕は心から家族のことを大切だと思えるようになるだろうか。



 ◆



 12才。

 家族に見送られて家を出た。


 寒い冬が終わり、誕生月を迎えてすぐのことだ。

 弟は立派に僕よりも大きな体に成長し、妹も元気で明るく育った。


 父さんも、母さんも変わらず僕を愛してくれている。


 もうすっかり使い方が体に沁み込んだ絶対防御アブソリュート・シールドを展開して僕はひとり、徒歩でグランバリエを南へ下る。


 ファビュラス侯爵領を抜けるまでは透明化インビジブルを展開し、夜は森や林の中に入って魔物の気配を感じながら眠った。


 ゼノファリア王国領を抜け、透明化を解除して外套を深く被り、街道を歩く。


 旅のはじまりの頃は、時折、思い出したかのように雪混じりの雨が降ることもあった。


 春が来て強い風が吹き荒ぶ日もあった。


 国外への渡航は全て身を隠しての密入国だ。

 国外に出たからと行って大手を振るって街の中を歩ける訳でもない。


 この赤髪は人目につく。


 怪しい商いをしている人間を捕まえて理不尽な手数料を取られながらゼノファリア金貨を他国の硬貨へと替えて母国との繋がりを少しずつ断っていく。


 やがて深く被った外套が暑苦しく感じる程に南へとやって来た。


 ゼノファリアを発って2ヶ月が経つ。


 もう、財布の中身も外套も、身も心も擦り減った。


「どの船もとんでもない値段だ」


 俺はその港町で途方に暮れていた。


「はぁ……魔物でも狩って金を稼ぐか? しかし大陸を出る前にあまり目立ちたくはないんだけどなぁ」


 天を仰げば自然とため息が漏れる。


 どこまでも続く空の青と大海原の境界を白いカモメが飛んでいく。


「あら、お兄さん! 魔物を狩りたいんですか!? しかも新大陸に行きたそうですね!」


 突然目の前に現れたレイナと名乗る女性はぺらぺらとうさんくさいことを並べ立てる。


 正直、全く信用に値するものではないのだけれど……。


 何もかも拒絶してきた人生にはもう疲れ果てていた俺は、その話を飲むことにした。


「行くよ」


 騙されたのだとしても魔法の力があればなんとでもなる。


 それが、嘘にまみれた僕が心から笑ったり泣いたりする人生のはじまりだった。



 ◇


 そんな話を、俺はゼノファリア王国やファビュラス侯爵家の名を出さず、多少のごまかしはしたものの、嘘を交えずに語る。


「――という訳で、俺は本当は貴族の生まれだ。先に話した通り、この話は決して他の人に知られてはいけないことだから……どこの国の生まれかまでは口にできない。これはみんなを信用していないからじゃないよ。その秘密を守ることだけが俺にとっての家族との繋がりで……唯一、いまでも残っている貴族の子としてのちっぽけな誇りなんだ」


 これが俺の生まれと魔法を身に着けた理由である。

 正直、俺自身でさえなぜこんなに早く大人の言葉を理解したり、文字を読めたりしたのかはわからないし、魔力が多いことも心当たりがない。


「たいした情報じゃないかもしれないけどさ、一応人間だと思うよ」


 俺は俺の知っていることを、語れることを正直に家族へと伝えた。


 まあ、最終的に「俺は人間だよ」なんてあまりにもいい加減な話だなぁ、と自分でも苦笑してしまうのだけれど。

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