第82話 セレストは変

 乾燥させたリードを手編みして造られた籠と机の上に並べられたりんごの実。


「いち、にぃ、さん……」


 めいっぱいに背伸びをしたルビィが一生懸命に、机に並んだりんごを数えながら籠に移す。


 これは別にアイシャの仕事を手伝っている訳ではなく、数字を数えるというその行為と、籠の中にどれだけのりんごが入るのかを体感で学ばせるためのものだ。


 貴族や、裕福な商人や職人とは違う一般的な市民は数字というものにあまり馴染みがない。

 さらに、市場に並ぶ野菜や果実は季節や収穫量によってその時の相場というのは頻繁に変わってしまう。


 そういった細かい数字の動きがある以上、りんごはひとついくらといった考え方よりも、見た目の大きさや量、ある程度決まった大きさの器に収まる量を目安に買い物をするらしい。


 らしい、というのは俺もアイシャから聞いた話であって完全に理解しているからではない。


 俺は幼い頃から算術を習っていたので、そういった考え方が逆にうまく理解できないのだ。



 ――さて、そんな風に俺が健気なルビィの姿を眺めて現実逃避しているのには理由がある。


「やっぱりミミが思ってた通りだったのにゃ」


「最初に出逢った頃から私も思っていたのだ」


「間違いないわね。直接魔力が繋がっているワタシはそれを一番実感できているわ」


 ミミ、フィー、クーニアと俺は勉強に励むルビィやノル、そして先生役のアイシャとは別の机を囲んで座っている。


 ラピス・リクスと名乗った女の子は今は二階の空き部屋で眠っているので、深夜に起こったセリカブルカとの遭遇や、会話の詳細を説明していたのだが……。


「セレストが使う魔法はおかしすぎるのにゃ。それに、匂いもなんだか他の人間とは違うのにゃ」


「確かに変だ。龍王種のブレスを消し飛ばす程の強大な力は当然ながら、そのシールドを様々な形に変化させる? 意味がわからん」


「前はそのシールドで透明になって姿を消していたわよ」


「……なに? まさかセレスト、貴様……透明になってクーニアを覗いていたのかっ!? どういうことだ貴様っ! その魔法の使い方を吐け! どんな風に楽しむんだ!? そして私に使えっ!」


 クーニアの話に異常な反応を示したフィーが勢いよく立ち上がり、俺の襟首を掴んで振り回しながら叫ぶ。


 俺が透明化したのは旧開拓地を調査したときだけで、それを悪用したことなんてないし、そもそもフィーに使ってどうするんだ、とか色々あるんだけど……。


「ねえ、なんで今こんな話になってるの? セリカブルカとエスティアのことは? あと、フィーおすわり」


「くくくっ! 既に隷属魔法の効果は解かれているのだ! 私にそんな命令をしたところで聞いてやることは……聞いてやることは……くぅ! そんな、勿体ない!」


 謎の葛藤をしながら最終的に床の上におすわりしたエルフのことは放っておくとして。


「そんな龍がエスティアに居たなんてミミは知らなかったからにゃあ。実物も見てないしあんまり実感がないのにゃ。それよりもセレストが変なことの方が問題にゃん」


「ワタシもセリカブルカという龍が存在することは知っているけれど……わかることは無いわ。ワタシに残っている星の記憶はもう少ないから……あのラピスという龍のことも、あの娘が目覚めたら聞けば済むでしょうしね」


 事情を説明したは良いものの、ミミとクーニアはこんな感じだ。

 そもそもミミはエスティアの支配層ではないし、クーニアに到ってはエスティアに行ったことさえない。


 唯一、頼りになりそうだけどしたくないのがこの床に座っているエルフだけだ。


「セリカブルカ様のことはエルフでも一部の者しか知らないんだ。私もエスティアの守護のひとりとして知ってはいるが、お会いしたことはないし……観測者のお考えもわからない。ただ、セリカブルカ様が私やミミを連れ戻そうとしなかったのであれば、その目的はセレストと――あとは忠告をしに来たことくらいしかわからない」


 妙な恰好で神妙な顔をしてフィーが語るので反応に困る。


「それなんだけどさ……俺が原因かもしれないのはともかく、あの忠告っていうのはなんだったの?」


 ――『汝、二度と深淵アビスに近づくなかれ。助けるのは一度だけだ』――


 それはセリカブルカが残していった気になっていた言葉のだ。


「……深淵アビスというのはこの大陸の中心部に存在する大瀑布のことだ。私も行ったことはないので詳しいことはわからない」


「あれ? フィーは深淵アビスのことはわからないの?」


「わからん」


 セリカブルカが小娘が起きたら伝えろと言っていたのでてっきりフィーに伝えろということなのだと思っていたのだけれど。


「それはきっとラピスのことでしょう。深淵に近づいたのなら、龍種があれだけの傷を負ったのも納得だわ。セリカブルカはラピスを助けるために深淵に向かった。そこで何があったのかはわからないけどね」


 俺の問いへ答えてくれたのはクーニアだった。

 そうか……小娘が目覚めたら、というのはフィーではなくラピス・リクスのことだとすれば納得はいく。


「それじゃあやっぱり、どうしてセリカブルカが来たのかも、ラピスを置いていったのかもラピスが起きないとわからないね」


 そうして、セリカブルカとラピス・リクスの話は保留になり、話は巡って再びここに帰結する。


「難しいことはわからないけど、結局セレストが変なヤツだからセリカブルカとかいう龍がきたってことでいいのにゃ?」


「そうだな」


「そうね」


 納得はしたくないけれど、何かしら観測者の関心を俺が買ってしまったのは間違いないだろう。


 それにしたって、変という言い方はなんだか嫌なんだけど。


「ねえ、セレスト。ずっと黙っていたことがあるのだけれど……アナタはいったいナニモノなの? ――アナタの心は、あまりにも複雑すぎるのよ」


 みんなが核心に触れないことを良いことに、のらりくらりとはぐらかし続けてきた俺を、真っすぐに真紅の瞳で見据えてクーニアが問う。


「アナタは本当にニンゲン?」と。

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