第66話 誰もが前に進むため

 水底に沈んでいた意識が水面へ向かうようにゆっくりと浮上する。


「ん……」


 瞼越しに窓から差し込んだ陽光が差す刺激に思わず身を捩る。


「おはようございます。セレストさん」


 よく知った声がしてすっかり伸びて顔に被っていた俺の前髪を手で退けるようにして側頭部が優しく撫ぜられる。


「うぅん……レイナ……?」


「はい。あなたのレイナはここにいますよー」


 レイナは別に俺のものじゃないだろう、と寝惚けながらに頭の中で答える。

 言葉に出していないのに、なぜだかそのやり取りはとても懐かしくて温かくて、勝手に頬が緩んだのがわかる。


「セレストさんの寝起きの顔をずっと見ていたいところですけれど、みなさんご心配されていますから、一度私は報告に行っちゃいますけど大丈夫ですかー?」


 こうして誰かに頭を撫でられるのなんていつ振りだろうか。

 ああ……小さな頃は母さんがよくこうしてくれていたっけ。


 自分の生きる道を決めてからこれまで、もう諦めてきた温もりだ。

 あの時のように離れ離れになることを選んでしまったらもうこの温もりは戻ってこないかもしれない。


「行かないで」


 寝惚けたままの甘えた思考がそっと離れようとしたレイナの手を無意識に捕まえる。


「じゃあもう少しだけ、ひとり占めさせて貰っちゃいますけど、あとでやっぱりいらないなんてこと言ったら承知しませんからねー」


 レイナがくすりと笑う声が聞こえる。

 いらないなんて言うはずがないのに、おかしなことを言うものだから俺も釣られて笑う。


 もう少しこのまま上質な布団と陽射し、そしてレイナの手のひらの温もりの中でゆっくりさせて貰うことにしよう――。




 ◇




 ――数時間後。


 ギルドの客室で完全に目が醒めた俺は混乱していた。


「ここは……? どうしてレイナが一緒に? 龍は? 戦闘はどうなった? みんなは?」


 ベッドの上で上半身を起こして周囲を見渡せば、恐らくギルドの客室と思われる個室で、周りには俺の手を握りながらベッドに頭を預けて――椅子に腰かけて――眠りこけるレイナだけ。


「外は……静かだ。それに、嵐も去っている。もう戦闘は終わったのか? ――レイナ、起きてよレイナ」


 他にどうすることも思い浮かばず、レイナの肩を軽く揺すって声を掛ける。


「ふぁーい。レイナはここにいますよー……ぐー」


「いるのはわかってるから起きてよレイナ。どうしてこんなところで寝ているのさ」


「むにゅう……セレストさんが誘ったんじゃないですかー」


「どういうこと!?」


 俺が誘ったの!? 何を!?


「ちょ、ちょっとレイナ、本気で起きて。龍の襲撃はどうなったの? ニーズヘッグは? 他のひとたちは?」


「うーんっ」


 余計に混乱しそうで慌ててレイナを揺さぶると、身体を起こしたレイナがぐーっと大きく伸びをする。


「アイシャたちならお祭りを観に行っていますよ。ミミさんとフィーさんも一緒ですから心配ありませんよ。あ、セレストさんも起きましたし連絡員を出しましょうか」


「ちょっと待って。お祭りって、龍葬祭のこと……だよね? 今街はどうなっているの?」


「冒険者ギルドは龍王種・黒邪龍ニーズヘッグを討伐。その後、ニーズヘッグに召喚された軍勢は不思議な力によって街に近づくことも出来ずに逃亡。支部長補佐と一部の冒険者が大森林の調査を行っていますが、アクシス近郊に龍の発見報告はなし。アクシスの街ではパパから龍災の勝利宣言がなされて、市民たちは皆お祭りを楽しんでいます。――――これらが、セレストさんが眠っている3日間の間に起こったおおまかな出来事ですねー」


 俺が意識を失う直前の記憶は確かにニーズヘッグが支部長とクーニアの魔法によって倒されたところまでだ。


 その後、俺が意識を失ったことで絶対防御アブソリュート・シールドは解除されてしまったが、レイナが言うには不思議な蛍の光のようなものが無数に現れ、龍の襲撃から街を守ったらしい。


 そしてその光たちは街中を飛び交い、やがて嵐の去った晴天の空へと昇っていったらしい。


 それから支部長の宣言により、市民たちにとっての本当の龍葬祭がはじまったとのこと。

 これまでに亡くなった人たちを偲び、祈りを捧げ、これからのアクシスの発展を祝うための、誰もが前に進むためのお祭りが。


「……そっか。というか俺は3日も眠ったままだったのか」


「セレストさんが倒れたって聞いたときはとっても心配したんですよー? でも見てみればどこにも怪我はないし、ちゃんと寝息をたてて眠っているので安心しましたけどね」


 あの時は近くにミミとフィーが居たし、ノルが届けてくれたポーションもあった。

 どうやらレイナだけでなく、俺は仲間たちに助けられてこうしてゆっくりと休むことができていたらしい。


「そういうことなら、みんなにはゆっくりお祭りを楽しんで貰いたいから連絡員は出さないでいいよ。というか、俺もせっかくだからお祭りに行こうかな」


「アイシャたちのことはわかりましたけど、セレストさんは今日は外に出たらダメですよー。病み上がりですし、アイシャたちは後でいいとしても、パパはセレストさんが起きたらすぐに教えろって言ってましたから」


 俺は戦闘に関すること以外の龍葬祭の計画がどういうものだったのかに関与していないので、お祭りのことが気になっていたけれど、レイナの言うことも正しい。


 3日間も寝込んでおいて、起きたからお祭りに行きたいなんて確かに心配してくれていた人たちに悪い気もする。


 それに――支部長と話せるのなら、俺は聞かなけばいけないことがある。


「それじゃあ悪いけどレイナ、支部長のこと呼んできてくれる?」


「ええ。お任せくださいな。それじゃあ、セレストさんはちゃんとここでじっとしていて下さいねー!」


「はいはい」


 いつもと変わらないレイナに苦笑しつつ去って行く背中を見送る。


 ぱたん、と扉が閉まった音を確認して窓の外を眺める。


 クーニア、きみはきっとお祭りのどこかで歌っているんだよね?

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