断章

断章2+第48.5話 王種――とある冒険者の記録

 愛娘のレイナが新大陸にやって来ることが決まった。

 新大陸開拓から8年。

 確かにこの街はそれなりに発展し、ある程度は安定したと言ってもいいだろう。


 それでも俺は、自分の娘までがこの土地に異動になることに最後まで納得ができなかった。

 まあ、そんな心配だった旅路もレイナが連れてきたセレストという赤髪の小僧のお守りのおかげで無事に済んだようだが……。


 まあ、それはもう済んだことだ。


 今ではレイナは俺の目の届くところに居るし、セレストがやって来て早々に名を上げたことでレイナに余計な真似をしようとする輩もいない。


 問題があるとすれば、そのセレスト本人が異常すぎる力を持っていることと、厄介ごとを引き当てる能力が高すぎることくらいだ。


 エスティアという街の存在。

 プラチナキャティア族という未知の種族。

 エルフの支配者。


 そして今回は死を歌う妖精バンシーときた。


 セレストの報告を訊いたときには半信半疑だったものも、実際に訪れたアクシス旧開拓地で出会った薄翠色の髪の少女を目の当たりにすれば否定のしようもない。





 ――――あの日。


 新大陸開拓の先陣として冒険者ギルド本部から派遣された俺たちは順調に開拓を進め、初めて訪れる冬を前に必死に獲物を狩り、食糧の備蓄を進めていた。


 周囲にはグランバリエでは見たこともないような大型の魔物が跋扈し、迂闊にひとりで出歩いてしまえば死が待つような土地で生き抜いてきた俺たちは誰もが自信に満ち溢れていた。


 そしてその自信は、まるでガラス玉を岩の上に落としたかのようにあっさりと砕け散る。


 昼間だというのに夜と見紛う程の暗く淀んだ曇天。

 吹き荒れる風は木々を薙ぎ倒し、海はうねり、大波はようやく造った桟橋をあっさりと呑み込んで消えた。

 降り止まない雨は開拓地の傍を流れていた川を氾濫させ、鳴り響く稲妻は容赦なく建設中の家々を砕いて爆ぜた。


 それらを引き起こしたのは北の山から降りてきた、たった1匹の龍だった。


 漆黒の鱗は夜の空よりも暗く、海の底よりも昏い。

 血のように紅く輝く眼光はひと睨みで腕利きの冒険者たちの足を竦ませた。


 黒く邪悪な龍が咆哮――それを引き金に引き起こされた猛烈な嵐。


 何処から湧いて出たのか襟巻のようなものをつけた巨大な蜥蜴のような龍の群れ。

 長い首に棘の生えた尾を生やした翼龍の群れ。


 群れ、群れ、群れ、大群、軍勢。


 力を持たない仲間の悲鳴、震える膝を殴り怒声を上げる先達。


 俺も剣を握り、目につく悪龍どもを切り伏せた。

 しかし、天を舞い俺たちを虫けらのように見下ろすあの漆黒の龍には届かない。


 天を翔けることのできない俺たち人間には到底勝ち目の無い存在。


 無数の龍を従える……あれはきっと下位種や上位種などと比較すべき存在ではない。


 王種――龍王種、黒邪龍。


『かーっかっかっか! こりゃあもうこの開拓地は仕舞いだなぁ! オイ、ガウル! てめぇ、まだ生きてるか!?』


 俺が黒邪龍を睨みつけていると暢気に笑う師匠の声が響く。


『師匠! 俺はこっちです! 蜥蜴野郎をぶった斬ってやったところですよっ! まだお仕舞いになんかしてたまりますかっ!』


 混乱の中、どこにいるかもわからない師匠に叫ぶ。

 お仕舞いになんてして堪るか。

 ここに居るのは全員俺の仲間だ。

 グランガリアには家族だって残してきた。


 死ぬわけには行かねえんだ!


『かーっかっか! 上等上等! だったらてめぇ、ひよっこ共を連れてさっさと逃げやがれ! てめぇらみてーな若造共が居たら俺達の本気が出せん!』


『はっはっは! そのバカの言う通りだぜガウル! 足手まといの若造はさっさと消えちまえ! あの黒龍は俺の獲物だぜぃ!』


 師匠に釣られて先輩たちが大声を出して笑いだす。

 既にどれだけの被害が出ているかも解っているはずだというのに、彼らは皆、笑い、武器を手に取り、襲い掛かる龍に向かって刃を振るう。


『俺は……俺は……』


 そんな師匠や先輩たちを残して、後輩たちを連れて逃げろだなんて言われても。


 たしかに師匠も先輩も俺なんかより遥かに腕が立つのはわかっている。

 それでも、生き残れるはずがないじゃないか。


『ガウル。お前は生き残れよ。俺らの夢ぇ、お前に託すからよ』


 呆然としてしまっていた俺にいつの間にか迫っていた襟巻蜥蜴の化け物が、俺の横を通り抜けていった一筋の剣閃に両断されて散る。


 その剣筋、後ろ姿は間違いなく師匠のものだ。

 俺が憧れて、憧れて、追い続けてきた背中だ。


『師匠……』


『かーっかっか! 嫁さんと娘さんを大事にしろよ!』


 大きな背中が、再び剣を身構え走り去る。


 ――俺は……まだ、娘に会いたい。


『ここは師匠たちに任せるッ! おい、俺より弱ぇ奴は全員邪魔だ! 足手纏いになる前に脱出する! 道は俺が――』


『俺も協力しよう』


 後輩どもに向けて声を張り上げる俺の横に並んだのは3つ年上だが、同期であるトラストだ。


『道は俺とトラストが切り拓く! 生きてえ理由がある奴は着いて来い! 行くぞッ!!』


 その日、俺はトラストと撤退組の陣頭を取り、アクシス旧開拓地からの脱出に成功する。


 龍が去り、朽ちた旧開拓地を捨て、いつ来るかもわからないグランバリエからの連絡船を待ち、開拓失敗の報を出すも、待機を命じられる。


 極寒の冬を耐え、再び訪れた連絡船からの指示は――俺を新大陸冒険者ギルド支部長への任命。

 そして開拓継続の指示。


 ふざけるなと怒り狂ったところで、命令は変わらない。

 そんなものを無視して船を襲いグランバリエに帰ることさえ考えた。


 しかし、どうしてもあの地に残った師匠たちの言葉が、想いが、俺をこの地に縛り付ける。


 冒険者ギルドなんてものはクソったれだが、あの人たちの守ろうとしたものを守らなければならない。


 あの日、逃げ出してしまった俺にできることは、たったそれだけなのだから――。



 ◆



 アクシス旧開拓地――セレストから伝えられたその場所で。


『かーっかっか! てめえガウルか! なんだその髭面ァ! とんだおっさんになってんじゃねぇか! かーっかっか!』


 再びその声を聴いた俺は、ただ溢れ続ける染みったれた涙を無様に流しながら砂の上に頽れた。

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