作家編集side3

 ホテルから出て外出した重野と天色が始めに見たのは――大の大人たちが追いかけっこしている場面だった。

「創務省と無免連ッスかね」

「同派閥の仲間割れかもしれないですよ」

 天色の言葉に、重野は首を横に振って追いかけっこ集団を指差す。

「いやいや、一対多ッスよ仲間割れというより粛清だとか、敵対組織の追いかけっこじゃないスかねぇ……逃げ込める場所が開かれている昼日中に裏切り者を追いかけるなんてッスし、追いかける方にスーツ姿が散見されるし、やっぱ創務省が無免許のツクリテか認可受けてないニジゲンを追いかけてるんじゃァないんスか?」

 追いかけられているのは白髪の長身の青年だ。人間のように見えるがニジゲンかも知れない。汚れ一つない白いシャツに、黒っぽい上着を重ねている。長袖で暑くないんスか? ――重野は思わず、そう聞いてみたくなる。

「あ、そこのあなた! ぼうっとしてないで手伝って!!」

 青年を追いかけている集団のうち、疲れで離脱したのだろう一人が天色を指差し叫ぶ。就活生か新人のようなブラックスーツを着ているからか、天色は出会い頭の創務省職員に命令されることが多いのだ。

 ――ただ、認可作家として五年も経っていれば誰に従うべきか弁えられる。いちいち怒っちゃ身が持たない。

 天色は余計なことを言わず――ぐっぐっとその場で屈伸を始めた。

「んじゃ、行ってらっしゃい――海には近づかないように」

「はい、了解です」

 悠長に会話するふたりを見て、声をかけてきた職員が苛立ったように声を張り上げる。

「何をしてるの、さっさと追いかけて!」

「あぁ、大丈夫ッスよ職員さん」

 重野が安心させるようにそう言う横で、天色が自らの特殊武器マキナたる白い手袋を嵌めた。

「――ミスター、お力を借りますね」

 知り合いのとあるニジゲンにそう呟いて、天色はぐぐっと身をかがめ――クラウチングスタートの姿勢を取る。

「ウチの先生はうさぎのように足が速いんで――」

 説明する重野の横で砂が爆発したように宙に舞う。

 ミスター――認可作家組合所属のニジゲン、モーリス・ロップの創造力強化を受けて顕現させた天色の特殊武器マキナ白手袋ろくぶて。その影響を受けて身体能力がうさぎのように向上された天色が、砂だらけのアスファルト道を蹴り追いかけっこに参加したのだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――


 走ることってとても楽しい――! ランナーズハイに陥りながら、天色は創務省の職員に混じり青年の背中を追いかけていた。

「ちょっとそこの――途中参加のスーツのアンタ、中々にいい身体能力してるね何者? 創務省じゃ見ない顔だな、認可の人〜? 俺と仲良くしようぜ、そんな腐ったとこいないで無免こいよ!」

「白昼堂々、しかも創務省職員の目の前で非合法組織への勧誘はやめなさい!」

 青年がなにか言っているものの、創務省の職員さんがなにか言っているものの、天色の頭は言葉の意味を解さない。だって追いかけるの楽しいし、追いかけろって言われたし、あと追いかけるの楽しいし。

 無言のままでいると青年は口を尖らせる。

「……返事してくれないんだ? へー俺、傷ついたなぁ……人を無視するなんていけないことだって、親とか学校とか周りの大人に教わらなかった?」

「――」

 周りの大人――天色は、幼い頃に出会った、今は亡きとある歴史小説家の言葉を思い出していた。


 ――面白いって言うんは正義や。面白い文を書くと言う一点であては没を殺す力を得ているし、研究家どもの文句を圧し殺せる。『こんなのあり得ない』等と言う文句垂れも理解のない編集者どもも遠慮のない締め切りも、面白い文を書き散らして叩きつければ黙りよった――力あらば、憂き世のことはなべてなし。


 ついでに、かの小説家の甥っ子の証言も思い出した。


 相手が逃げたら追いかけろって言うのは重野家の家訓なんスよ、レキヒト伯父も欲しい史料を譲らない阿呆は追いかけまわせと言っていたッス


「ちょ、この流れで加速するなんてマジかよ…………このままじゃちょっとジリ貧になるな」

「――」

「……無言で追いかけられるのもキツいし」

 ようやく青年の言葉が耳に入ってきた。青年が振り切ったのだろう、創務省職員の集団が気づけばもういなくなっていたことにも気づく。

 青年の言葉が聞こえてきたということはランナーズハイが解けてきたということ。それに気づいて、天色は少し危機感を感じた。ランナーズハイが解けてきたということは脳内麻薬が切れたということで、もうすぐ疲れからの虚脱感が襲ってくるだろう――そうなる前に、片を付けねばならない。最後の気力を振り絞り、天色は足に力を込めて一瞬、地面に身をかがめ――

「――アンタ、バトル漫画から出てきたニジゲンかなんか?」

 高く飛び上がった天色を見て、青年はぽつりと呟く。

 バチン――天色の靴底が、地面を叩く音が周りに響いて――


 ――着地した天色の、一メートルほど前方に青年は立っていた。

「……ジャンプ中は方向変えられないし飛び上がった角度を見れば着地点も分かるし。――うさぎみたいに垂直跳びしても幅は稼げないって知らなかったか? 一応、ここから立ち上がってさっきの勢いで飛びかかられたら捕まるけど――この賭け、どうやら俺が勝ったようだな」

 青年の指摘した通り、天色はもう追いかけられない。高飛びをしてアスファルト舗装の道に着地した足はビリビリと痺れていたし、脳内麻薬が切れて虚脱感が酷かった。地面に座り込み息を整えていると青年がひらひらと手を振った。

「追いかけっこ楽しかったぜ。――じゃあな」

 そう言いながら青年は砂浜の方へ逃げていった。天色には追いかける気力も理由も見つからなかった。

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