70.
短く呟くと男は懐に手を入れ、小さな瓶を取り出した。中身は空っぽ。何を入れるつもりで懐に入れていたのか、ここにいる誰にも分からない。
その小瓶を片手にゆっくりと私に近付いた——
「なに、を……」
「失礼」
「やめっ————」
ブラックが叫び終わる前に、素早く右手に握った針を私の首、に……?
「いっ……た…………!」
「…………すぐ終わる」
深く突き刺さった針の根本から赤黒い液体が溢れ出る。針を引き抜こうにも男がそれを許さない。じわじわと床に血だまりが広がる。
痛い。叫びたい。床をのたうち回りたいくらい、痛い。
だけどここで無理やり動くと余計に針が刺さって危ない気がする。怖くて体が動かない。
「レッドから……手を、離せ!」
男の背後から振り下ろされる黒き一撃。
だが……
「…………っと」
背中に目でも付いているのか、男は難なく避けた。同時に私の首に刺さっていた針を引き抜き、小瓶の中に仕舞う。
私の血液が目的……? なんで……?
「大丈夫?」
「だいじょう、ぶ」
隣に立ったブラックに支えられながらなんとか立ち上がる。血を抜かれたせいか、少しだけ眩暈がして気持ち悪い。
「…………それ、なににつかうつもり?」
「……」
かろうじて男を睨んでいるものの、今にも倒れそうなくらい気分が悪い。
レッドとして、コウセイジャーとしての使命感が私を奮い立たせている。それがなかったら、とうの昔に膝を突いていた。
「……こたえな、よ。わたしのち、なににつかう、の?」
「……なに、アレと同じさ」
言って、男はアレを指差した。
部屋の奥、台座の上に置かれた大きな壺。その壺を男はひと撫でした。
アレと同じって一体なんなんだろう。壺の中身と私の血液が何か関係しているとか?
……ああ、だめだ。だんだん、頭が回らなくなってる。何も考え、られない——
「レッド、しっかり!」
「う……」
倒れかけた私の体をブラックが抱き留める。仮面で表情は見えないが、ひどく動揺しているようだ。
結陽が動揺するなんて珍しいな。いつも冷静なのに。
ぼんやりと場違いなことを考えながら、ゆっくりと視線を男に向ける。さっきまでの貼り付けたような笑顔とは違う、心の底から可笑しそうに笑っている。
「君、うちのアジトに来たことは?」
「え……初めて、だけど……」
「改造手術を受けた経験は?」
「なにを……言って、いるの?」
男が何を言おうとしているのか、全然理解出来ない。私もブラックも、このやり取りを聞いているだろう透子とピンクも。誰も、理解できない。
「怪人化、進んじゃってるねぇ。君」
「…………は?」
「さっき君の血液を抜いただろう。見てみなよ、この小瓶。透明な液体がどす黒く変化しているだろう? 正常な……ただの人間なら赤くなるからね、この液体」
見せびらかすように男は小瓶を掲げた。
……信じたくない。信じられるわけがない。
だけど、何度見ても何度瞬きをしても、その瓶の中身は黒かった。
「黒いってことはさ……君はこっち寄りなんだよ。そこの真っ黒な裏切り者と一緒さぁ」
「違う! 私は……人間」
「ふぅん。自覚なし、か。なんで急に怪人化しちゃってるんだろうね。気になるなぁ……体切り開いて全部見たいなぁ」
ゾッとした。男は楽し気な顔で恐ろしいことを言う。
そんな理由で身体を切り開かれるなんてたまったもんじゃない。それにこの男の血にまみれた手で触れられたくない。
さっきまで朦朧としていた意識が覚醒し始める。ここで倒れたら……最悪だ。
「あぁ……解剖したい……体、触らせてよぉ……」
「ひっ……」
厭らしい笑みを浮かべながら男はゆっくりと私に近付く。
気持ち悪い。嫌だ。触られるの、気持ち悪い……!
『二人とも聞こえる? 今からそっちにイエローが——』
ガシャンッ!
ピンクの声を遮り、背後の扉が蹴破られた。
「きたねー手でうちの女子たちに触ろうとしてんじゃねーぞ、オッサン。お前の相手は俺だ」
穂先を男の眼前に突き付け、イエローは低い声で牽制する。それでもなお、男はニヤニヤ笑ったままだ。
「君には興味ない。僕が興味があるのはそこの赤い子さ。……どけ」
「どくかよ。ばーか」
イエローは男に歩み寄る。間合いを見定めるように、ゆっくりと着実に詰めていく。
対して男は何もしない。武器を構えることも、仲間を呼ぶこともしない。何もせずただ立ち尽くしている。それが今は、ひどく恐ろしい。
「……」
「来ないのなら、こっちから行くぞ!」
一気にかける。男の懐に入り、鋭い一突きが男の心臓を狙う……!
「……へぇ……変わった体してんな、オッサン」
「オッサンは止めてくれよ。せめてお兄さんとでも呼んでくれ」
イエローの槍は確かに男の身体を貫いていた。ここから見ていても分かる。間違いなく槍は貫通していた。
それなのに男は平然としている。もちろん血も出ていない。
「おいおい。…………心臓がないなんて聞いてねぇぞ」
イエローの悲痛な呟きだけが響く。男は何も言わず、不気味な薄笑いを浮かべるだけだった。
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