36.
食べて飲んで吐いて。本当に駄目な大人だと思う。
ぐったりしている
首に腕を回して、私にもたれかかってるからゆっくりといつもより時間をかけて歩いている。
「透子、重いんだけど」
「女の子に重いって言うなぁ……ああ、気持ち悪い……」
「子、じゃないでしょ。年齢的に。それに透子が飲みすぎるからこんなことになってるんだけど?」
一度立ち止まり、辺りを見渡す。
ちょうどバス停が目に入り、ベンチを使わせてもらうことにした。こんな時間だ、もうバスは走っていないし、構わないだろう。
「あ”あ”……」
おおよそ女の人とは思えない声で透子は
もしこの場に
「ちょうどあそこに自販機あるし、お水か何か買ってこようか?」
「お水欲しい……」
バス停から少し離れたところに自販機がある。この暗闇の中、煌々としていてすぐに気づけた。
チャリン。チャリン。
小銭入れから百円玉を二枚入れる。
ガシャンッ。
透子にはお水を。私は何にしようかな。
「…………」
ガシャンッ。
「透子、これ飲んで」
「ありがと……」
さっきまでペットボトルを握っていた右手から水滴が滴り落ちる。透子にバレないようにそっとTシャツで手を拭った。
「ハァ……ハァ…………あ”あ”……」
「その声止めなって。不審者だって思われちゃうよ」
「この美人を前にして、そんなこと言う奴いる?」
「美人は美人でもさっきゲロ吐いた美人だし、いるんじゃない?」
「ええ……辛辣…………」
ああ、でも。と透子は言葉を続ける。
「美人とは思ってくれてるんだ?」
「それは……まあ……」
「ふぅん?」
ニヤニヤとこちらを見て笑う。これ以上、口を開くとからかわれそうだから黙ってペットボトルのキャップをひねる。
「あれ、珍しいね。いつもジュース選ぶのに」
「ん」
さっき私はお茶を買ったのだ。いつもなら炭酸ジュースとか、ほとんどコーヒー牛乳に近いようなコーヒーを選ぶけど。何を思ったのか今日はお茶にした。
ゴクリ、と喉を鳴らす。
夜の九時。辺りは静かで誰もいない。歩行者も車も通らない。まるで私たち以外の人間が全て消えてしまったみたいだ。
……何か、変だ。
目の前の空が歪んで見える。私は透子と違って酔っていないのに、私の目がおかしくなってしまったんだろうか。
ぐにゃり。
とうとう幻覚が見えてきた。空が上下に裂け、中から人のようなものが——。
「春、動いて!」
「……ッ!」
透子が叫び、身体が動き出す。
あれは幻覚じゃない、どうしようもない現実だ。
「…………」
人のようななにか。暗くてよく見えないが、身長が私と大して変わらない。
地に降り立ったソレは一歩ずつ、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「……変身して。街への被害は最小限で。出来ればここじゃなく、広い場所に移動してから戦ってほしい」
すっかり仕事モードになった透子が耳元で囁く。
今まで見たことがない風貌をしているけど、あいつもきっと怪人だろう。ならば、私の敵だ。
「へんし——」
いつもの掛け声とともに変身しようとしたが、突如として私の目の前に現れたソレのせいで遮られた。いつの間に、こんな近くに来たんだ。嫌な冷や汗が私の額を濡らす。
目の前に現れてようやく見えた。
ソレは怪人とは違う、限りなく人間のような見た目。私たちと同じように目と口と鼻があって、足も手もある。
「……うそ」
信じられない。信じたくない。
「なんで……どうして…………!」
その顔も、姿も。見覚えがあった。
「……
半年前までいつも一緒にいた。学校でも休みの日でも。お泊りだってしたことがある。家族のように、姉妹のように思っていた。
「…………」
ソレは答えない。
つまらなさそうな顔でじっと私を見ている。
「その髪どうしたの。全然、似合わないよ……」
私が知ってる結月はきれいな黒髪だった。混じり気のない、深い闇のような黒。私は元々少し髪が茶色かったからいつも羨ましく思っていた。
でも目の前にいるソレは違う。
すっかり色素が抜けて、くすんだ灰色。肌だって病的なまでに白い。目の色も赤い。人間じゃないことが分かってしまうくらいに結月は変わってしまっていた。
「……何か、言いなよ」
「…………」
答えない。言葉が分からないのか、表情一つ変わらない。
「……春、もういいから。こうなったら倒すしかない」
「何、言ってるの。あれは結月なんだよ? 倒せるわけ、ないっ!」
「似てるけど違う! よく見て、あれはもう怪人と同じだよ」
「違う!」
倒せるわけがない。私はずっと結月を助けるために戦ってきたんだから。
「つまんない」
「……ッ!」
ようやく声を発したソレは一気に私との距離を詰める。少しでも動いたら顔が触れそうなくらい、私に近づく。
「君がレッドなの?」
「そう、だけど」
つまんない、ともう一度呟き私の首に両手を回す。
口を再び開き、舌なめずり。
「じゃあ。殺すね」
「んん⁉」
ねっとりとした舌を出したと思ったら、私の唇に吸い付いてきた。貪るように舌を動かす。
両手で抑えられていて何も抵抗できない。
目を見開いて訴えるが、にやりと笑うだけで解放してくれない。
「んっ……んんん…………」
蹂躙されつくした口元から涎が垂れ落ちる。拭おうにも体に力が入らない。頭もぼんやりする。
酸素が欲しい。必死に目で訴えるも聞いてもらえない。
ああ、もうだめだ——。
「おっと」
成す術もなく膝から崩れ落ちる。地面にぶつかる寸でのところでソレが私を抱きとめた。
「……ハァ……ハァ…………」
荒い呼吸音とバクバクという心臓の音が聞こえる。
「おかしいなぁ。なんで死なないの? 私の唾液は毒なのに」
変なの、とソレは笑う。
殺そうとしたんだ。限りなく結月に似ているソレは躊躇なく私を殺そうとした。
「まあ、いいか。これ、持って帰るね。気に入っちゃった」
「……はい、そうですか。なんて言うと思う?」
「言うよ。言うしかない。だって貴女は戦えない」
透子が戦えないことをソレは知っていた。私がレッドであることも知っていたみたいだし、私たちの内情がどこからか漏れている。
「死にたくなかったらどきなよ。それとも仲間でも呼ぶ?」
「……」
透子は答えない。
「まあ、どかなくてもいいけど」
「まっ——」
再び空間が割れる。さっきとは違う、足元が割れる。
「じゃあね、おばさん。心配しなくてもちゃんと大事にするから。壊れるまでは、ね」
壊れたら返却だ、とソレは笑う。
私は口を挟むことも抵抗することも出来ずに闇に飲み込まれていった。
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