第11話……エピソード3……ポトシ鉱山発見

1380年7月中旬日曜日朝7時……クスコ宮殿

 メリカはニザーム男、リンカはユースフ男を出産した。

ビアンカに早馬の使いを出した。アドリアンへの報告と次兄、3兄にアンデス地域より南の地域の軍政長官を頼んだ。次兄にアンデス地域全体を、3兄にはアドルフがこれから征伐するボリビア地域全体を任せた。

 メル・ワカ、キャシャーン以外の女たちをクスコ宮殿に置き、留守部隊5万名を駐屯させた。本体1,000名、工兵隊2,000名の部隊を率いてアドルフはクスコを出発した。

アンデス山麓を徒歩で進み、チチカカ湖を回り込んでさらに南東方向に進んだ。

 チチカカ湖周辺にはアイマラ族の住民が沢山いたが、クスコ王国の属国のような集団で元王妃メル・ワカの命令に従い、降伏した。彼らに先導させ、噂の銀山があるというポトシを目指した。しばらくすると小さい農村に到着した。

 ここがどうやらポトシ……注①のようだ。やはりクスコ王国の影響を受けているようでメル・ワカの顔を見て村人たちは平伏した。メル・ワカが村人に銀山の位置を聞いた。

 近くの山の頂上を指差し、あの山の裾を掘ったら銀が出てきたという。工兵隊2,000名に命じて山裾を掘らせると高品位の銀が採れた。サカテカス銀山で経験済みの水銀アマルガム法……注②を用いることにした。

1380年10月下旬日曜日朝7時……ポトシ

 3兄アルファードがやって来た。宮殿造りと街の整備及び銀山の管理を任せた。この辺一帯の軍政長官も兼ねてもらう。次兄のケイマンが同盟しているチヌー王国を滅ぼしてしまったらしい。まあ仕方がない。

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3兄アルファードは銀鉱とリマ港とを結ぶ通商路上にラパスを建設した。ラパスは商業の中心として急速に発展した。

 ポトシは南米大陸における最大級の経済拠点となった。ペルー植民地はポトシ銀山を中心とする銀鉱業で有名になった。ポトシ市は,12 万人から 16 万人におよぶ人口が密集する西半球最大の都市になった。ポトシ市にはさまざまな商品がヨーロッパや東洋をはじめ海外から,また植民地域内から大量に集まり,市場経済が真っ先に浸透していった。ポトシの開発が始まると,まずもってアルティプラノ「Altiplano andino,東西両アンデス山脈の間にある高原地帯。北はクスコから南はタリハに至る地帯」から多くの人や物資がポトシに流入した。北方のクスコ地域からまた西方のアレキパ地域からポトシに向けて隊商が動き始めた。銀 5 分の 1 税を本国に送るうえでも,植民地政府当局「アドルフ帝国」は早くから道路網の開発,橋梁の建設に力を入れ,インフラの整備に尽力する。リマとポトシを結ぶ道路が開通し,リマからクスコを通りアルティプラノ……注③を抜けてポトシへ至る道路は,「銀の道(Camino dePlata)」「王の道(Camino Real,幹線道)」として知られるようになっていた。クスコ市とポトシ市を結ぶ中継都市として,もっぱらアイマラ系原住民が暮らすティティカカ湖南東部チュキアポ(Chuquiapo)渓谷にラパス市(Nuestra Señora de La Paz)が建設された。

 銀の生産によってポトシ市とその地区は一大消費センターになった。ポトシへの供給品の代表的なものとしては食糧品を主とする必需物資,鉱業に必要な品々,奢侈品があげられる。

ポトシ市の標高は海抜 4070 メートルであり,ポトシの山〔富の山=セロ・リコ(Cerro Rico)〕の頂上は標高がおよそ 4800 メートルあったから,鉱石採掘は常に海抜 4000 メートル以上の高地で行われたのである。まずもってポトシの鉱山労働者は寒冷で厳しい自然条件に耐えられなければならなかった。ポトシにおける鉱山労働はすべて高地の原住民成年男子によって担われた。ポトシの生存環境はまことに厳しいものであり,人々はポトシの町で暮らすだけでも大変だった。

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アドルフは馬車隊を編成してクスコに戻り女たちを引き連れ、リマ港経由でパナマに戻った。

1380年12月下旬日曜日朝7時……パナマ港

 次兄ケイマンにアンデス一帯「クスコ王国「インカ帝国の前身」とチヌー王国の全領土を含む」の経営を任せて、ビアンカを連れてキューバに戻った。

1380年1月中旬日曜日朝7時……ハバナ宮殿

アドリアンにポトシ銀山発見を報告し、今後のことについて相談した。

アドルフ「銀はどんどん掘れますが高地のため物資の補給……注④が平地ほど上手く行きません。また現地の者でないと高地「4000メートル級の高地」での鉱山労働が出来ないのです」

アドリアン「何とか補給の方法を考えてみよう。それよりアドルフよ。もう一度冒険をやってくれないか。太平洋を横断して、中国やマニラと交易をして欲しいのだ」

アドルフ「アカプルコからガレオン船で行けますね。分かりました。やりましょう」

アドリアン「アメリカインディアンに手こずっておるのだ。なにか良い情報はないか」

アドルフ「ミシシッピー川流域に文明があるようです」

今日はここまでにしておきましょう。

次回アドルフはガレオン船交易を行ないます。

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注① ……ポトシ

ポトシは、ボリビアの南部にある都市。ポトシ県の行政府所在地。ボリビアの首都ラパスから南東に約 440 km に位置する。アンデス山脈中の盆地にあり、標高約 4,000 mと人が住む都市としては世界で最も標高が高い都市の一つである。高山地域のうえ乾燥気候であるために植生には乏しい。 ウィキペディア

注② ……水銀アマルガム法

鉱石に含まれる金・銀などの金属は、水銀と混ぜ合わせると鉱石から溶け出し、水銀 アマルガムをつくる。 そのアマルガムを強く熱することで水銀が蒸発して金属だけが 残るというアマルガム法は、高度な装置や技術を必要とせず、アメリカ 大陸において用いられていた。

注③ ……アルティプラーノ高原

アルティプラーノは、一般的に新生代に形成された2つかそれ以上の山脈の間に広がる、標高の高い平坦な高原地帯。具体的地名としては、南アメリカ大陸西部のアンデス山脈のうち、ペルー南部からボリビア、チリ北部などにかけてを指す。 アンデス山脈は、オクシデンタル山脈とオリエンタル山脈という2列に山脈が平行して走っている。 ウィキペディア

注④ ……ポトシへの物資の補給

ポトシ銀山はアルト・ペルーの海抜 4000 メートル以上の高地に位置し,気候は寒冷で,周囲 6レグア〔約 34 キロメートル(1 レグア legua は約 5.6 キロメートル)〕は完全に不毛の土地であった。ポトシの山で銀が発見されると,その荒涼たる土地に銀を求めて人々が殺到する。

やがてその山麓にポトシの町が建設された。ポトシから産出される銀は,新大陸はもちろんのこと,西ヨーロッパや東アジアからの関心を惹き付けるに至った。1605 年に書かれた小説『ドン・キホーテ』においてセルバンテスは,巨富を表現するのに

「ポトシほどの価値(vale un Potosí)」という言葉を用いている。ポトシのセロ・リコは発見と同時に「豊かさ」という概念と同義になったのである。銀ブームの発生と同時に各地から人や物がポトシに流入し始めた。例えば,同地において鉱業や商業に従事する人の数は 1 万 2000 人に達していた。その後ポトシの人口は,1572 年には約 12 万人にのぼり,1611 年には約 16 万人のピークに達する。ポトシは新大陸で最大の人口を擁する都市となった。ポトシの銀は広く内外に流出する。ポトシは高度 4000 メートルを超える不毛の地ゆえに,物資はすべて外部からポトシに運び込まれ,ポトシには市場経済が出現・浸透していく。出資者(mercader financiador. 前貸し商人),卸売商(comerciantes mayoristas),仲買人(intermediarios),運送業者(transportistas)などの複合したネットワークがしだいに形成され,彼らが食糧や道具,水銀の調達を担った。

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