第10話……エピソード7……征服と懐柔

1377年4月上旬日曜日朝7時……メシカルツィンゴ

 アコルワ族を傘下に入れつつ、テスココ……注①を南に向かった2部隊は周辺住民を恐れさせながらテスココ湖……注②の東側を先に進み、メシカルツィンゴという場所に着いた。

 当時この地はテパネカ帝国……注③の傘下にあった。アドルフは事情を良く分からないながらも、マリンチェに言われる通りに行動した。マリンチェ「此処から先は全員が敵です。先に行動して敵を数人殺すのです。銃で撃ち殺すのが良いでしょう。彼らは銃器の殺傷力に恐れをなすはずです」

 ここで二手に分かれて自分は堤防を渡り、テペツィンコを占領し、テパネカ帝国の首都アスカポツァルコを目指し、先を急いだ。

 別部隊はテパネカ帝国の属国アステカの首都チノチティトランを滅ぼし、ボボトラン、トラコバンと攻略に掛かった。

 だがトラコバンの敵兵は訓練されており、銃器を恐れなかった。当方の部隊人数1,000名に対して10倍の軍勢で攻め寄せてきて退却せざるを得なかった。一度チノチティトランに退却し、アドルフ隊を待つことにした。

 アドルフ隊も敵の首都アスカポツァルコの軍勢10万名を見てチノチティトランに引き返した。

1377年6月上旬日曜日朝7時……チノチティトラン

 ここで体制を立て直すことにした。戦争一辺倒では勝ち目がないことは明らかであった。しかし、敵は勢いに乗って攻め込んでくることは分かっている。銃器こそ持っているが敵の人数は10倍以上だ。突撃されれば一溜まりもなく我軍は全滅してしまう。

 マリンチェに良いアイディアはないかと訪ねてみた。

マリンチェ「トラテロルコ……注④はテパネカ帝国の国王テソソモク「1375年から1428年在位」の妻テレソネ34歳と息子のクァクァピツァワク12歳が共同統治している。ここを落として妻と息子を拉致すればテソソモクは軟化するだろう」

 他に策を思いつかないアドルフたちは本国に援軍を求めてセンボアラに行かせるとともに全力でトラテロルコを攻めた。トラテロルコの軍勢は5,000名ほどで手こずりはしたが我々の火力が最後は物を言い攻め切った。

 テパネカ帝国の国王テソソモクの妻テレソネと息子のクァクァピツァワクを捕虜にしたアドルフはテパネカ帝国の領土を自由に通行できる許可を求めた。許可を得たアドルフは2人を敵に返さず、人質に取り、本国から援軍が到着するまで引き回した。あくどいやり方ではあるが仕方ない。

 マリンチェの指示通り、アドルフはテレソネとその日から同衾するようになった。現地妻にしたのである。マリンチェはあくまでも妾であった。地位としてはテレソネの方が上である。テレソネはナワ族の族長の娘で高貴な生まれであった。

 テレソネの娘婿の立場はアドルフの立場を強化し、テパネカ帝国の国王テソソモクの権力を弱めるものであった。いわば強奪によって成立した政略結婚である。

 今回はこれ位にしておきましょう。次回はいよいよ銀山の発見とテパネカ帝国の強奪です。

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注① ……テスココ

 テスココはテスココ湖の東に住むアコルワ族の中心都市であり、西のアスカポツァルコを中心都市とするテパネカと並んでメキシコ盆地の主要な勢力であった。

注② ……テスココ湖「スペイン語:Lago de Texcoco」

 かつてメキシコ中央高原にあった「ひょうたん」型ないしタツノオトシゴのような形状をした南北約65kmにわたる大きな湖 (海抜2242m) であった。現在は、南北20km、東西10数kmが残っている「ただし衛星写真によれば、埋め立ては更に進行し、2007年5月現在、5km×2km程度の長方形の区画を残すのみである」。

 13世紀頃、テスココ湖の北端には、シャルトカンというトゥラン都市をはじめとして数個の小島をもつシャルトカン湖があり、「ひょうたん」のくびれの部分をへて、「本体」の東岸にテスココ、西岸にアスカポツァルコ「後にトラコパン」、東から突き出た半島の先端近くのクルワカン、半島に区切られた南東端のチャルコ湖上の小島に築かれたヒコなどのトゥラン都市が繁栄していた。

 アステカの首都テノチティトランは、西岸近くの小島に築かれ、クルワカンの築かれた半島と西岸、テスココ湖のくびれ部分に大きく半島状に突き出た北岸に堤道が築かれていた。

 現在はメキシコシティがある。前述のようにテスココ湖の埋め立てを経て立地されたために地盤が緩く、メキシコ地震では甚大な被害が生じた。

注③ ……テパネカ帝国

 テパネカは、ナワ族の一集団で、テスココ湖の西に住んでいた。メキシコ盆地にテパネカ帝国を形成した。中心都市はアスカポツァルコだった。有名なアステカ族はテパネカの属国であり、首都をテノチティトランに置いていた。

注④ ……トラテロルコ

 トラテロルコは、かつてテスココ湖の中の島にあったメシカ……注⑤の都市で、商業の中心だった。テノチティトランのすぐ北にあって双子都市をなしていた。現在のメキシコシティのトラテロルコ地区にあたる。

 伝説によると、1325年にテノチティトランが成立した当初メシカの人々の信仰は統一されておらず、主流派に反対する相当量の人々が1337年にテノチティトランを離れ、北にある別の島にトラテロルコの町を建設した。

テノチティトランが政治の中心として発達した一方、トラテロルコは交易の中心として発達した。

注⑤ ……メシカ

 メシカ「Mexica、ナワトル語: Mēxihcah」は、ナワ族の一集団で、メキシコ盆地のテスココ湖の島にテノチティトランとトラテロルコの2つの都市を建設した「いずれも現在のメキシコシティ」。メキシコの名はメシカに由来する。

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