第6話:中層部へおでかけ

 

 店というものは客が来ないと暇なものだ。今までは客としての立場しか知らなかったティアは、店番の退屈さを痛感していた。これは一体どうしたものか。せめて話し相手が欲しいものである。いっそのこと、街の散策にでも出掛けようか。


「よし、今日はもう閉めよう」


 思い立ったらすぐ行動。どうせ客は来ないのだから、たまには早く閉めてもいいだろう。店を素早くしまうと、荷物を置きに宿へ戻ることにした。遊ぶと決めたティアの足取りは軽い。

 宿に帰る道中、同じように花屋を開く同業者達を見かけたが、どこも似たような花を売っていた。何の変哲もない普通の花だ。それにも関わらず、ティアの店とは比べ物にならないほど繁盛している。あれは一体どういうことだ。悔しがったティアは「今に見てろ」とガンを飛ばしてみるが、なんとも虚しいだけであった。


 宿に帰ると相変わらず無愛想な宿主が受付で酒を飲んでいた。ティアを一瞥いちべつするが、すぐに興味を失ったようで酒盛りを再開する。トーカスでも屈指の安さと汚さを誇る宿だ、愛想などを求めるべきではない。ティアも無理に関わるつもりは無かった。


 荷物を置いて宿を出ると、日は少し傾き始めていた。取り敢えず川沿いを上ってみることにする。透き通るような川は、水の都市の名に恥じないほど綺麗だ。大きな川は表街道のそばを流れており、街の景観を楽しみながら川を上れるのだ。川は幾重にも枝分かれしており、比較的細い川が街の至る所へ流れていく。街中に張り巡らされた水路が入り組んだ街の隅々まで水を届けるのである。


 トーカスの街は緩やかな傾斜が付いている。元々、崖の一角が削れてなだらかな坂になり、そこに河が流れて街が形成された。昔は巨大な滝になっていたのだが、崖が削れたことにより水がそこへ集中したのだ。ちなみに、水はやがてティアの故郷である微睡みの森に流れていく。

 巨大な坂の上に形成されたトーカスの街は、下の方へ行くほど川が枝分かれしている。逆に言えば川数が少ない上の方ほど住んでいる人も少ないのだ。下層部は行商人達の露店が立ち並ぶ表街道やスラム街。中層部は比較的裕福な住民が住み、上層部にはファルメール卿を始めとしたこの街の支配者階層が住んでいる。


「おっとと……」


 川の縁に登って遊びながら街を歩く。こうしていると、夜な夜な街を歩いていた時を思い出した。あの時もこうやってぶらぶらしたものだ。手を広げてバランスを取りながら街を眺めると、そこには懐かしい景色が広がっていた。


 緩やかな坂を登るにつれ、人々の服装も少しずつ変わっているようにティアは感じた。下層部とは違い、見るからに上等な服装を着る人々。彼らに比べて、自分が酷く悪目立ちしていることにティアは気が付く。活気溢れる下層部とは違い、街の雰囲気もどこか落ち着いていた。汚れた服を来ている人間なんて誰一人もいない。


「……そろそろ新しい服を買わないとな」


 下層部の住人だからといって、中層部や上層部に行けない決まりは無い。しかし、流石にボロボロなコートで歩く場所ではない事ぐらいティアも察した。そう自覚すると急に居たたまれない気持ちになってくる。まるで自分が何か悪いことをしたような、周りが自分を見ているような、そんな気持ちだ。


(不思議なものだ。以前はこんなこと気にもしなかったのに)


 ふと目をやると、小さな男の子がチラチラとこちらを見ていた。その瞳は明らかに好意的なものでは無い。男の子だけに限ったことではなかった。周りの人間達が皆同じような目をしている。きっと眉をひそめているのだろう。どうしてこんな所にスラムの人間が、と思っているに違いない。


 なるほど、人は周りと違う者を排他するらしい。確かにこの場所でボロコートは似合わないだろう。おかしな仮面は目立つに違いない。しかし、それだけで嫌悪する気持ちをティアには理解できなかった。他者はどこまでいっても他者だろう。わざわざ気にする必要は無いし、気にするほうがおかしいのである。


 今日はここまでにするか。そう帰ろうとした時だ。とある姿が目に入った。


「あれは……ミリィ?」


 見覚えのある銀髪。小さな背丈。しかし、雰囲気はいつもと違う。屈強な男達が付き添っており、あの太陽のような笑顔は一切見れない。表情だけ抜け起きたように能面だ。綺麗な顔立ちと相まって、まるで人形のようである。一体どちらがゴーレムなのだと言いたくなるくらいだ。


 一瞬声を掛けようと思ったがやめることにした。あれはティアの知らない顔だ。だからきっと、ティアの知っているミリィではないのだ。ティアの知っているミリィは太陽のように笑い、キラキラとした瞳でいつも楽しそうにはしゃいでいる。だからあれは違うのだ。結局ミリィはティアの存在に気付くことなく、店を出ると坂を登っていった。


 流石に後を追ったりはしない。客のプライベートは尊重するのがティアの流儀だ。人それぞれ理由や考えで隠していることがあり、それは人間に限らずティアだってそうだ。何なら秘密の塊だ。人はそれをお互い様と呼ぶ。踏み込んでいい領域はよく見極めなければならない。


 ミリィが見えなくなるのを見送ると、ティアは来た道を引き返した。行きと帰りでは景色が少し違って見えた。トーカスという街の冷たい一端を見たような感覚だ。いつの間にか太陽が傾いており、一日の終わりを告げている。夕日に照らされ、独りぼっちの影が川に落ちて反射した。ペタペタと、ティアの歩く音が路地を打つ。


 この街はまだまだ知らないことが多い。それが分かっただけでも、収穫はあったのだ。



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