第31話 黒薔薇(後編)
川口の退院の日がやってきた。川口の本物の夫が病室に現れるなり、川口は姿勢を正して挨拶した。
「先生、お久しぶりです」
夫のことは習字の先生だと思っている。
「貴方、この方が習字の先生の川口さんよ」
主治医の牧瀬に夫を紹介する。川口の夫は不快感を露わにしながら顔を赤らめた。
「先生、このまま退院しても同じことの繰り返しでは?」
川口の夫は小声で聞いてくる。
だからといって一生病院にいられるほど川口の状態が悪いわけでもなく、暴れたり自傷行為はないので退院しか道は無い。
「帰宅して、通院し様子を見てください」
牧瀬が病室を出ようとすると川口が泣き始めた。
「また離れるのね。貴方と離れるなんて辛すぎるわ……嫌よ……嫌よ……貴方と離れるなんて……嫌……嫌……あ……あぁ……あぁぁあっ……」
川口の夫が準備を進めるのを確認すると牧瀬は一礼してから病室を出た。川口の泣き声が聞こえるが、自分も限界を迎えそうだった。
その時、後ろから川口の夫が牧瀬の元へと駆けてきた。
「先生、次からは違う病院に通院します。ありがとうございました」
「わかりました。お大事にして下さい。紹介状を準備しておきますので受付で支払いの際に受け取って下さい」
川口の夫はペコリと頭を下げた。
牧瀬は外来に戻ると診察室で紹介状を作成した。コップに入っている黒薔薇が目に入り、ゴミ箱に投げ捨てた。
やっと、あの人に会わなくて済む
牧瀬の安堵した気持ちとモヤモヤした気持ちがコップの底にたまる黒い墨汁のように見えた。
紹介状を作り終えると彼女の異常なまでの愛情から逃れられることの嬉しさに歓喜した。
いつしか牧瀬は川口のことを患者の一人と思えなく無くなり、一人の人間として憎むようになっていた。
『黒薔薇 花言葉 憎い』
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