復讐の終わりと、神殺しの始まり③

1.ベストフレンズ(地獄)


 俺は一人、今川軍の中に潜入していた。

 素の隠形に加え幽羅が用意してくれた隠蔽の符を貼り付けていたので潜入は容易だった。

 堂々と目の前を不審者が歩いていても誰も気付きやしない。

 お陰で、俺は誰憚ることなく義元の近くに陣取ることが出来た。


 何のためにそんなことをって?

 決まってる、信長を見定めるためだ。


 その強さが徒となり、今川軍の緩みはもう限界に達していた。

 そこで義元はしょうがないと、桶狭間で大々的な休養を取ることに決めた。

 織田家が――信長が万に一つの勝機を掴むなら、今この時しかない。

 巨人今川が柔らかい脇腹を晒している今に全賭けするしか、勝利はあり得ない。

 信長は来るのか、来ないのか。

 それを見定めるために俺は義元の傍に陣取っていたのだ。


 それで、その結果なんだが……結論だけを述べるのなら当たり。

 当たりも当たり、大当たりってなものだ。

 破れかぶれのそれではない、確かな勝算を胸に士気旺盛な織田軍は突っ込んで来た。

 それだけでも十分だったが、


(まさか信長が直接、義元のところまでやって来るとはな)


 迷いのない奇襲も良かったが、本番はその後だった。

 義元に切って見せた啖呵は背を、命を預けるに足るものだ。

 ゆえに俺は一切の迷いなく符を引き剥がし、隠形を解除し表舞台に躍り出た。


「…………え……は? 貴様、カール……」


 振り切った足を戻し、信長を庇うように義元との間に割って入る。

 信長は随分困惑しているようだが……まあ、大丈夫だろう。

 俺が何を言わずとも直ぐに頭を切り替えてくれるはずだ。

 それよりも今は、


「馬鹿な……何故、再生が始まらん……?」


 斬り飛ばされた自身の右腕を唖然と見つめる義元。

 隙だらけで、今直ぐにでも首は獲れるんだが……それはちょっと困る。

 信長のためにも少しばかり囀ってもらわねばならんのだ。


「まさか……そなた……“草薙”の……!?」

「御名答。海を越えて遥遥、屑どもを殺すためにやって来たんだ。歓迎してくれよな」


 これまでの超然とした態度はどこへやら。

 義元は明らかに、追い詰められていた。

 まあ、そりゃ当然か。不死身の肉体に物を言わせてただけだからなコイツ。

 こんなアホみたいな場所で休息を取ったのもそう。

 仮に奇襲を受けても自分が、今川家の柱が折れることは絶対にないと確信していたからに他ならない。


 むしろあれだろ。

 ここらで一発、軍を引き締めるために奇襲を受けても良いとすら思ってたんじゃねえのか?

 被害は出るが、それでもたかが知れているし勝ちは揺るがない。

 何せ信長らが勝とうと思ったら義元の首を獲る以外に方法はないのだ。

 で、それは絶対に不可能なわけだから……ねえ?


「しかしまあ、海道一の弓取りも堕ちたもんだな? ええ?

屑から貰った力でイキってる今の姿、最高に無様だぜ。

たかだか腕一本飛ばされた程度でオタつくような玉無し野郎がなーに偉そうに振舞ってんだか」


 見れば分かる。

 今川義元はかつて“黄金”であったのだと。

 心身共に、傑物と呼ぶに相応しいものを備えていたのだと。

 だが、今じゃ見る陰もない。経年劣化で黒く燻んでしまった。

 原因は語るまでもない。八俣遠呂智の力だ。

 やっぱアレだな、人間、不死だとかそういうのを手に入れたら堕落待ったなしだわ。


「クッ……! その男を――――」

「無駄だ」


 雑兵どもを一斉に突っ込ませて逃げる隙を、ということだろう。

 が、俺がそれを見過ごすとでも?

 何のためにずっとここでスタンバってたと思うんだよ――既に仕込みは終わってる。


「ギャアァアアアアアアアア!?」

「お、お前、何を……」

「ち、違う! 身体が、身体が勝手にぃ!!?」

「逃げろ! 早く俺から離れろ!!」


 事前に染み込ませていた気を励起させてやれば後はこの通り。

 俺の不純で不埒なマリオネットお人形遊び・プレイにより今川軍は同士討ちを始めた。

 ちなみにこの仕込み、義元の周辺に居る奴らだけにやったわけではない。

 今頃、戦場のあちこちで今川軍による同士討ちが始まっているだろう。

 マリオネット・プレイは本来、身体の制御を奪うだけの技で視認してなきゃ不可能なんだが……。


(今は裏技を使ってるからな)


 駒の操作は虎子と竜子に任せてあるので、上手いこと引っ掻き回してくれるだろう。

 つーか虎子はアレだな。

 賭けは俺の勝ちなわけだし、ぜってーストリップさせてやらなきゃ(使命感)。


「残念だな義元。愚かだな義元。お前は何も成せぬままここで死ね」

「……草薙の男。分かっているのか? ここで余が死ぬということの意味を」


 お、良い感じの切り出し方だ。

 俺もちゃっちゃとお前殺して本命の首獲りに行きたいからよ。

 さっさと済ませようぜ。


「終息に向かいかけた戦乱の世を更に混沌とさせることもそうだが……義輝だ。

あのような愚物に将軍の座を握らせることの危険性。

他ならぬ、そなたならば分かっているはずだ」


「じゃあ何か? お前がこの国の支配者になればマシになるとでも?」


 無論、と義元が頷く。


「無軌道且つ無思慮にアレの力を利用すればどうなるか。

それが分からぬほど、余は愚かではない。アレは触れてはならぬものなのだ」


 とうに困惑から立ち直っている信長の様子をちらと窺う。

 期待通り、俺と義元の会話から情報を得ようとしているようだ。

 OKOK、ホントにありがたいことだわ。


「だからこそ、余にはそなたと櫛灘の姫を最高の待遇で迎える用意がある」


 最終手段はキッチリ確保するが、決して嫌な思いはさせない。

 平時はむしろ特権階級として扱ってくれるってことだろう。

 なるほど、確かにその点はしっかり弁えてるな。

 自分の邪魔をするかもしれんと櫛灘の姫らを殺しにかかった義輝とは違う。

 だが、


「論外だな。もしも俺が今川義元と手を組む道があったのだとしたら、だ。

それはお前がその力を受け取る前、堕落し切った屑になる前だろうさ」


 既に分水嶺は過ぎた。

 今川義元に残されたのは惨めにくたばる未来だけだ。


「余を嘲るか! 余がこの力を手に入れたのは……」

「他の連中への対抗手段ってか? 嘘吐けよ」


 トップ一人が不死身になったところで何だってんだよ?

 優秀な当主がずっと家を束ねていくってのは、確かに脅威かもしれない。

 だが所詮は個人だ。やりようは幾らでもある。

 義元らのような立場の人間なら尚更だ。


「武田や上杉、北条の頭が不死身になったとしても勝敗にはさして関係ねえだろ」


 織田家はそれほどの兵力がなかったから、

 義元の首を獲ることで勝利を狙おうとしたが今川は違うだろう。

 別にトップの首を獲らんでも戦争には勝てる。

 将が居なきゃ兵は動かせない。兵が居なきゃ戦争は出来ない。


「それとも何か? 御当主様自らが無敵の盾になるって? アホらしい」


 無敵の盾でも一個しかないなら意味ないだろ。

 盾の護りが届かないところを狙えば良いだけだもん。

 そうすれば戦争には勝てる。


「不死身の当主は……そうだな。幽閉して表向き殺したってことにでもすりゃ良い」


 八俣遠呂智の力で不死性を得たと言ってもだ。

 アダムのように神から直接、力を与えられたわけじゃない。

 あくまで将軍職というフィルターを通してだからな。

 絶大な力もセットでついて来るってわけじゃないんだ。捕縛出来ないことはない。

 捕縛してからもそう、封印なり何なり幾らでも方法は模索出来るだろう。

 守人の一族は勢力的に大名を相手取れるほどじゃないが義元は違う。

 天下に王手をかけようとしてるほどの大勢力だ。

 封印に必要な高位の術者を多数集めることも可能だ。

 何なら守人の一族と手を結んで封印するって手もある。

 八俣遠呂智の力を宿していなければ利害は衝突しないからいけたはずだ。


「なあオイ、二十にも満たぬ小僧に思いつくことがだぜ?

歴戦の将であり独力で最も天下に近付いた男でもあるアンタに気付けないはずはねえだろ?」


「……ッ」


 というか、コイツ未だに逃げる隙を狙ってやがるな。

 この辺の生き汚さは結構、好感持てる。


「結局のところ、お前は負けたんだよ。老いさらばえていく自分に、不老不死の誘惑に」

「違う!!!!」

「いいや違わないね。透けて見えるんだよ。糞くだらねえ野望がな」


 信長への勧誘聞いてる時に、ピンと来たんだよね。


「なあオイ義元――お前、将軍職に就く気ないだろ」

「――――」


 だってそうだろ? 不老不死なんだ。

 義元が将軍に就いてずっと幕府を存続させりゃ良い。後継者なんざ要らんだろ。

 なのに何故、後継者を求める? コイツは一体何になりたいんだ?

 そう考えた時、答えは一つだ。丁度良い例もあったしな。


「だからお前は後継者を欲した」


 そりゃ義元も完全に放り出す気はないとは思うぜ。

 だが、政の大体は放り投げるつもりなのは間違いない。

 じゃなきゃ信長を孕ませてその子を次代に据えようなんて言わんだろ。


「お前のなりたいモノを当ててやろうか?」


 不老不死ってのはなあ、衆愚を操る道具としてすげえ役に立つんだよ。

 例えばそう、本願寺顕如。

 野郎は自分が死なないのは御仏の加護を得ているからとかほざいてるらしい。

 何も知らない奴からしたら、ガチで信じちまうよな?

 だってそうだろ? 首を刎ねられようが何されようが死なないんだぜ?

 超常の存在に護られてると錯覚しちまうのも無理ねえよ。

 でもまあ、顕如はまだ謙虚な方だ。御仏の加護とは言っても御仏そのものとは言ってないもん。

 だが、義元は違う。


「――――お前、神様になりたいんだろ?」


 何で神になりたいかって?

 老いず朽ちず果てず、永遠と完全を体現する存在だからだよ。

 衆愚に崇めさせたところで本当に神様になれるわけでもねえのにな。

 不老不死の力は所詮、お零れであって義元のものでも何でもない。

 コイツ自体は不老不死の力を手に入れただけの人間だ。それ以上でも以下でもない。

 傍から見れば馬鹿だと思うよ。

 でも、コイツはそれだけ恐れたんだ。

 老いて朽ちて、いずれ果てる不完全な人間で在り続けることがどうしようもなく恐ろしかったんだ。

 だから縋り付いた、邪神の力に。

 だから縋り付いた、自らを神格化して崇めさせるなんて虚しい慰めに。


「堕ちるとこまで堕ちたってのは、こういうことを言うんだろうなあ」

「……ッ! 小僧! 余を愚弄するか!?」

「キレるってことは図星ですって言ってるようなもんじゃねえか」


 信長の顔を見るに、もう十分っぽいな。

 興味は引けただろうし、考えるための材料も与えられた。

 ちゃっちゃと殺してや――――


「む?」


 この国では異質な力を感じたと思ったら、

 義元を囲むように配置していた雑魚どもの一角が吹き飛んだ。


「御無事ですか義元様!!」


 崩れた包囲網の一角から飛び込んで来たのは俺とタメぐらいの茶髪の男。

 右手に杖を持ち、黒のローブを纏うそいつを俺は知っていた。


「! そなたは松平の!!」


 ほう、松平の。つーことは今川の走狗なわけだ。

 ふーん、へーえ。


「義元様、ここは私が――――あ」


 どうやらあっちも俺に気付いたらしい。


「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな」

「え……カール……え、何で……は?」


 クロス、悲しいよ俺は。

 久しぶりに会えた幼馴染を殺さなきゃいけないなんてさ。

 俺は殺意を漲らせつつ、義元の両脚を斬り(蹴り)飛ばした。


「俺の邪魔をしたな? したよな? 良いぜ、ならもうお前は敵だ」

「ま、待て! 待ってカールくん! 落ち着こう!?」

「お前諸共、松平家を殲滅する覚悟は決まった。さよなら僕のお友達」

「クッソ! 駄目だ、完全にキレてる!」


 言うやクロスは迷いなく背を向けて逃げ出した。

 追おうとするが、魔法の弾幕が飛来し俺の進撃を阻む。


「カール! そういうつもりじゃなかったんだ! 僕は敵じゃない! 敵じゃないからなマジで!?」


 そう捨て台詞を残してクロスは戦域を離脱して行った。

 何しに来たんだテメェと言いたくなるような見事な逃げっぷりである。


「……まあ良い」


 アイツのことは後で考えれば良い。

 予定も立て込んでるし、関わってる暇はないのだ。


「待て! 考え直せ! 余が死ぬことの意味を今一度……」

「もう良いよ、そんなの」


 そもそもの話、義元と俺は根本的に相容れないのだ。

 さっき言ってた最高の待遇云々が正にそれだ。

 俺は庵に絡み付く呪われた運命を断ち切りに来たんだぞ?

 何でまたわざわざ縛り付けられるようなことをせにゃならんのだ。


「死ね」


 蹴撃一閃。

 俺の蹴りは綺麗に義元の首を刎ね飛ばした。

 宙を舞う首を引っ掴み、俺は改めて信長に向き直る。


「ほれ」

「……何のつもりだ?」


 差し出した首を見て、怪訝そうな顔をする信長。


「アンタと盟を結びたい」

「その代金に義元の首を、ということか?」

「違う」


 早とちりが過ぎるな、織田信長。

 流石の俺もそこまで馬鹿じゃねえよ。


「義元程度の首でアンタと手を結べるとは思っちゃいない。

盟を結ぼうってんなら、まずは話し合いだ。首はその場を設けるための代金だよ」


 義元の首にも、その程度の価値はあるだろう。

 俺がそう告げると信長はキョトンとした顔をして、


「……ック……ハハハハハハハハ!!」


 肩を震わせ笑い始めた。


「交渉の場を設ける程度の値打ちしかないか! こ奴の首は!!」

「まあね。昔ならいざ知らず、今の義元にゃそこまで価値はない」


 というか、信長自身も踏み台って言ってたじゃん。

 踏み台の首一つで同盟を結ぶなんて自分を安売りし過ぎだろ。


「はー……笑わせてもらったわ。ああ、よかろう。おれも色々と話を聞きたかったしな。

実際に盟を結ぶかどうかはさておき、話し合いの場を設けるというのには賛成だ」


 ありがたく受け取っておこう。

 そう言って信長は無造作に首を受け取った。


「それじゃあ、後日またアンタを訪ねるから詳しい話はその時にでも」

「ん? おれは今からでも構わんぞ」

「いや、これからアンタとの話し合いよりもずっとずっと大事な予定があってね」

「ほう……何だそれは?」


 おいおい、もう忘れたのか?

 言っただろ? 俺がこの国に来た目的を。


「――――復讐だよ」




2.ショータイム!


 足利義輝、三好長慶、松永兄弟、三好三人衆。

 二条御所には足利政権の中枢を担う者らが集まっていた。


「ええい! 忌々しきは今川よ!

一門の者でありながら正統たる余を排し将軍の座に就こうなど……!!

このような無法が許されて良いのか?!」


 上座に座る義輝が唾を撒き散らしながら叫ぶ。

 一ヶ月ほど前に今川上洛の報を聞いてから義輝はずっとこんな感じで、

 長慶を除く者らは表には出さないものの心底呆れていた。


(阿呆ですね。今日の窮状を招いたのはあなたでしょうに)


 どこからケチがついたのかと言うなら、やはり櫛灘姫の暗殺だろう。

 しかし、それを差し引いても義輝の無能は際立っている。

 特にあの、諸侯を招いてのデモンストレーション。

 あれがなければ、将軍職の真実を知らねば、

 義元は上洛していても義輝を将軍の座から下ろすことはなかったはずだ。

 お飾りの将軍ですら居られなくなったのは全部義輝のせいだ。

 あんな真実を聞かされた後で、義輝を将軍職に就けておこうとする阿呆が居るものか。


「長慶! これも全てそなたのせいだぞ!? 分かっておるのか長慶!!」

「……我が身の不明、重々承知しております」


 深々と頭を下げる長慶。

 その姿を見つめる久秀らの目は心底冷え切っていた。


(……最初は、罪悪感もあったんですがね)


 カールに頭を垂れると決めてからも、正直罪悪感はあった。

 長慶への申し訳なさがチクチクと心を苛んでいた。

 だが、今はもうない。

 勝手に期待しただけ、確かにその通りだ。


(それでも、私たちは十分義理を果たした)


 久秀はカールに未来を、可能性を見た。

 だからこそ、こうして直に長慶と対面し……気付いてしまったのだ。

 怖気が走るほどに眩い、綺羅星とも禍星とも言えぬカールと比べ長慶はどうだ?


(ただただ無様)


 何が切っ掛けかは知らないし、今更知ろうとも思わない。

 長慶は一人の女として義輝を愛している。

 ああ、それは良い。それ自体は構わない。

 だが、盲目的に従うだけのくだらぬそれに何故自分たちも振り回されねばならないのか。


(……三好三人衆が直ぐ誘いに乗ったのも、今なら分かります)


 なまじ距離があったせいで四六時中辟易とさせられることがなかった。

 だから裏切ることを決めても直ぐに罪悪感を捨てられなかった。

 が、三好三人衆は違う。彼らは距離が近過ぎた。

 それゆえ正直に目的を告げたら、喜び勇んで勧誘に乗ってきたのだろう。


「が、今一度機会を頂ければ必ずや義輝様を将軍の座に押し戴いてみせまする」

「……う、うむ。そうだな、見事挽回してみせよ」

「ハッ! そのためにもしばし、不自由をおかけ致しますがどうかお聞き入れ願いたく」


 長慶はかなり前から今川に渡りをつけていたらしい。

 内側から崩して、最終的に義輝を返り咲かせるつもりなのだろう。

 久秀からすると無茶無謀極まるとしか言いようはないが、


(能力自体は確かですからね)


 長慶ならば出来るのだろう。

 具体的にどうやってなのかは分からないが、やってのけるのだろう。

 未だ義輝を将軍で居させているその手腕は伊達ではない。


(弱点らしい弱点は男の趣味と……)


 心を許した者に対する無警戒さぐらいか。

 なので自分たちを引き込み義輝と長慶を殺すというカールの選択は最善手と言えよう。

 などと久秀が考えていると、


「失礼致します!!」


 伺い立てもなしに部屋の中に飛び込んで来た男を見て長慶と義輝以外の全員が悟る。

 ああ、いよいよかと。


「何事か! 無礼であるぞ!! 余を誰だと心得ておる!?」

「御無礼、百も承知。ですが、どうしても皆様のお耳に入れたきことが」


 男はゴクリと喉を鳴らし、こう告げた。


「……――――今川義元、桶狭間にて討ち死にとの事」


 その報せを聞いた義輝は一瞬、目を丸くし、直ぐに喜びを露にした。


「フハハハハハハ! ざまぁないな義元め! 天に歯向かうた報いじゃ!!」


 おめでたい男だ。

 少し考えれば分かるだろう。

 この報告の異質さが。

 何故、義元は死んだ? 八俣遠呂智の力を得ているはずなのにと疑問に思うべきだ。


「――――」


 長慶は直ぐに察したのだろう。

 それも、かなり深いところまで。

 ぶわ、と噴き出した汗がそれを物語っている。


「義輝様、今直ぐ京を離れますよ」

「は? そなた何を言っておる?」

「申し訳ありませんが力づくでも連れて行かせ……」


 その言葉を遮るように、義元死亡の報告を届けに来た男が“破裂”する。

 降り注ぐ肉と血の雨は、この場に居た全員に確実な空白を生じさせた。

 しん、と静まり返った室内。

 刹那の静寂を切り裂くように場違いなほどに明るい声が響き渡った。


「ウフ……ウフフ……ンンンーハハハハハハハハハ! ハーイ、調子良い?」


 開け放たれたままの襖の向こうからカールが姿を現す。

 が、その姿は常のそれとは違っていた。

 この国にはそぐわぬ、奇抜な色の洋装を身に纏い顔には乱雑なピエロのメイク。

 テキトーに引いたであろう口元の紅は、まるで口が裂けているかのようで酷く不気味だ。


「はひ……く、曲者だ! 出会え! 出会えぇえええええええええ!!!!」


 義輝の号令に応えるように。

 否、それよりも早く長慶が動こうとするが……。


「動いたら殺す」


 首筋に突きつけられた刃がそれを制止した――明美だ。

 一体何時の間にやって来たのか、久秀にもそれは分からなかった。


「ひ、久秀! 長頼! 長逸!宗渭! 友通! 何をしておるか! はよう、はよう何とかせい!!」


 松永兄弟、三好三人衆の名が呼ばれる。

 しかし、誰一人として動こうとはしない。


「元気が良いねえ? 何か良いことでもあったのかい?」


 ふらふらと身体を揺すりながら近付くカール。

 しかし、義輝は動けない。

 気安い態度の裏に隠れる、無形の圧が義輝を縛り付けているのだ。


「俺もそうなんだ」


 ひゅっ、とカールの右手がブレたかと思うとベチャリと何かが壁に叩き付けられた。


「え……あ……あぁあああああああああああああああああああああ!!!!!?!?」


 あまりの早業に痛みが遅れてやって来たのだろう。

 “毟り取られた”右耳があった場所を抑えながら義輝がのたうち回る。


「く、草薙の男……」


 長慶が呆然と呟く。

 そう、けったいな姿をしているが何者かは明白だ。

 義輝に傷を刻める存在は極々僅かで、尚且つ異人となれば一人しか居ない。


「ひ、久秀! あなたたち、まさか私を……!!」


「ッハハハハハハ! おめでたい恋愛脳だな長慶ちゃん?

っく……はー……自分の行動を振り返ってみろよ? 慕われる要素がどこにあったよ?

それとも何かい? 愚かさを晒しながらもここまで付き従ってくれたから。

だからぁ……もうすっかり味方だってぇ……あー、勘違いした? 一蓮托生だって?」


 耳が痛いのは自分だけではないだろうと久秀は思った。

 事実、カールが現れねばそのつもりだったのだから。


「ま、それはさておきだ」


 長慶に向けていた視線を再度、のたうち回る義輝に戻したカールは溜め息を一つ。

 そして、


「ちょっと静かにしてくれないか?」

「~~!~!!!~!?!?!!!~!!」


 一切の躊躇なく義輝の股間を踏み潰した。

 声にならない絶叫を上げる義輝に顔を近付けたカールは一言。


「これ以上うるさくしたら殺す。分かった? 分かったなら頷け」

「……ッッ!!」


 両手で口元を覆い、涙ながらに何度も何度も義輝は頷いた。


「OKOK。良い子だ坊や。

そろそろ主役のお出ましなんでね。汚いBGMは勘弁して欲しかったんだよ」


 酔っ払いのように頼りなく前後左右に身体を揺すりながらカールは言った。

 そう、主役だ。この場における主役は彼ではない。

 事前に知らされていた久秀たちですら、正直、緊張していた。

 何せこれから登場する主役は、彼女らにとっても重い存在だから。


「さあ、皆さん拍手でお出迎えください!!」


 バッ! と広げられた左腕の先。

 カールが現れた場所から、一人の童女が現れる。


「ンフフフフ……可愛いお嬢さん、お名前を聞かせてくれるかな?」

「櫛灘庵」


 櫛灘の姫は長慶と義輝を見渡し、こう告げる。


「――――あなた方に母を殺された者です」


 その瞬間、義輝と長慶の顔がさっと青褪めた。

 後者はカールが現れた段階で予想はしていたのだろう。

 だが、いざ目の前にすると冷静ではいられない。

 これより起きるであろう惨劇に、恐怖を抑え切れなかったのだ。


「んー……はぁ。良い自己紹介だったぜ庵」


 それじゃあ、とカールが笑顔で宣言する。


復讐劇It's を始めようShowtime!!」

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