偽りのコッペリア②
1.可能性の”妹”
大画面の魔法テレビで繰り広げられる夜の闘争。
アンヘルとシャルロットは手元のカップに注がれた紅茶が冷めてしまうのも忘れ、魅入っていた。
「「……」」
二人の瞳に一切の邪心はなく、どこまでも澄み切っていた。
真剣に、真剣に学ぼうとしているのだ――――教材(意味深)から。
頬を赤らめるとかそういうリアクションもなく、
命題に没頭する研究者のようにどこまでも真剣な面持ちで画面をガン見する二人。
これが一国の皇女だ! これが世に名高き騎士の姿だ! その誉れ高さは常軌を逸していた。
「…………ディープなのが続いたからと、口直しに普通のを観始めたけど」
「うん、分かる。本当の意味で王道ってこういうことなんだね」
それはさながら美食を求め世界を流離った食の探求者が最後に帰る場所、
すなわち家庭の味であるかのような、そんな深い何かを悟ろうとしていた――AVから。
「奇を衒ったものも時には良いだろう」
「だけど原点。最後にはそこに帰るって場所が人には必要なんだよ」
「それな」
二人同時に冷めた紅茶を流し込む。
本当は美味しくないそれが、何故だか今はとても美味に感じられた。
恐らくは真理の一端に手をかけたという充足感のお陰だろうとアンヘルはしみじみ紅茶の味を噛み締めた。
「人は何のために性行為をするのか。我々は改めてそこに向き合うべきだと教えられた」
「子を成すため。もっと正確に言うなら、血を未来に繋ぐため」
「その通り。だけど……」
「うん、それだけじゃない。
神妙な面持ちで、禿上がるほどに阿呆な会話を繰り広げる二人。
こんな場面を第三者に目撃されたらとんでもないスキャンダルになるだろう。
だが案ずることなかれ。アンヘルはそこら辺、抜かりはない。
純愛魔法まで行使した完全防音結界。
許可なき者は絶対に入れないようにした絶対遮断結界。
この二重結界に護られているからこそ二人は気兼ねなく論を交わすことができるのだ。
「ああそうとも。それじゃあ獣のそれと変わりはない」
「高度な知性を有する人間はそれだけじゃ駄目なの」
「命を繋ぐという生命に課せられた使命」
「私たちはそこに”愛”を見出した」
人間にとっての性行為はただ命を繋ぐためのものではない。
互いの愛を確かめ合う儀式としての側面も持つのだとアンヘルは断言する。
「実に有意義な時間だった」
「ただの口直しで、とんだ真理を見つけちゃったよ」
今見ている教材の設定は、本当に極々有り触れたもの。
夫と妻、彼氏と彼女。ベースはその二つ。
だが新婚夫婦、熟年夫婦、喧嘩ップル、互いに初めてなカップル、
などなど様々な切り口から営みを見せてくれるのだ。
エロスもそうだが、それ以前に男と女の間に存在する見えない糸。
そう、愛という名のそれを前面に押し出した構成に惜しみなく拍手を送りたい。
アンヘルは充実感と共に監督の名前を脳裏に刻み込んだ。
「はぁー……良かった。本当に良かった。次、何を見る?」
「うーん、色々あるからなあ」
「なら、ちょっと休憩でも入れるかい?」
「そうしよっか」
テーブルの上に置いてあるスコーンに手を伸ばす。
「ううぅ……私もラインハルトさんと行くとこまで行きたいなあ」
さめざめと涙を流しながらスコーンに齧り付くシャルロット、
先ほどの教材で恋人たちの営みに対する羨望が限界突破したようだ。
「……私も、偶にはああいう感じでしてみたいかな」
「カールに頼んでみたらどうだい? 何時もお嬢様ばかりが受け入れるのはアンフェアだろう」
「ううん、良いの。カールくんが喜んでくれるのが一番だから」
アンヘルはニコリと微笑む。
その笑顔に一切の嘘はない。
自身の願望や欲求はあれどもそれは二の次。
一番はカール、そこだけは絶対にブレさせるつもりはなかった。
(次はどんなことをお願いされるのかな?)
彼が欲望をぶつけてくれる、自分が欲望を受け止められる存在だと認識してくれている。
そう思うだけで胸が熱くなるというもの。アンヘルは幸せだった。
(むむむ)
思考をフルに回転させ次なるリクエストを予想するアンヘル。
その明晰な頭脳が導き出した答えは、
(…………妹?)
最近、庵と暮らし始めたことで妹というものに興味を持ち始めたのではなかろうか。
何せあの子は年齢的にも立ち位置的にも妹のようなものだから。
その妹のような存在に手を出した鬼畜的事実はさておくとしてだ。
カールが妹という属性に執心している可能性はかなり高いように思う。
(私もリアルで妹という肩書きはあるけれど)
そこに胡坐を掻いて本番に臨んでもカールは決して満足させられないだろう。
あくまで”プレイ”、作られた、作り上げられた世界観が大事なのだ。
彼は何と言うか、作り物、作られた物ゆえの醍醐味というものを愛しているように見える。
作るための努力だったり、どう足掻いても埋めきれない嘘臭さだったりを含めてプレイに興じているのだ。
だからこそアンヘルは胸を張って断言できる。
自分は誰よりもその期待に応えられると。
単に妹というだけなら年齢的にも立場的にも庵の方が相応しいだろう。
(でも、私の方が誰よりも妹になれる)
年齢はカールより上で、毎日寝食を共にするような立場ではない。
だからこそ――――彼の望む妹になれるのだ。
年齢や立場と言った埋められない嘘臭さを武器にできる自分だけが。
(だからこそ真剣に考察しなきゃいけない)
どんな妹を望まれているのか。
お兄ちゃんをからかう小悪魔的な妹?
ちょっとおバカで元気な妹?
引っ込み思案でお兄ちゃんの後ろにいつも隠れているような妹?
ちょっと反抗期入ってて冷たい態度を取るけど本当はお兄ちゃんが大好きな妹?
いや待て、真剣に兄が嫌いなただ生意気なだけの妹という可能性もある。
(駄目だ、次々に異なる属性の妹が思い浮かぶ……)
つぅ、とアンヘルの頬を一筋の汗が流れ落ちる。
そう、彼女は今、戦慄していた。
果ての見えぬ荒野にその身一つで放り出されたような。
駆け出しの冒険者が伝説に語られるドラゴンと対峙する羽目になった時のような。
(ここは……)
妹という名のフロンティアは、
(デカすぎる……!!)
あまりにも広大無辺過ぎた。
一字、たった一字の妹という言葉が内包する可能性はあまりにも膨大過ぎた。
(――――おゝ、これは現実には存在せぬ幻想)
ひとびとはこれを知らず、それでもやはり――そのいじましさ、その健気さ、その爛漫さを、そのしずかな瞳のかがやきすらを愛した。
たしかに存在はしなかった。しかし人々はこれを愛したから、純粋の妹が生まれた。
人々はいつも余白を残しておいた。
そしてその透明な、取っておかれた空間で妹はニコやかに微笑み、そしてほとんど存在する必要さえもなかった。
人々は穀物では養わず、いつも、存在の可能性だけでこれを育てた。
可能性こそ妹に大いに力をあたえ、ために妹の口から言葉が生まれた。ひとつの名前が。
さしてそれを兄と言ふ。
ひとりの兄のかたわらに、それはしろじろとよりそった――。
そして淀んだ瞳のなかに、そして欲望のうちに、まことの存在を得たのだ。
(可能性の妹……私に、それを掴めるのかな……違う、掴めるかじゃない)
掴むのだ。愛する
そんなアンヘルの気高き決意が一筋の光明を手繰り寄せる。
(――――無垢さ?)
そうだ、何故、自分は彼が妹に興味を持ち始めたと考えたのか。
庵だ、庵の存在以外にはあるまい。
ならば彼女から今、カールが望む妹像を見出すべきだろう。
(あまりそういうことに詳しくない……いや駄目だ、そうじゃない)
そのままだと庵に近過ぎる。
もっと、露骨に、あざとく――息を呑むほどの無垢さ。
そう結論付けた瞬間、カチリと何かが嵌る音がした。
それは欠片、未だ全容が見えぬパズルの一ピースが埋まる音だった。
(歳はかなり離れている。カールくんが実年齢のまま演じるとして、私は……)
取っ掛かりを得たアンヘルはその明晰な頭脳を以って考えを固めていく。
素晴らしい頭脳を無駄遣いしてない?
余人はそう考えるかもしれない。だが、無駄じゃない。
少なくともアンヘルにとっては大切なことだ。
乙女、アンヘル・プロシア――惚れた男のためならどこまでも尽くす所存である。
(導入はどんな感じかな)
最終的なゴール地点は定まっている。
だがそこに至るまでの過程をこそカールは大事にしている。
そこの詰めを見誤れば片手落ちなんてレベルではない。
彼に喜んでもらえなければ何の意味もないのだから。
(遊ぶ……遊ぶ、妹と遊ぶ兄……多分、そこは間違いないと思う)
だが何をして遊ぶ?
アンヘルは己が生まれを心底から嘆く。
生まれた瞬間から、次期皇帝としての教育を受けてきた。
有り余る愛情を父母から、特に父から注がれてきたが兄妹愛などとは無縁だった。
どいつもこいつも嫉妬から悪感情を向けてくるばかりで愛してもらった記憶など微塵もない。
(や、別にあの連中に愛してもらえなくても全然問題ないんだけどさ)
だが普通の兄妹がどんな風に遊ぶかだけは知りたかった。
いや別に兄妹に限らずとも良い。幼い女の子は何をして遊ぶのだ?
(…………ま、魔法の勉強してる記憶しかない)
強いられていたわけではない。むしろ楽しんでいた。
新しい魔法を学び、身に着ける喜びは確かにあった。
今はもう正直どうでも良いことだが、当時の自分は魔法こそが何よりもの娯楽だった。
「…………ねえ、シャルロットさん」
「ん、どうしたんだい? 何かさっきから深刻そうな表情してるけど」
教材のパッケージを眺めていたシャルロットに語り掛ける。
今でこそ特別な存在だが、彼女も元々は一般庶民の出だ。
ならば参考になるかもしれない。
そう思い小さい頃、何をして遊んでいたかと尋ねる。
「私の小さい頃? そうだねえ、物心ついた時には剣を振るっていたかな。
ああ、強制されたとかじゃないよ? 純粋にそれが楽しくてやってただけ」
類友だった。
ガックリと肩を落としそうになるが、
「同じ年頃の子らはおままごとやらお人形遊びをしてて、誘われはしたんだけどねえ」
どうにも性に合わなかったと苦笑するシャルロット。
彼女の性に合う合わないはどうでも良いのだ。
大事なのは、
(おままごと……お人形遊び……それだ!!)
爽やかな風が胸を吹き抜けていく。
Aut disce aut discede.――学べ、さもなくば去れ。
アンヘルの飽くなき探究心は遂に答えを見つけ出した。
(お人形を使っておままごとをするの、私とお兄ちゃんで)
キャッキャと無邪気にはしゃぎながら遊びに興じる妹。
仕方ないなと溜め息を吐きながらもシスコン気味なお兄ちゃんはしっかり付き合ってあげる。
多分、導入はそんな感じだろう。
(何ならもうおままごとに使うミニチュアとか用意してるかもしれない)
先だって大人のごっこ遊びを嗜んだ際、食事を持参したことに彼は驚いていた。
驚くと同時に申し訳なさを感じていたようにも思う。
ならば用意できる分はあちらで用意している可能性が高い。
そう推察するアンヘルだが――――大正解である。
彼女は知らないが、既にミニチュアの作成は完了している。
カールの望みを把握し、既にその準備が整えられていることまで読み切る。
ぞっとするほど鋭い女だ。
だがその恐ろしさもひとえに愛ゆえに、なのだから可愛いと思えなくもない。
(カールくんのお家、大工さんでカールくんも日曜大工は得意って言ってたしね)
ただ、人形はどうか。
人形についてはこちらで用意しておくのが無難だろう。
(確か小さい頃に父上が贈ってきたのが倉庫にしまってあったような……)
などと考えているとコンコン、とノックの音が響いた。
内から外に漏れる音は防いでいるが、外から聞こえる音は遮断していないのだ。
「お嬢様、ゾルタン様が参られました」
どうやらもう時間らしい。
一本ぐらい妹ものを鑑賞したかったのだがしょうがない。
溜め息を吐きながらシャルロットを見る。
「了解、直ぐに準備をしよう」
ベッドの上にあった礼装に着替え始めるシャルロット。
アンヘルもまた渋々ながら皇宮に向かうに相応しい装いに姿を変える。
準備が整うとシャルロットを従え屋敷の外に向かい、馬車に乗り込む。
「……ねえゾルタン、これ転移魔法でパパっと入り口まで飛ぶわけにはいかないのかい?」
「いかないね。面倒だが、しきたりというものがあるんだよ」
「正式な訪問だって言うなら分かるけど、今日は密会みたいなものなんだろ?」
「まあ、それはそうだが……」
二人の会話を聞き流しつつ、これからについて思いを馳せる。
(大方、あの人のことだから……)
誰の目も届かない密室で自分たちを再会させるのだろう。
そこで和解させ、後は家族三人で食事を――といった感じか。
無駄だ、実に無駄な時間だ。
「ところでお嬢様、これから会う姉君というのはどのような御方なので?」
「ああ……そうだね。歳は私の二つ上で……」
と、そこまで言い掛けて気付く。
自分は九歳までのあの人しか知らないことに。
周囲が気を遣って情報をシャットアウトしていたからだろう。
伝え聞く情報は最低限だった。
その最低限にしても偶然、立ち聞きしたとかその程度のものだ。
だがああ、一つだけ確かなことがある。
「――――鬼才、かな」
「ほう、それはどういう意味で?」
「そのまま。この国で、しかも皇族の才を称えるなら魔法以外にはあり得ないでしょ?」
たかだか九歳。
九歳で編み出したのだ、人格を生成するなどという無茶な魔法を。
師であるゾルタンでさえどうしようもなかった事態に九歳の子供が光明を齎したのだ。
望んだ結果こそ得られなかったが、未来でどうにかなるかもしれない余地を残せたのは紛れもない功績だ。
(……むしろ、恩人だよね)
あの苦しみを知るからこそ、素直に感謝は告げられない。
だが恨みは欠片もない、それだけは断言できる。
断言できるし実際にそう皇帝にも告げているのだが、
やはり直に目の前で隔意なく語らう様を見ないと不安なのだろう。
何て面倒な男だと嘆息しつつ、それをおくびにも出さずアンヘルはシャルロットと会話を続ける。
「十年前の時点で魔道士としては私より上だったよ」
「……皇家の白を継ぐお嬢様が、かい?」
「うん」
学問としての魔法、戦う術としての魔法。
そのどちらにおいても姉は自分を上回っていた。
もしも自分が姉と同じ立場に置かれたとして同じように人格を生成する魔法を編み出すなぞまず不可能だろう。
まあ、戦う術としての魔法の方ならば純愛魔法を得た今ならば優劣は引っ繰り返るかもしれないが。
「言い方は悪いけど”突然変異”としか言いようがないんだよね」
父である皇帝も真剣に悩んだと聞く。
最も強大な魔力を持ち、最も巧みに魔法が操れる者。
それが皇家の白を持つ者がいない場合の即位条件だ。
それに則るのであれば次期皇帝は姉に決定だろう。
だが先に挙げた即位の条件は妥協によって生まれたもの。
皇家の白を持つ者が時代時代の皇族で最も優れた魔道士であったから、それを真似ただけ。
実際、皇家の白を持つ皇帝の時代を振り返ってみれば同時代に並び立てる魔道士は存在しなかった。
だというのにそれを真っ向から捻じ曲げるようにして姉は生まれてしまった。
「最終的には前例に倣って私を次期皇帝にして、姉上はその補佐にって考えてたみたいだね」
「それはまた……何とも言えないなあ」
「ちなみに立場上一緒に習ったことはないけど私と同じゾルタン先生の教え子でもあるよ」
「それはまた……女の子で良かったなとしか言えないね」
「おい、どういう意味かねシャルロットくん」
「そういう意味だよ」
愛の戦士ゾルタン。
世間の風当たりは強くても省みる気など毛頭なかった。
アンヘルも師のそういう部分は魔法の知識や技量よりも尊敬している。
まあ仮にカールに惚れてしまったら速攻でさよなら現世をさせるつもりだが。
「二人とも、もう着いたみたいだしそこまでにしよ」
メンチを切り合う二人を諌め、馬車を降りる。
待機していた父の執事に導かれるまま宮廷内にある、
代々の皇帝が密談のために使う隠し部屋へと通される。
「わぁお……すごいなあ――っていうか、これ私入って大丈夫なの?」
「父上はそれだけシャルロットさんに感謝してるんだよ」
又聞きだがシャルロットが皇帝に期間限定ではなく正式に腰を据えたい。
そう申し出た際、皇帝は感動のあまり何度も何度も彼女に感謝を述べたと言う。
だからこそ、供として同行することを許したのだろう。
「いやはや、面映いねえ。ちなみにこのホモは?」
「何故、外様の君が通されて僕が通されないと思ったのか」
「休みの日に街に出かけて男をガン見してる変態が何を言っているのか」
皇帝、貞操の危機!
などと冗談めかしてゾルタンをディスるシャルロット。
しかし、アンヘルは知っている。それが冗談でも何でもないことを。
『――――僕の初恋は、陛下なんだ』
かつて師はそう言った。
あれは、六歳の時だったか。修行で凶悪なモンスターを相手取っていた時だ。
一息入れようと休憩をしていた際、雑談の中でいきなりカミングアウトされた。
『いや、きっと僕は今でも陛下を……』
真実の愛と出会う前の魔法が全ての幼い自分にとってゾルタンは誰よりも――それこそ父や母よりも尊敬できる存在だった。
そんな人からいきなり君の父親に惚れていると言われたのだ。
頭が真っ白になった。比喩でも何でもなく思考が完全に停止した。
『陛下には沢山の妻がおられる。正直、一人ぐらい男がいても良いんじゃないかって思うんだ』
機能停止に陥った自分を他所に師はどこかを遠くを見るように言葉を紡いでいた。
男でも良いじゃないか、男だから良いんじゃないかと。
確かに子供は産めない。だが、だがしかし、だからこそ、そこに生じる愛は純粋なものとなる。
熱いホモの論理は今でも一言一句違わず覚えていた。
(無駄に良い記憶力が恨めしい)
自分の意思とは裏腹に脳裏をよぎるロクでもないメモリー。
シャルロットが変なことを言ったせいだとアンヘルは憤慨する。
『……でもさ』
ひとしきり熱弁を終えたところで師は照れ臭そうに鼻を擦りこう続けた。
『愛する人が自分ではない誰かと肌を重ねている……正直、興奮するよね』
どこまでも無垢な笑顔だった。
あの頃の自分はどんな言葉を口にするべきだったのか。
今となってもその答えは分からない。
だけど一つ、確かなことがある――――子供に言うことじゃないだろう。
(何があろうと折れず曲がらず)
その姿勢”だけ”は本当に尊敬している。
同性愛はまあ……そういう世界もあるのかもと思えなくもない。
だが寝取られ好きに関してはまるで理解ができない。
カールは自分以外の女とも関係を持っている。
そのこと自体は許容している。自分は都合の良い女で在ると決めたから。
だがその内心では常に嫉妬が猛り狂っている。
たかだか十一、二歳の童女にさえ自分は本気で嫉妬している。
心の中で渦巻くその熱量は世界を焼く原初の火にも負けない。
それをぐっと押し殺して笑顔を作っているのだ。
嫉妬心を出すにしても、カールの劣情を煽るためのスパイスとして使うぐらいだろう。
(ホント、おかしな性癖してるよね)
しみじみと師の変態さに思いを馳せていると、隠し部屋の扉が開かれた。
現れたのは皇帝とその傍仕えが一人。
姉の姿は見えないが、まずは自分が先に話して様子を確かめようという腹積もりだろう。
「ああ、待たせてすまないなアンヘル。それにシャルロット殿にゾルタンも」
「いいえ父上、この程度苦にもなりませんわ」
「同じく」
「待つ時間の楽しさ、そういうものもあるのですよ陛下」
自分たちの言葉に頬を緩ませ皇帝は対面に腰掛けた。
「どうだアンヘル、調子の方は」
「今のところ問題ありません。ええ、楽しく日々を過ごしていますとも」
「そうかそうか……そうか、そうかあ」
くぅ、と呻き声を上げながら目を押さえる皇帝。
普段の威厳に満ちた姿は影もなく、今の彼はただの父親でしかなかった。
「良かったな、アンヘル」
「はい、本当に」
「その顔を見るに恋の方も順調なようだ」
少し複雑そうだが、それでも皇帝は娘の恋路を応援していた。
だがとうの娘は、
(――――その顔を見るに、ね)
呆れとも嘲りともつかぬ感情を胸にくゆらせていた。
皇帝は確かにその椅子に座るに相応しい能力を持っている。
人を鑑定する目もあるし、感情の機微にも聡い。
ただそれは皇帝としての能力であり、父親になった途端、この男は目を曇らせてしまう。
家庭内の不和を招くことも考えず、自分を溺愛し続けたのがその証拠だ。
(幾ら次期皇帝だからって、その子ばかり構ってちゃ……ねえ?)
他の息子、娘らが反感を抱くのは当然だ。
父親に、そして愛を注がれている対象に。
特に第一皇子、第二皇子の屈折具合はかなりのものだ。
皇帝は彼らを軽蔑している。
心根、振る舞い、どうしてお前たちはそうなんだと嘆いている。
そのくせ、彼らがそうなった原因の一端が自分にあるなどとは思ってもいない。
呆れてものも言えないとはこのことだろう。
(もし将来、規定路線のまま私が皇帝になってたらどうなったんだろうね)
確実に他の皇子、皇女らは火種となるだろう。
今の自分なら蚊トンボ如きの悪意なぞに負けるつもりはない。
だが当時の自分がそのままに育っていたら……さて、どうなっていたことか。
(私が即位する前に、父が退位と同時に粛清するならまだ良い)
だがそうはしないだろう。
明確な罪を犯したならともかく、そうでないなら血を分けた子らを皆殺しに出来るような男ではない。
愚かな父親としての顔が足を引っ張り、誰にも彼にも迷惑をかける結果となるだろう。
(何だっけ? そうそう、覇者の不足はそこに集う者らが勝手に埋めてくれるだっけ?)
ならば目の前の皇帝は覇を敷くに足る人間ではないのだろう。
もし、そうだったのなら自分も皇族を皆殺にして皇位を奪うなどというプランは立てなかったはずだ。
その不足が、娘を冷たい道へと誘おうとしているのだから皮肉なものである。
「陛下、アーデルハイド様が参られました」
「む、そうか。通せ」
いよいよその時が来たらしい。
さっさと済ませて欲しいと思っていたアンヘルだが、その気持ちは一瞬で失せることとなった。
いや、正確にはそのようなことを考える余裕が一切合切消え去ることになったと言うべきか。
「お久しぶりです、父上」
記憶にあるそれよりも成長した姿、
「おお、アーデルハイド! 元気そうで何よりだ! 会いたかったぞ!!」
それは良い。当然だ。
だが、だが、だが、これは、これは、これは、
(こ、この……! この……この女ァッ――!!)
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