名もなき人々が感情を表わすのが許せない人



 東京オリンピックがいよいよ開幕しました。

 何だかんだごたごた続きの開会式。

 全部通しては見ませんでしたが、まあ良かったんじゃないでしょうか。

 ピクトグラムの奴とか、けっこう工夫されてて見応えありましたね。

 でも、大手広告代理店にビッグイベント何でも任せるのはもう止めた方がいいんじゃないかな。

 大変だけど自治体や国の担当者が一つ一つ、一人一人当たって組織作ってく手作りの方が今後はいいと思います。



 それで、タイトルの話ですが、これは小山田圭吾さんがらみのTwitter関係の話です。

 小山田さん本人については散々書いたんで。

 ファンの人は布教せずにただ彼を支えてあげて下さい。

 彼の同業者やいとこについても、まあこないだ書いたんで今日は書きません。


 今日はちと遅いかなと思いますが、Twitterで彼の問題を擁護した人への違和感です。


 古市憲寿さん。社会学者らしいですね。

 この人は「ワイドナショー」に出てるところしか見たことが無く、時事ネタバラエティー「ワイドナショー」で松本さんにいじられるのが面白い、何つーか意地っ張りの子供みたいな人って印象しか無かったんですが。

 松本さんにいじられる掛け合いはけっこう好きだったんですけど。


 Twitter上で古市氏は、小山田さんを叩く風潮は「正義の暴走、死ぬまで許さない社会は違う」ということを言われています。

 この方の中で正義や悪を決めるのは裁判所の判事らしいので、ガタガタ大勢で吊し上げみたいな、数に任せて一斉に責めるみたいなことをせずに文句があるなら訴訟を起こせ、ということが言いたいらしいです。メンタリストDaigoとのTwitterのやりとりを見ると。

 そして、「被害者が被害を忘却しないと断絶が広がる」って主張を展開したみたいですね。

 「被害者が被害を忘却する」というのは、何があろうと許せないほどの被害を加害者から受けた人が、その後の人生をその人らしく送る上で確かに真理ではあります。

 被害を受けた人が加害者に対して無理やり許そうと葛藤したり、許せない自分を許せなかったりと、その後の人生をその被害に囚われて費やすよりは、何年かかるかわからないですが忘却して新たな人生を踏み出した方が、その後の人生は実り多くなる、それはその通りです。


 私もこれまでの人生で許せない仕打ちをされた人、それこそ真剣に殺意を感じた人は何人もいます。 

 それらの人々に対して自分の中で許したりは出来ていません。ふとした瞬間に思い出し、どす黒い感情に囚われることも多々あります。

 それらの過去に対して自分の中でどう対処しているのかというと、結局古市氏の言うように忘却することで自分を保っている、それは確かです。


 ただ、ここで強烈な違和感を感じるのは、「何で当事者でもない古市氏がそれを言い出すかな」ってことです。

 

 古市氏が被害を受けた当事者で、「俺は過去の被害を忘れて自分なりに折り合いを何とかつけて新たな人生を歩んでる。許しちゃいないが不快になるばかりなので騒がないでくれ」というのなら、腑に落ちます。

 あるいは、小山田さんにいじめられていた何人かの被害者と古市氏が取材なり何なりで話を聞いた上で、被害者の代弁者として発信する、それなら解ります。

 

 しかしまったくの第三者としてそれを発信するのは違和感しかない。

 社会学者の肩書を持つ自分のロジックは正しいから、という驕りにしか取れない。


 正しいとされるロジックを使うことはお上手なんでしょう。

 ただ、そのロジックを使うべき場面がわかっていない。

 頑張って覚えた多くの正しいとされるロジックを「自分がこんな正しいロジックを使える人間ですよ」とアピールするだけにしか使えていない。


 今回の件でtweetしたのも、多くの人たちがTwitterで小山田さんの過去について非難、或いは否定的な気持ちを表明し、小山田さんが責められる現状を見て、自分の正しいロジックを「正義感に酔っぱらってる庶民」に教えて酔いを醒ましてやる、という驕りでしょう。


 そして、古市氏のもう一つの驕りは、ロジックが正しい方が聡明であり、ロジックに従えない感情は愚か、という思想です。


 Twitterで小山田さんの問題についてtweetする人たちは、皆自分の感情をtweetしています。

 大体、Twitterという140文字しか書けない媒体で、ロジックを展開しようとしても無理があります。

 だから多くの人はTwitterでは自分なりの感想などの「感情」を表明するのです。

 多分tweetしている人たち一人一人に、その人なりのロジックがあった上で、あえてそのロジックから出てくる感情をtweetしている訳です。

 古市氏は元々「感情」は愚かなものと考えているきらいがあり、世のシステム、世の正しいロジックに従って殆どの人々が生きて行けばこの世は上手く行くと考えてらっしゃる。彼のこれまでの言動から私はそう推察してます。


 そんな彼から見れば今回の小山田さんの件は多くの感情的な人々が感情のままに大義名分を振りかざし、ここぞとばかりに責めている、と捉えたのだと思いますが、そんな感情を振りかざすのは愚かだよ、と教えてやろうとする驕りが見透かされた結果古市氏も炎上してしまった、ということだと思います。


 まあ驕りとか、自分を聡明に見せたい、とかの考え自体が「感情」なので、「感情」を否定している古市氏自身が最も自分のエゴという「感情」を出しているっていうのが可視化されてしまった訳です。

 見透かされてしまったんですね。

 まあ以前から彼については「大人になれ」とか言われていたみたいですが、それも結局自分の感情に基づいてロジックを振り回すのって子供っぽいよ、ということで、以前から気づいている人は気づいていたのでしょうね。


 古市氏のような正しいロジックを展開する方が正しい、という考えの方は、少人数で自分のロジックを最初から最後まで開陳でき、相手の矛盾点を突き合って自分のロジックの正しさを証明するディベートみたいな場面には滅法強いでしょう。

 だから「ワイドナショー」以外のTV番組にコメンテーターで呼ばれるのとか大好きなんじゃないでしょうか。「ワイドナショー」も好きみたいですけど。


 逆にTwitterのように、短文ゆえにロジック展開し合うことが出来ず、快不快の表明程度の感情表現しかできない媒体って、自分の強みが生かせないって自覚すればいいんですが、何でしょうね、TVとかで自分のロジック尊重され過ぎたのか相手を論破し過ぎて万能感持っちゃったのか、その辺の見極めが出来ませんでしたね。

 

 感情をロジックで制圧できる、というのがそもそも間違い。

 人間って正しいことよりも自分の感情がどうしても優先されてしまう生き物です。

 だから医療や介護の現場で働く人たちってのは大変なんですよ。

 正しい療養、正しい介護、判ってるのに従えない、出来ないなんてザラです。

 最もそれが悪いわけでもない。

 人の満足感って、結局その人の「感情」が満足するかどうかなので。

 糖尿病だけど缶コーヒーや酒を止められない、でもその人の死期が近かったら飲みたいものを飲んでもらって満足してもらう方がいい。そういうことです。


 だから、制度やロジックを作る立場の人って、人の感情に配慮出来る人じゃないと本当は務まらないんですが、古市氏のような制度>感情みたいな価値観の人が評価されることが多い日本の現状は、ちょっと困るなあと思うのです。


 古市氏に関しては、この件で業界から干されたりするかどうかは判りません。関係者個々の判断なんで。

 一つ言えるのは、古市氏が干されたとしても「ワイドナショー」は呼ぶだろうということです。

 松本人志さんはそういう過去にやらかした人の再起に手を差し伸べる人なので。

 前園さんとかね。

 その姿勢は全面的に素晴らしいとはちょっと言い難い部分もありますが(個人的にはTKO木下とかに手を差し伸べたらうわ、引くわーってなりますが)、ある程度は賛同します。

 

 「ワイドナショー」で古市氏が小賢しい子供として松本さんにイジられるのは見たいです。






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