東京五輪のコンポーザー


 東京五輪の作曲家の一人に小山田圭吾さんが抜擢され、ツイッターで過去の悪行を暴露され炎上してるみたいですね。


 まあ見てるとこれを東京五輪中止の理由にしたい人とかがちらほらと見受けられまして。何を今更、とちょっと思ったわけです。


 私はまあ、オリンピック開催については正直止められるなら止めといた方がいいんじゃないの、と思ってましたが、結局IOCが決めることなのでIOCがやるって言ったらやるしかないよね日本政府は東京は、って考えてました。

 だって日本政府や東京都がIOCはやる方針を出してるのに自分たちの都合で中止にしたら、オリンピック開催を見込んで投資したスポンサーだの放映権の元締めのアメリカの放送局だのに出してもらった金額はお返ししないといけませんし、オリンピック開催で得られるはずだったそれらの企業の利益も当然請求されます。

 それらのお金をIOCが負担して払うはずもなく、というかIOCはやるって言ってたのに東京都が、日本政府が止めるって言い出したんだからってことで、中止を言い出した主体に対してそれらの金額も含めた損害賠償を請求してくるのは間違いないわけで。

 正確な損害賠償が如何ほどになるのか正確には知りません。

 何となくまあ下手したら東京都の予算の何年分とか払わないかんことになるんじゃなかろか、とか思ったのでIOCがやるって明言した後でも中止を叫んでる人たちが何兆円か知らんけど違約金相当の金額をクラウドファンディングでも何でもして集めて、この金払って中止にせい! って行動起こさない限りは中止できないって思ってましたから。

 オリンピックが商業主義に走り出した、というのはロサンゼルス五輪の頃から言われてきてるので今更という感じです。

 そんなわけで私は開催するのは反対しませんし、競技が始まったら普通に日本選手を応援すると思います。

 アスリートに罪はないです。

 一庶民の思考です。

 

 それで小山田圭吾さんですが。


 実は彼の音楽を私は1度もまともに聞いたことがありません。

 何が代表曲かも知りませんし、多分当時のFMで掛かってたりしたのを耳にしたことはあったと思いますが、軽くて売れ線狙ってんなー、という感想しか感じませんでした。


 多分世代的にはもう少し聞いてないとおかしいんですが、当時読んでいた音楽雑誌の彼のインタビューを読んで、結構他のミュージシャンを揶揄う、くさす、上から批評する、みたいなのがバリバリ出てまして。


 多分若かりし私は私の好きだったミュージシャンを彼にくさされたのが気に食わなかったんでしょう。一切自分で聞こうと思いませんでした。


 なので今回彼が五輪のどんな曲を作るのか知りませんが、彼が五輪の曲を作るのにふさわしいセンスをお持ちなのかも判断がつきません。


 もしかしたら彼をコンポーザーに選んだ方は彼のセンスが五輪にぴったりだ! と思われたのかも知れません。


 ただまあ、今回ツイッターで炎上している彼の高校生時分のいじめの記事(Twitterにはわざわざその記事のフォトを載せているのがあって当該部分を読めました)を読む限りでは、彼が高校時代にやってたいじめはちょっとひどい。

 私がされてたら、私の書いた公開停止になった小説に近いことをやり返してやろうと決心するくらいにはひどい。

 彼の狡猾だなと思う点は、それを集団のレジャーの一つとして行い、いじめの対象も自分たちがやり返される可能性が低い障碍者の同級生に行っていたという点です。

 一般の生徒だと私みたいに「覚悟完了!」されちゃう可能性もありますからね。


 当該の記事は当時私も読んでいた雑誌のインタビューだったみたいですが、幸か不幸か当時リアタイでは読んでませんでした。

 

 その記事が掲載されてた1990年代って結構露悪的なサブカルが流行ってたので、その流れで彼も過去のいじめた体験を編集者に乗せられて武勇伝的に語ってしまったのかも知れません。どうも記事の企画意図もそういったものだったようですし。

 そうした露悪的なサブカル要素というのはそれを体験し読んでいた私の中にも確かに根付いている部分ではあると思います。犯罪スレスレのレポート記事とか、興味津々で読んでいた覚えがありますから。

 ただ、それでもあれはひどい。

 多分、いじめをして楽しむ感覚って他人を自分(たち)が思い通りにできる、っていう体験を楽しむものなのでしょう。彼のインタビューを読むとそう思います。

 決していじめている人たちはいじめた相手が憎いわけではないわけです。

 自分たちの思い通りになる実験に付き合ってくれて助かる、時間が経ったらありがとう。凄いね。みたいな感覚なのでしょう。

 いじめられていた方の感覚とはまったく異質。解り合うなんて絶対にないでしょう。


 そんな優越感、万能感に満ち溢れた彼が20代前半で音楽で売れたらそのまんまの価値観で固定されちゃってるんじゃないだろうかと思う訳です。

 あの、他のミュージシャンを小馬鹿にするようなインタビューの受け答えとか、それがモロに出ちゃってたんでしょうね。


 ざまあされるのにふさわしい人かも知れません。

 Twitterで彼を糾弾している人たちは、五輪を中止に追い込みたい! って人以外は彼をざまあしたいのでしょう。

 彼はそれでぐぬぬ……ってなるのかな。どうでしょう。

 ぐぬぬ……ってなっても彼の人格はもう変わらないような気もしますし。


 個人的にはお近づきになりたくない人だなあと思います。


 まあ音楽に罪はないでしょう。

 でも私は聞きたくはないですね。


 シンプルに好みに合わないので。


 まとまらないなあ。

 

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