福音 -τ
「呆れた」
「そう言わず」
ゼドの背中に身を寄せるように距離を詰めたアンラが、そっとゼドの手に木製グリップを握らせた。彼から
「中に一発だけ残っている」
アンラの横暴な
「
タローマティがナイフで縄を斬ると、
乱心と自暴自棄とが行き着いた
サルワは指をしゃぶりながら、男の頭を掴み、ボール代わりにして遊んでいる。
「サルワ、どいてろ」
「ううー?」
ゼドが四つん這いのサルワの頭を撫でると、彼は
撃鉄を上げ、当たり金を火蓋の上に被せた。
ゼドは、この男がどんな理由で殺されようとしているかなど、知らない。知りたくもない。知らなくても、良い。
打算的な悪心が囁き掛けてくる。今まで通り、アンラの言う通りに殺せば、なにもかも丸く収まってしまうのだから、と。
「外すなよ。掃除が面倒だ」
タローマティが背後から
銃を手にしたゼドが近付くと、尻餅をついたまま、男はずるずると後退した。
ゼドはトリガーに指を掛けた。
「……見苦しい」
罪人の死因は大きく三つ。餓死、事故死、それから捕食による死だ。
インフェルノに追放されて間もない、正気の多い魂を持つ者はともかく、実際は、魔物に食われる人間の数は、餓死や事故死に比べれば少ない。それは、単に過食部が少ないという理由の他に、罪人の魂がさほど旨くなく、栄養も少ないことにあった。食しても魔物ほど効率的にエネルギーの得られない人間の肉体は、野山に行かない限りそうそう餌にはならないのだ。
ゼドには、この男の命に手向ける
ゼドの脳内で、いつもは理知的な役に回る
人間を一匹、それもこんな害虫を駆除するのに、考えても
「見事だ」
アンラが鷹揚に頷き、赫が賞賛の口笛を吹いた。
仰向けに倒れた男の眉間に、綺麗に穴が開いていた。
「使い心地はどうだ」
「いい銃だな」
肉厚な銃身が熱を持っている。
「だろう? 性能に関しちゃ型がちっと古いが、なかなか趣が深い。アンティークの中でも気に入っているんだ」
唸り声が聞こえた。アンラの傍に、
「ヘンゼル、グレーテル。食っちまえ」
アンラの一声で、
†
部屋から出てきたゼドを見て、狼の姿をしたフェンリルが、あからさまに、「げ」と顔を引き攣らせた。
「すげえグロテスクなことになってっけど、本当に表彰式だったんだろうな?」
「そうだが」
「じゃあ何でそんな格好になんだよ……」
ゼドは頬に散った血を雑に
「ハイエナが人間を食い散らかした」
「きったねえの」
「そもそも、奴らの表彰式に期待する方が
「確かに」
フェンリルはそれ以上何も言及することなく、ゼドの隣に立った。焦げと火薬と生々しい血の匂い。銃でもぶっ放したか、とぼんやり考えながら、フェンリルはゼドから視線を外した。
アンラ・マンユは曲がりなりにも、インフェルノで最強を誇るマフィアの
「後夜祭に行こうぜ」
ゼドが、フェンリルを見る。
「どうした。いつもは早く帰って酒だなんだと煩いくせに」
「お前に見せてえもんがあんだよ」
「見せたいもの?」
「ああとびっきりのプレゼントだ」
尚のこと訝しげに顔を顰めたゼドの全身を、フェンリルは見る。
「その前にシャワーだな。お前、マジで臭え」
「臭いのは俺じゃない、死んだ男だ」
「口のねえ死人に罪なすりつけてんじゃねえよ」
「本当のことだ。この臓器を見ろ、碌なもん食ってないからこうなる」
「うえっ、やめろって。汚ねえ! うわっ、てめっ、近づけんな!」
ゼドの落ち着いた声と狼が吠える声が、暗い廊下に反響していた。
その頃。
シーナはというと、大きな舞台の袖で、緊張に震える脚を、必死に押さえ込んでいた。
「こんな、観客がいっぱいいるの……?」
舞台幕の影から覗くと、先程まで闘技場として使われていたアリーナや観客席、その奥の外廊下にまで、邪神や魔物や怪物達がたくさん詰め掛けている。
「なんだ、嬢ちゃん。緊張してんのか」
「オルクスさん」
オルクスが左手に大鎌、右手でシガーを
「可愛くしてもらったんだな。似合ってるぜ」
「ふふ、嬉しい。ありがとう」
シガーを咥える際に、綺麗に揃った白い歯の隙間からちろりと舌が覗く。色気が漂った。
オルクスの周囲にはいつも、花に群がる蜂のように女が寄って来た。
オルクスは魅力的だ。一度近寄れば、彼の内から溢れる
「そう気負うことはねえよ。皆、酔っ払ってる。間違えても、すっ転んでも、何しても、奴らは大笑いで喜ぶさ」
「それはそれで、少し複雑ね」
「それもそうだな」
シガーの火を消して、オルクスは微笑んだ。彼は非常に男らしくハンサムだが、笑うと少し、
「この子ね、追加の踊り子は」
綺麗な女性が、突然シーナ達の間に割って入って来た。そしてオルクスの腕を取り、自分の首に巻き付けた。シーナは驚いて、目をぱちくりとさせた。
女性が、ぷっくりとした唇で、悪戯っぽく艶笑を零す。悪戯と称せど、シヴァや九が浮かべる笑みと、それは全く違うように感じた。
「はじめまして、シーナちゃんね。私はサキュバス」
シヴァが言っていた、余興の演目の管理をしているという悪魔だ。
「はじめまして」
挨拶を返して、思わずシーナは彼女の服装に釘付けになった。布の面積が極端に少ない、あられもない姿にシーナは赤面する。
サキュバス。またの名を
背はそれほど高くなく、比較的小柄な体躯だ。黄緑色のミニスカートから伸びた、悪魔らしい先端に房のついた尻尾が、くねくねと動いている。
「シヴァさんから聞きました。枠を分けてくださって、ありがとう」
「あら、礼儀の正しい子ね。頑張ってらっしゃいな」
シヴァ達の衣装部屋は、噂の宝庫でもあった。彼女達の談笑には、たくさんの情報と噂話がぎっしりと詰め込まれていて、会話を聞いていただけのシーナも、知らず知らずのうちに、様々な知識を蓄えることとなった。
***了
フリントロック式銃について
ジャック・スパロウが持ってるあの銃ですね。この銃は命中率が非常に低いです。
アンラもアンティークものと言っていますが、もっと効率的に打てて、命中率も高い銃を、アンラ達ファミリーは所有してます(666の章で既出)から、このフリントロック式は昔使っていたとしても、今はアンラの趣味で集めてるものでしょう。この銃で殺すのは、正にアンラのお遊びということを、地味〜に示してます。
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