福音 -σ
『ダエーワ』はファミリーの中でも、アンラの腹心の部下のことで、この二人に加えて、魔女タローマティ、
「ナイフ、新しいものを持ってきていたのか」
ドゥルジがゼドに訊いた。休憩を挟んで、切れ味が増したことに彼は気付いたのだろう。武器好きのドゥルジは目敏い。
「いや、蚩尤がくれた」
「ああ、そういうことか。武器の納入に来ていたからな」
試合では、武器を持たぬ者にはナイフや槍が貸し出される。貧しさ故に上等な凶器を持たない者が多いからだ。台所から
ただし、神が神器を使用することは禁じられている。その上、刃物に加えて弓矢を借りられるのは下等な魔物と人間、さらに数に制限なしで銃を持てるのは人間だけと決まっていた。神が銃器を扱えば、試合は一瞬で片付き、面白さの欠片もない。無法地帯のインフェルノでルールに
「ゼドも早く神器を手に入れられたら良いっすね」
ゼドは未だ、神器を手にできてはいない。
「ゼド、来い」
アンラが座るのは、眺めのいい特等席。この男は、高いところが好きだ。それ以上に、
ゼドは大人しくアンラの言う通りに、彼の傍に近寄った。この男の場合、逆らわない方が無難な選択だ。
硝子越しに、アリーナが見えた。陥没した地面は既に
「お前も吸うか」
「いや、いい」
アンラは、シガーケースから出して見せていた葉巻を取り出すと、先端をカットし、燻した。妙な間があいた。
「あれはなんだ」
聞き返さずとも分かる。
「だから、善神の真似事はやめておけと言ったんだ」
そして、アンラの言葉は、決してゼドの身を案じての台詞ではないということも。
暴走した力。制御の利かない新たな力。底知れぬ未知の力を、彼は警戒しているのだ。
とんとん、と部下の男の掌を灰皿代わりにして、アンラは吸殻を落とす。そしてまた、葉巻を口に咥えると、アンラはテーブルに無造作に放られていたフリントロック式銃を掴んだ。流れるような所作で、それは構えられ。指輪を嵌めた人差し指が、
ゼドの目の前に、銃口が突きつけられていた。動揺も不安も、ゼドの心を掠めはしなかった。ただただ、冷たい無機物の感覚を、額に感じただけであった。
「わからない。あまり意識がなかったんだ。記憶も少し飛んでいる。俺にも説明ができない」
「変化じゃないんすか」
呑気に酒を飲む赫が、ゼドに訊ねる。窓の反射で、ダエーワの面々が聞き耳を立てているのが見えた。
「いや、違う。ただ、これと関係があるかもしれない」
ゼドはシャツのボタンを外し、胸に
「濃くなった、か」
アンラが静かに
「薄い時には分かんなかったっすけど、この痣、鎖みたいな模様してたんすね。これ、誰にやられた時にできたんすか」
「大天使ミカエルだ」
「まじすか」
テーブルに頬杖をついていた赫が、少し腰を浮かせて大袈裟に目を
「その痣のこと、よく調べておくが吉だぞ。お前の力が暴走でもしたら、堪らんからな」
ゼドに定めていた銃口を上に向け、アンラが言った。
「知りたいのは山々だが、現時点では手段がないんだ。こればかりはどうしようも無い」
「強くなるなら文句はねえよ。俺らに危害がなきゃ、別にどうでもいい話だからな。ただ、低級魔物がお前の意思に引っ張られていた。これが低級に止まらなくなる、なんてことが、これから起こらないとも限らない」
「この変な力が、大きくなったら」
「処分する」
ゼドの言葉を遮り、放り出されたそれは、ゼドの耳にするりと入り込み、胸にすとんと落ちてきた。あの
「……かもな。最悪の場合」
そう付け足して、アンラは微笑み、煙で肺を大きく膨らませた。
「やっだなー。アンラ様がお気に入りを殺すわけないじゃないっすか!」
「気に入られることをした覚えはないんだがな」
うんざりだ。いつ爆発するかも知れない謎の力の所為で、余計な諍いを生み、厄介な者達に今までとは違った形で目を付けられ、その上自分の身すら危険に陥るなど、
「あの
アンラが背凭れに体重をかけた。彼の
「視えていたぞ、ゼド。あれが豊穣の善神だろう」
とんとん。また、アンラの指先が灰を崩し落とした。単調で短詩の
「ああ」
とんとんとん。空気の波に乗り漂う、複雑で渋みのある薫香と、煩雑な意図の絡み合いを整えるように、その指先はリズムを刻む。
「あれは早めに捨てておけ」
それは、
但し、
「お前が、お前でなくなるぞ」
ゼドは
そもそもゼドは、アンラのファミリーではないのだから、彼の命令に従う義理はないが、彼の
娯楽の闘技も、快楽の殺戮も、腹と眼を癒す金も全て、自分のためだったのに。閉じた瞼の裏に、
よしてくれ。違う、俺は違う。
あれは、最も軽蔑していた生き方だ。報われず、それでも見返りを欲さず、己の為にただの汚れた銅金一枚すら使わず。
「既に元のお前に戻れなくなっているのなら、手伝ってやろうか」
金歯を見せびらかすように笑い、アンラが立ち上がった。
「マーティ」
彼に名を呼ばれたタローマティが、持っていたタロットを床に打ち捨て、立ち上がった。腕捲りしたスーツ姿に、センターで分けられた短い髪。女にしては筋肉質な身体つきと、クールな出立ちをした彼女は、ダエーワの紅一点、
タローマティが、錆びたロッカーを開けると、縄で縛られた男が転がり出た。目を
「賭場でディーラーをしていた男だ」
ゼドは何度か彼と、取引をしたことがある。調子が良く、
「やっぱりくれ」
ゼドは、掌を差し出した。
「貰うことにした」
ゼドの目を見て、アンラはすぐに得心のいった面持ちになり、シガーケースを傾けた。ゼドはその中から、細めの葉巻を一本抜き取った。ドゥルジの鉄鞭が
頬を凹ませ、ゼドは煙を吸った。しっかりとした辛味が、気管全体を吹き抜ける。
「お前が殺せ。優勝の
***了
蓑虫と蛆虫(ウジムシ←悪口で使える言葉)は見た目が一緒らしいですよ(ずっと同じなのは、めすだけ?かな)笑笑
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