福音 -σ

『ダエーワ』はファミリーの中でも、アンラの腹心の部下のことで、この二人に加えて、魔女タローマティ、狂神きょうじんサルワ、寝坊助のタルウィ、陰気なザリチュ、以上六名の総称だ。部屋の奥で飲み散らかしている彼らも、ゼドを見留めると、手を振ってくる。


「ナイフ、新しいものを持ってきていたのか」


 ドゥルジがゼドに訊いた。休憩を挟んで、切れ味が増したことに彼は気付いたのだろう。武器好きのドゥルジは目敏い。


「いや、蚩尤がくれた」

「ああ、そういうことか。武器の納入に来ていたからな」


 試合では、武器を持たぬ者にはナイフや槍が貸し出される。貧しさ故に上等な凶器を持たない者が多いからだ。台所からなまくらの刃を持参したところで、腕の一本も切り落とせやしない。

 ただし、神が神器を使用することは禁じられている。その上、刃物に加えて弓矢を借りられるのは下等な魔物と人間、さらに数に制限なしで銃を持てるのは人間だけと決まっていた。神が銃器を扱えば、試合は一瞬で片付き、面白さの欠片もない。無法地帯のインフェルノでルールに違背いはいする者が現れないのは、ひとえにアンラファミリーの威光であろう。


「ゼドも早く神器を手に入れられたら良いっすね」


 神器じんぎ。それは、神と一対一で結びついた武器のことである。それを手にした神は、神すらも斃す大きな力を手にする。ただの一丁の拳銃が、一振りの刀が、一本のナイフが、主人あるじに出会った瞬間、神器へと変化を遂げるのだ。そして、持ち主が死ぬまで、生涯添い遂げるらしい。

 ゼドは未だ、神器を手にできてはいない。


「ゼド、来い」


 アンラが座るのは、眺めのいい特等席。この男は、高いところが好きだ。それ以上に、いただきから皆々を見下ろすことが大の好物なのだ。

 ゼドは大人しくアンラの言う通りに、彼の傍に近寄った。この男の場合、逆らわない方が無難な選択だ。

 硝子越しに、アリーナが見えた。陥没した地面は既にならされ、崩れた壁は修繕されている。数多の屍も回収されて、会場を汚した血は大雑把に拭き取られていた。しかし、吹き溜まった邪気の濃度は、ますます濃くなっているようだ。


「お前も吸うか」

「いや、いい」


 アンラは、シガーケースから出して見せていた葉巻を取り出すと、先端をカットし、燻した。妙な間があいた。


「あれはなんだ」


 聞き返さずとも分かる。


「だから、善神の真似事はやめておけと言ったんだ」


 そして、アンラの言葉は、決してゼドの身を案じての台詞ではないということも。

 暴走した力。制御の利かない新たな力。底知れぬ未知の力を、彼は警戒しているのだ。

 とんとん、と部下の男の掌を灰皿代わりにして、アンラは吸殻を落とす。そしてまた、葉巻を口に咥えると、アンラはテーブルに無造作に放られていたフリントロック式銃を掴んだ。流れるような所作で、それは構えられ。指輪を嵌めた人差し指が、引き金トリガーに掛かった。

 ゼドの目の前に、銃口が突きつけられていた。動揺も不安も、ゼドの心を掠めはしなかった。ただただ、冷たい無機物の感覚を、額に感じただけであった。


「わからない。あまり意識がなかったんだ。記憶も少し飛んでいる。俺にも説明ができない」

「変化じゃないんすか」


 呑気に酒を飲む赫が、ゼドに訊ねる。窓の反射で、ダエーワの面々が聞き耳を立てているのが見えた。


「いや、違う。ただ、これと関係があるかもしれない」


 ゼドはシャツのボタンを外し、胸に纏綿てんめんする痣を見せた。アンラが目をすがめた。鉄のように冷たいすず色。細く鋭く研がれた瞳孔が、痣をなぞる。足跡を残すかのようにじっくり。辿り、辿って、その視線はゼドの首に絡まった。少しだけ、息が詰まる。不快感と圧迫感が、ゼドの首をめているようであった。爛熟らんじゅく悪徳あくとくの味を知る目元が、予断よだんを許さない。


「濃くなった、か」


 アンラが静かにたずね、ゼドは頷いた。


「薄い時には分かんなかったっすけど、この痣、鎖みたいな模様してたんすね。これ、誰にやられた時にできたんすか」

「大天使ミカエルだ」

「まじすか」


 テーブルに頬杖をついていた赫が、少し腰を浮かせて大袈裟に目をみはる。驚いた素振りのその奥で、興味本位の好奇心と単なる野次馬精神がむくむくと湧いていることを、ゼドは知っている。


「その痣のこと、よく調べておくが吉だぞ。お前の力が暴走でもしたら、堪らんからな」


 ゼドに定めていた銃口を上に向け、アンラが言った。


「知りたいのは山々だが、現時点では手段がないんだ。こればかりはどうしようも無い」

「強くなるなら文句はねえよ。俺らに危害がなきゃ、別にどうでもいい話だからな。ただ、低級魔物がお前の意思に引っ張られていた。これが低級に止まらなくなる、なんてことが、これから起こらないとも限らない」

「この変な力が、大きくなったら」

「処分する」


 ゼドの言葉を遮り、放り出されたそれは、ゼドの耳にするりと入り込み、胸にすとんと落ちてきた。あのの言葉は、あれほどにも体中を引っ掻き、胸に押し込んでも暴れるというのに。


「……かもな。最悪の場合」


 そう付け足して、アンラは微笑み、煙で肺を大きく膨らませた。


「やっだなー。アンラ様がお気に入りを殺すわけないじゃないっすか!」

「気に入られることをした覚えはないんだがな」


 うんざりだ。いつ爆発するかも知れない謎の力の所為で、余計な諍いを生み、厄介な者達に今までとは違った形で目を付けられ、その上自分の身すら危険に陥るなど、御免ごめんこうむる。ゼドの方こそ、彼らと骨を埋めるつもりはないのだから。この家族ファミリーごっこに、いつまでも付き合ってはいられない。


「あのむすめ


 アンラが背凭れに体重をかけた。彼の魁偉かいいに、にかわいため革の椅子チェアく。


「視えていたぞ、ゼド。あれが豊穣の善神だろう」


 とんとん。また、アンラの指先が灰を崩し落とした。単調で短詩の節奏せっそう


「ああ」


 とんとんとん。空気の波に乗り漂う、複雑で渋みのある薫香と、煩雑な意図の絡み合いを整えるように、その指先はリズムを刻む。


「あれは早めに捨てておけ」


 それは、糺弾きゅうだんではなかった。

 但し、蓋然がいぜんとした口ぶりで告げられた。


「お前が、お前でなくなるぞ」


 ゼドは蛮勇ばんゆうではない。ましてや、怯懦きょうだでもない。半ば脅しに近いアンラの助言に対して、諾否だくひを躊躇するようになった事実を、躊躇している自分を、見つめ返す。

 そもそもゼドは、アンラのファミリーではないのだから、彼の命令に従う義理はないが、彼の忌諱ききに触れる意義もない。面倒でない方へ、楽な方へ。岐路きろに立った時、そうやって迷いなく選んできた道が、実は泥濘ぬかるみだったと気付いたような、そんな感覚。

 娯楽の闘技も、快楽の殺戮も、腹と眼を癒す金も全て、自分のためだったのに。閉じた瞼の裏に、襤褸ぼろ雑巾ぞうきんのような裹頭かとうを着た、弁慶の姿がぎる。


 よしてくれ。違う、俺は違う。


 あれは、最も軽蔑していた生き方だ。報われず、それでも見返りを欲さず、己の為にただの汚れた銅金一枚すら使わず。


「既に元のお前に戻れなくなっているのなら、手伝ってやろうか」


 金歯を見せびらかすように笑い、アンラが立ち上がった。


「マーティ」


 彼に名を呼ばれたタローマティが、持っていたタロットを床に打ち捨て、立ち上がった。腕捲りしたスーツ姿に、センターで分けられた短い髪。女にしては筋肉質な身体つきと、クールな出立ちをした彼女は、ダエーワの紅一点、背徳はいとくの魔女である。

 タローマティが、錆びたロッカーを開けると、縄で縛られた男が転がり出た。目を血迸ちばしらせ、必死に身を捩って縄から抜け出そうと藻搔もがいている。蓑虫みのむしのようだ。身体をくねらせ、やっとのことで仰向けになった男は、今にも泣きそうな表情かおでゼドを見上げると、口をぱくぱくと開閉した。声を出さないよう、喉が潰されているようだ。

 青痣あおあざと腫れで肥大化した顔を見て、ゼドは首を捻った。どこかで見たことのある顔だ。


「賭場でディーラーをしていた男だ」


 合点がてんがいった。

 ゼドは何度か彼と、取引をしたことがある。調子が良く、姑息こそくで、他者に媚びへつらうこと以外、たいした取り柄のない男だった。


「やっぱりくれ」


 ゼドは、掌を差し出した。


「貰うことにした」


 ゼドの目を見て、アンラはすぐに得心のいった面持ちになり、シガーケースを傾けた。ゼドはその中から、細めの葉巻を一本抜き取った。ドゥルジの鉄鞭がたわむと。次の瞬間には、葉巻の先端が綺麗に切断されている。ザリチュがのそのそと部屋の隅から、這うようにやって来て、オイルランプで火を付けてくれた。礼を言うと、彼は顔を覆い隠す前髪の隙間から、にへら、と鈍間のろまに笑ってみせた。

 頬を凹ませ、ゼドは煙を吸った。しっかりとした辛味が、気管全体を吹き抜ける。


「お前が殺せ。優勝のあかつきに、その権利を与えてやろう」



***了

蓑虫と蛆虫(ウジムシ←悪口で使える言葉)は見た目が一緒らしいですよ(ずっと同じなのは、めすだけ?かな)笑笑

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