福音 -ι

 †



 ──頭はすっきりしている。


「ぎゃあああっ」


 ゼドが振り下ろしたナイフが、頭蓋ずがいを突き抜けた。何層にも重なる骨が砕かれてゆく振動が、掌に伝わる。

 噴水のように、脳天からどろどろと重い液体が溢れ出す。

 絶叫を上げながらのたうち回る魔獣、梁渠りょうきょを見下ろして、ゼドは舌打ちをした。


「っち。一発で仕留めるのは無理か」


 魔物は生命力が高く、厄介だ。

 立ち上がった梁渠りょうきょは、虎に似た太い腕を出鱈目でたらめに振り回した。襲い来る虎爪こそうを、ゼドは最小限の動きで避ける。

 一毫いちごうの隙を見計らい、梁渠の服の肩部分を掴む。そのまま上体を引き寄せると、胸めがけて固く握った拳を叩き込んだ。

 皮膚、肉、共に破れる。

 体内なかまさぐり、心臓を探し当てる。鷲掴みにした心臓を、無理矢理肉体から引き剥がした。

 複雑に絡まる血管が伸びきって、ぶちぶちと千切れる。

 梁渠りょうきょが口から大量の血反吐を吐いて、倒れた。

 砂塵が舞い、煩いほどの歓声が上がる。

 掌には、まだ鼓動を続ける心臓。ゼドは拍動するそれに一瞥いちべつすらくれず、後ろに放った。


 ──難しいことは考えなくていい。


 逆手に持ち替えたナイフが、すれ違いざまに、妖精ボギーの喉笛を捉えた。胡蝶こちょうのように、実にしなやかな動き。

 脚に力を込め、地を蹴って急加速。それはさながら、天駆ける霹靂かみとき。耳元で風が唸る。

 そこに残ったのは、弧を描くわずかな風塵ふうじんと残像。

 ほんのまたたきにも満たぬ間に、ゼドはアリーナの端から端へ移動していた。


 ざん ──。


 ゼドの背後で血がはしる。

 殺気を感じ取ったゼドは、振り向く。咄嗟にナイフで受け止める。火花がはげしく散った。

 重い一撃だ。手が痺れる。

 ゼドと悪魔アサグが、刃を交えていた。

 拮抗する力に、ナイフがきしる。歯を食いしばった。

 腰に手を回し、もう一本ナイフを握ると、幾つもある目玉のうちの一つに突き刺した。瑠璃るりの体液があふれる。


「あ゙ぁぁぁーっ」


 脾腹ひばらに反撃を一発食らう。防いだものの、ゼドは弾き飛ばされた。

 受け身をとり、手をついた壁が数メートルに渡ってひずむだけにとどまった。


「脳筋かよ」


 片膝をつき、ゼドが呆れたように呟く。そして、目線だけを横に向けると、溜息を零す。


「ど三流が。丸見えだ」


 つがえられたいしゆみが、遠くからゼドの頭に狙いを定めていることは、既に知っていた。

 レッグホルスターから取り出したナイフを、しゃがんだ姿勢のまま、手首のスナップを利かせて投擲とうてきし、仕留める。


 アサグとの間には、二、三ほど敵がいる。

 手前の蛙男が躍りかかって来る。羽織っていたジャケットを被せ、藻掻もがくところを串刺しにする。

 まだ死んでいない。しぶとい。

 斜め後方から、体当たりするように迫る鬼が繰り出した槍を、しゃがんでかわす。

 上段じょうだんから来る。弾いて軌道を逸らす。

 猛撃の狭間、ナイフを突く。槍の口金くちがねが甲高く鳴った。

 ガチガチと耳障りな金物かなものの破砕音。

 つば迫り合いにもつれ込んだ。

 次第にゼドが押され気味になる。巨大の鬼との真っ向力勝負では、ゼドが不利なのは火を見るよりも明らかだ。

 重心をずらし、槍の柄の上でナイフを滑らせ、ぎ払う。細かい青銅の塵滓じんしこぼれた。


「うぐっ……」


 冴えたナイフのきっさきが、鬼の肩をえぐった。浅い。

 足元を狙う穂先を避け、地面に手をついて身体を捻り、脚の回転でつかを蹴って弾き飛ばす。鬼がバランスを崩す。

 しめた──。

 反転する視界のなか、ゼドは両手を添えたナイフを、稜角りょうかくから逆袈裟ぎゃくけさに斬り上げた。

 体を裂いたナイフには見事、心臓が引っ掛かっている。

 念には念を。

 ゼドはたおれる鬼の頸動脈をち、原型を止めぬほど心臓を切り刻んだ。派手な血煙ちけむりがあがった。


 休む暇はない。

 カーキの軍服を着た男が、震える雄叫びを上げながら突っ込んで来る。

 足を引っ掛けただけで、男はいとも簡単に転がった。


 蛙男が何処からか拾って来た剣を振りかざす。

 荒々しい鮮紅の眼光がほどばしる。

 蛙男の一撃をなし、ゼドは間合いに飛び込んだ。

 目を潰し、視界を奪う。

 鼻を削ぎ、嗅覚を奪う。

 耳を裂き、聴覚を奪う。

 錯乱状態に陥れば、既に命運はこちらの手の内にある。


ひざまずけ」


 淡々としたゼドの声が響いた。

 革靴の踵が、男の頬をこれでもかと地面に擦り付ける。顎が外れ、歯が数本砕けたようだ。


「その首、綺麗に削ぎ落としてやる。跪け」


 左腕は背中に締め上げられ、その上からゼドの足が身体ごと男を床に縫い付けた。ひしゃげた右腕は、既に使い物にならない。


「……た、たすけてくれ」

「つまらん前座はしまいだ」


 ゼドの背後には、鬼と蛙男の無惨なしかばねが打ちててある。


「降参、降参するから! おねがいだ……。い、命だけは」


 男の命乞いは、最後までつむがれることはなかった。深い唐茶の瞳は寂寞せきばくとした影を宿し、ゆっくりと色を失くしていった。

 未だぬくい男の死体から降り、ゼドはアサグを探す。

 刃毀れの酷いナイフを落とすように捨て、新しいナイフを取り出した。

 アサグは元の位置から離れていなかった。目玉が一つ落ちたその悪魔に狙いを定め、駆けようとしたその瞬間。

 灼熱の狂炎が、アサグを頭から丸ごと飲み込んだ。


「は?」


 ゼドが目をみはる。

 火の粉を撒き散らす業火が止み、灰燼かいじん残火ざんかなびく。

 そこに姿を現したのは──。


「……アミィ」

「やあ」


 焔をした面を片手で外し、にっこりと相好そうごうを崩す青年。

 その男の名は、アミィ。炎を操る悪魔である。

 官能的で可愛らしい美貌に、すらりとした肢体。甘い琥珀色の髪。悠然とした立ち姿は、高貴なる風格がある。彼はアサグの生首を右手に、鬼の持っていた槍を左手で弄びながら、ゼドに近付いてくる。


「相変わらず、いい殺しっぷりだね、ゼド」


 少し高めの愛嬌ある声。


「僕とも遊ぼうよ」


 アミィは生首を放り捨て、ぱんぱんと手を払う。掴んでいた生首の髪は、根本部分が焦げ、皮膚がただれていた。

 誰もが見惚みとれるような微笑に、ゼドは顔をげっそりとさせた。彼に絡まれていいことなど、何ひとつないのだから。


「お前、なんで闘士競技こんなことをしている。趣味じゃないだろ」

「この前、館の一部を焼いちゃってさぁ。代わりに、欠員の代役として出場させられたんだ」

「代役?」


 ゼドが片眉を上げる。


「だったら大人しく負ければいいだろう」

「そのつもりだったんだけどねえ」


 彼が消炭けしずみになったアサグを踏むと、それはいさごのようにさらさらと崩れ落ちた。


「賞金も悪くない額だし、案外面白くなってきたしね。それに……久々にゼドと遊べるって聞いたから」

「何だその理由は」

「ええ、いいじゃん」


 アミィは口を尖らせてみせる。

 いとけない甘えたな言い方に、ゼドは眼を細めた。


「手加減はしないぞ」

「顔はやめてね?」

「それは難しい問題だな」

「やだぁ。僕の可愛い顔に傷でも入ったらどうするの?」



 きゃあ、と頬を押さえる仕種しぐさは、仰々しい。


「男前になって良い。つけてやる」

「ほんと、ゼドの冗談ってきつーい」


 言い終わる寸前。それは、きりで打ったかの如く尖鋭せんえいに、くうを突き破った。

 アミィが僅かに驚いた表情かおをする。すぐさま彼は、頬を押さえる。


「いっ……」


 抑えた指の隙間から生血なまちが滲み、輪郭を伝った。


「ってえなァ」


 ゆらりと顔をあげたアミィが、ゼドを睥睨へいげいする。顳顬こめかみに青筋が浮いていた。

 気魄きはくの欠けた愛嬌の皮が剥がれ、霜雪そうせつの如く犀利さいりな薄笑みが覗く。それは静かに、争闘の黎明れいめいを告げていた。

 互いだけが分かる、開始ころしあいの合図。

 アミィの背後に濁流の猛炎が、爆風を伴って燃え盛る。呼応するように、ゼドの纏う黒々とした莫大な邪気が膨れ上がった。


「顔はダメって、言ったよね?」


 灰が降る。胡桃くるみのように丸い瞳が、線を描く。にまぁ、と笑う桜色の唇からは、綺麗に並んだ白い歯が顔を出す。


 ──バシィン!


 割れた。痛いほどの破裂音。

 細身の二人から生じたとは思えない、大きな余波が弾け飛ぶ。それは競技場一円を襲い、激しく揺さぶった。

 渦中の彼らは狂気の片鱗を浮かばせ、みなぎる邪気を放っていた。

 露わになる暴力的本性。溢れ出る殺戮本能。

 乾いた心の深層に没した意識は、一滴残らず禍々しい悪の底に堕ちていき、躊躇なく毒を啜る。


「はっ」


 声が洩れた。

 沸く。沸くのだ、全身が。

 血が沸騰するように熱を持ち、まだゼドの胸に根を生やす心臓が、早く浅い鼓動を刻んでいる。

 戦場こそが、己のいるべき場所だと、皮膚の下をかよう血が教えてくれている。


「もっと、もっとだよっ、ゼド!」


 たわむれに歓ぶアミィは、きゃははっと可愛らしく笑う。

 駆け巡る炎に攻め立てれて、ゼドは守りを強いられた。アミィは自由自在に業火を操り、巧みに攻撃を仕掛けてくる。それに対して、ゼドは防戦一方。身軽さを活かした奇抜な動きで、執拗な攻撃を躱すが、足の速さとナイフ捌きだけでは、この厳しい現状からの脱却は難しい。


 刻々と時間が経過する。


「守ってばっかりで、楽し?」

「図に乗るな」


 攻撃の手から逃れるようにアミィから距離を取って、ゼドは乱れた呼吸を整える。


 穿うがて、重い一撃を。

 息の根を、止めてやれ。





 ***伏線の手引き***

 ちなみに、ゼドの服が見たことがあるような、ないような、なのは、(突然のネタバレ)

 彼がヨルムンガンドであり蛇神、つまり神話的蛇の化身であるからです。

 色んな文明、どの文化においても、いつも蛇は悪者で出てきます。だから、ゼドの服も、色んな形が入ってるんですね〜

 わかった方いらっしゃいましたか? というか、そんなのどうでもいいわ! いや、分かるわけないだろが! という方々、スミマセンwww



「跪け」

これは、この章のタイトルに関連した内容(頭の引用部分に記載あり)と関わりありですね〜


 ***嬉しいおしらせ


 眞城白歌さま がイラストをくださりました!とっても素敵で可愛くて、わたくしずっと眺めてます✨しあわせです(≧∇≦)


 フェンリルと、眞城白歌さまが描かれておられるファンタジー作品、

『竜世界クロニクル』- 約束の竜と世界を救う五つの鍵 -

 の仔狼、シッポのコラボイラストです!


 近況ノートに載せました♡


 https://kakuyomu.jp/users/SAN_N6/news/16816700428939441901


 超かわいいので、よければ見てみてください♡

 眞城白歌さまの作品、とっても素敵な世界観で、その綺麗な世界に、いつも殺伐としているフェンリルも入れてもらえて、幸せでしょう…笑笑


 ***

 あと、捨ててた短い作品を載せる、短編集を作りましたww ごみばこのようなものですが、よければ覗いてみてください〜

https://kakuyomu.jp/works/16816700428953294666

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