第69編「窮鼠猫を噛むって言いますよね?」
「――……ゆきさん、起きてください」
(……?)
「……小日向さん、着きましたよ」
(ゆーいちろさま?)
春風邪のように
「ん、」
まだぼんやりとした思考の中で少し
おそらく、裕一郎がシートベルトを外してくれたのだろう。
着いた? どこに? あ、お家か。
そんなことを考えながら瞼を持ち上げた瞬間――……目に飛び込んだのは裕一郎の整った顔だった。
「えっ……
「いいえ、倉本です」
ラファエルという名前はヘブライ語で「神は癒される」という意味であり、ユダヤ教の伝統で癒しを
恋幸の目には『倉本裕一郎』が天使や神様、はたまた二次元キャラクターやアイドルのように見えているのだが、今さら説明するまでもなく彼はまごうことなき一般人である。
……芸能人のように顔が整っており、高身長で声も良く、超大手企業の代表取締役であるという部分を
そんな彼は、恋幸の
「え、っあ! はいっ!」
結局あの後、ドレスコードを済ませて豪華なレストランへ行き食事中にサプライズでお誕生日の歌と共にワンホールケーキが登場――……するわけでもなく。
ごくごく普通のレストランで何事も無く夕飯を済ませ、二人の住む裕一郎宅へ帰って来た。
慌てて助手席を降りた恋幸は、後部座席から荷物を取り出す裕一郎のそばに駆け寄り「私も持ちます」と声をかける。
「気持ちは嬉しいです、ありがとうございます。ですが、荷物は私が持って行くので大丈夫ですよ」
「でも、」
その先の言葉を
「小日向さんには、玄関の解錠を任せたいのですが……良いですか?」
(ゆ、裕一郎様に頼られた〜っ!! 嬉しい〜!!)
「声に出ていますよ」
◇
車から荷物を運び終え、大小様々な大きさの紙袋を
座布団に座ったまま彼の背中に向かって「すみません」と
「謝らないでください」
「でも……」
「今日や荷物の件に限りませんが、全ては私が貴女のためにしたくてしている事で、いわゆる愛情表現です。そんな顔が見たかったわけではありませんよ」
「……。……っあ、愛……っ!?」
涼しい顔で何の脈絡もなく落とされた大胆発言に、恋幸は背筋をピンと伸ばして真っ赤な顔で唇の
脳みその中を『愛情表現』の漢字四文字がループしているせいで、どう反応を返すべきなのか上手く考えることができない。
嬉しさと恥ずかしさ、そしてほんの少しの困惑。
その全てがあけすけになっている恋幸の様子を見て、
「……いちいち反応して、本当に可愛いですね」
さらり、重力に従って彼の黒髪が揺れる。
心と調子を乱す大きな原因の裕一郎が『余裕』を持ち合わせているのはいつもの事で、
けれど、
(な、なんか、なんか……悔しい!!)
いくら裕一郎に対して常に持て余すほどの膨大な感情を抱いていようと、いつもいつもしてやられてばかりでは
胸の中心にポンと生まれ落ちた対抗心が体を動かして、気付いた時には恋幸は座布団から立ち上がっており、勝手に進み始めた両足は裕一郎のそばへ向かう。
「お風呂は
さすがの裕一郎と言えど恋幸の中で起きた精神的な“変化”を瞬時に察する事は困難で、目の前にやって来た恋人へ何の疑問も
「……わかりました。けど、その前にしたい事があります」
「したい事? 何――……」
言い終わるよりも先に、裕一郎の厚い肩に手を添えてぐいと背伸びをする。そして、羞恥心に瞼で
鼻筋に眼鏡の
5秒ほどの間を置いて顔を離すと、空色の瞳を丸めて呆気にとられる裕一郎の様子が視界いっぱいに映り、噴水のように溢れ出した優越感が自然に恋幸の顔を
「それじゃあ、行ってきます」
スキップに近い足取りで恋幸が床の間を出て行った後、裕一郎は大きく息を吐き出してがくんとその場にしゃがみ込むと、片手を
「……はぁ……参ったな。可愛すぎる」
頬を朱に染めた裕一郎が
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