第65編「貴女が生まれてきてくれて、本当に良かった」

 翌朝。裕一郎の部屋および彼の布団の中で目を覚ました恋幸は、二重にじゅうの意味で驚いた。



「ああ、起きましたか。おはようございます」

「おっ、おはようございます!」



 まず一つ目は、あれだけ(恐らく)泥酔でいすいしきっていた裕一郎が、けろっとした様子で恋幸を見下ろしていた事。


 すでに着流しから普段着に着替え終えてきちんと髪までセットしている彼を見て、ずいぶん早くに起きていたのだと推測できる。

 昨夜とは一変いっぺん、見慣れた無表情を浮かべる裕一郎はとても二日酔いしているようには見えないため、恋幸は寝起きでまだはっきりしない頭の中で『お酒に強いのだろう』と考えた。



「……」

「……私の顔に何かついていますか?」

「い、いえっ! いつも通りかっこいいです!」

「そうですか、ありがとうございます」

「どういたしまして!」



 そして二つ目は、あまりに事もなげに自然な態度で接してくる裕一郎本人への驚きである。


 恋幸はといえば、慌てて体を起こして空色の瞳と目線が交わった瞬間に昨晩のあれそれが脳裏をよぎり顔から火が出そうな状態だというのに、対する裕一郎は取り乱すことなく恋幸のすぐ側で腰を下ろすと、胡座あぐらを組んで恋幸の寝癖を指先で優しくいた。



「その、顔には何もついてませんし、ゆうっ……倉本さんはかっこいいです。けど」

「けど?」



 そこでいったん言葉を切れば、裕一郎はわずかに首をかしげて頭を優しく撫でてくる。



「く、倉本さんは……昨日の事、覚えてますか?」

「……さて、どうでしょう?」

「!?」



 恋幸の問いかけに最初こそ表情の変化を見せなかった裕一郎だが、二拍分の間を置いて浮かべられた微笑みはまるで今この瞬間を楽しんでいるかのようで。



(こここ、これは! 覚えてる方の反応だ!!)



 初めの頃と比べて、裕一郎の雰囲気から感情や思考を随分ずいぶんと予測できるようになってきていた彼女は、が意味する事にもすぐに気がついてしまった。



「……っ、ずるい……」

「ずるくてすみません。許してくれますか?」



 本音を言えば、たまには恋幸も「許しません!」と突っぱねて頬を膨らませながら顔をそむけ、これ見よがしにねてやりたいところである。



(ひぇ〜っ!! 好き!!)



 だが、ただでさえ大好きな『倉本裕一郎』という人間に整った顔を近づけられ疑問符と共に首を傾げられると、みるみるうちにIQが低下してしまう。


 更には綺麗な眉で八の字をえがく裕一郎には犬の耳と尻尾がついているように見えて、恋幸は自分自身が“ちょろい”人間であることを自覚しつつゆるむ口元にぐっと力を込めた。



「許しません。って、言うと思いますか?」

「……いいえ。ありがとうございます」

「こちらこそ!」

「……? お礼を言われる箇所かしょ、ありましたか?」



 謎の返答に裕一郎が眼鏡の奥にある目をまたたかせると、恋幸は首を大きく縦に振って布団の中で正座になり、太ももの上に両手の握りこぶしを置く。



「はいっ! 倉本さんの存在に日々感謝しています!」

「何を言っているのか意味が分かりませんが、今日“それ”を言わなければいけないのは私の方ですよ」

「?」



 何のことだろうかと言いたげにぱちくりとまばたきを繰り返したのは、今度は恋幸の番だった。


 小動物のごとく静かに首を傾げる姿を見て、裕一郎は「ふ」と息を吐き背中に隠していた『何か』を手に取る。



「小日向さん。お誕生日、おめでとうございます。生まれてきてくれてありがとうございます」

「〜〜っ!!」



 おだやかな声でつむがれたその言葉と共に手渡されたのは綺麗なラッピングがほどこされた大きめの箱で、刹那せつな――彼女の頭の中に、和臣かずあきの声が反響した。



幸音ゆきねさん。生まれてきてくれて、ありがとうございます』

(やっぱり、一緒だ。本当に、どこまでも優しい人)



 じわりと目尻が熱くなったタイミングで、裕一郎がゆっくりと口を開く。



「1つ目の誕生日プレゼントです」

(……!?)



 意味ありげな彼の言葉に引っかかりを覚えつつも、今この場で掘り下げるべきではないだろうと判断して大きな手からプレゼントを受け取った恋幸は、手元に目線を落としてラッピングのリボンを優しく撫でた。



「……開けてもいいですか?」

「勿論」



 再度お礼をげていつだかのように時間をかけて慎重に包装紙を剥がせば、見慣れない英字の刻印こくいんされた光沢こうたくのある箱が顔を出す。


 更にその箱を開くと、梱包材こんぽうざいに包まれた中心にチョコレート色のアップショートブーツがちょこんと体をおさめていた。



「可愛い!!」

「気に入って頂けるかわかりませんが、」

「ものすっごく気に入りました! ありがとうございます! すごくすごく嬉しいです!」



 はじかれたように顔を上げた恋幸がまぶしいほどの笑顔を咲かせると、裕一郎はどこか照れ臭そうに人差し指の先で頬をく。



「靴をプレゼントする意味には『私の元を去って』というのが真っ先に出るかもしれませんが、」

(えっ!?)

「私は……これから先の人生も、共に歩んでいきたい。貴女を、小日向さんを、色んな場所に連れて行きたい。そういう意味を込めて貴女に贈りました」

(な、なに〜!? 四捨五入でプロポーズ……裕一郎さま好き好き!! 愛した!!)



 お花畑を超越ちょうえつして、恋幸の頭の中にリンゴーンと教会の鐘の音が響き渡る。


 直後に「今日、履いてもいいですか!?」と食い気味で裕一郎へ投げた問いは、無表情のまま「駄目です。今日は出先で歩きますし、靴擦くつずれする可能性が高いでしょう?」と冷静に却下されてしまうのだった。

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