第64編「可愛くて、愛おしくて」※

 恋幸がネクタイをはずし終えれば、裕一郎は「よくできました」と微笑んで彼女のひたいにキスを落とす。


 ほんの少し冷たさを残した唇はまぶたと頬を経由してゆっくり降りていくと、彼女の首筋にちゅ、ちゅと何度か口付ける。



「……っ、」



 彼の唇が触れた部分からぞわりとしたものが肌の上に広がり、無意識のうちに肩が跳ねてしまった。



(く、くすぐったい……! けど、なんか……変な気分に、なっちゃう)



 与えられる未知の感覚は決して不快なものではなく、むしろ心臓の鼓動を心地良く早めてなぜかお腹の辺りをむずがゆくさせる。


 顎の輪郭を裕一郎の長い指がついとなぞって静脈じょうみゃくに近い部分をまれると、鼻についたような声が勝手に唇からこぼれた。



「ん……っ、」

「……可愛い」



 裕一郎は恋幸の反応を見て嬉しそうに口角を上げて目を細め、片手で彼女の頭を撫でる。


 そして、空いている方の手で恋幸の細い腰をなぞり、彼女の様子をうかがいつつゆっくりと服の中に手を侵入させて直接お腹に指先をわせた。

 瞬間、恋幸はまるで陸に打ち上げられた魚のように腰をびくりと跳ねさせる。



「ひゃあっ!?」

「すみません、びっくりしましたよね」

(びっくり!? 裕一郎様、『びっくり』とかいう言葉使うんだ!? 可愛い!!)



 裕一郎を何だと思っているのか? というのは勿論、今状況下で考えるような事ではないのだが、羞恥心が一周も二周もしている恋幸の脳みそはおかしな方向へ思考を働かせていた。



「あっ、え、と……はい。少し、“びっくり”しました……」

「ふ……可愛いな」

(わわわ、笑った!? 裕一郎様の方が可愛いよ!!)



 もはや裕一郎の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが恋幸の頭を狂わせる。



「よしよし。少しずつ進めますから大丈夫ですよ」

(なんか、裕一郎様って……すごく“よしよし”してくれる……素敵……)



 自身が望んだ事とはいえ、組み敷かれた体勢でどうするのが正解なのか分からないでいた恋幸は、裕一郎の大きな手が頭を撫でて低い声がおだやかに言葉をつむぎ落とすだけでひどく安堵した。


 置き場に困った彼女の両手が胸元できゅっとこぶしを作れば、「大丈夫」とでも言いたげに口づけが落とされる。

 そうして時間をかけながら少しずつ移動した裕一郎の片手がついに胸のふくらみに触れると、恋幸はぞわりとした感覚を覚えて反射的に目をつむり肩をすくめた。



「ふっ、」

「ん? くすぐったいですか?」

「う、ん。くすぐったい」

「……ははっ」

「!?」



 とつぜん耳を撫でた笑い声に恋幸が慌ててまぶたを持ち上げれば、綺麗な眉を八の字にして楽しそうに黒髪を揺らす裕一郎の姿が瞳に飛び込み、胸がきゅんと音を立てる。



(すごくよく笑っていらっしゃる!!)

「ああ、すみません。反応があまりにもいじらしいものですから、いとおしくて。つい」

「いとっ……!?」



 脈絡無く落とされた甘い爆弾発言に、一瞬で顔に熱が集まるのがわかった。

 まばたきすら忘れて言葉に詰まる恋幸を見て、裕一郎は穏やかな微笑みをたたえたままわざとらしく首をかたむける。



「愛おしいですよ。貴女の全て、どこもかしこも」

「〜〜っ!?」



 まるでその言葉が嘘ではないことを表すかのように、ちゅ、ちゅと音を立ててキスの雨が降り、服の中に潜り込んでいる彼の手のひらが胸の膨らみから脇腹にかけてのラインをついと撫でた。

 その拍子に親指の腹が胸の突起とっきかすめて、今まで感じた中で一番大きなが背骨を駆け抜ける。



「はっ……!」

「痛い?」

「痛くは、な……っあ、」



 控えめにかぶりを振ると突起の周辺を指先でぐるりとなぞられ、腰が勝手に後ろへ逃げたがる。しかし背後は少し硬いたたみがあるだけでり上がる感覚をのがすことは叶わず、恋幸は無意識に両足をもぞもぞと動かしていた。



(なんだろ……なんか、なんか……)



 どう言い表していいのかわからないが、ぞわりとした感覚が肌を這うたび自然と呼吸が上がる。

 反応を観察し続けていた裕一郎はそんな彼女の様子にも当然気がついており、耳たぶに口をつけて低くささやいた。



「気持ち良いですねぇ?」

「きも、ち……?」

「そうですよ。……ここ、こうして触れられるとどんな感じがしますか?」



 手のひら全体で胸を下から優しく包んで持ち上げらようにして柔く揉まれながら、触れるか触れないかといった距離をたもった人差し指の腹で突起の周りを撫でられると、「あ、っん」と甘ったるい声が勝手に唇からこぼれ落ちてしまう。


 恋幸は裕一郎の背に両腕を回して彼の服を握りしめ、彼の投げた問いに答えようと必死で頭を働かせ口を開いた。



「ぞわぞわ、って。なんか……腰の後ろが、くすぐったい」

「それが『気持ち良い』の感覚ですよ」

(これが……?)

「よしよし。ちゃんと気持ち良くなれて、恋幸さんは偉いですね」

「あっ……っ!」



 軽く歯を立てて耳たぶを噛みつかれた瞬間、再び『気持ち良い』の波が背筋を抜けていく。

 同時に、硬くなった胸の先を裕一郎の指先が撫でて、大きな声が出てしまう。



(気持ち良い、気持ち良い。これが、気持ち良いって感覚……裕一郎様に触られて、気持ち良い)



 ダイレクトな快楽をぽつんぽつんと小刻みに与えられ、頭のしんしびれて上手く思考が働かなくなってきた頃。裕一郎は服の中に潜り込ませていた手を抜いて、少し乱れていた恋幸の服をきちんと整える。


 どうしてやめてしまうのだろうか? と荒い息を吐きつつ恋幸が静かに視線を向けると、空色の瞳が一瞬ぐらりと劣情れつじょうに揺れて直後に「はぁ」と大きく息を吐いた。



「本音を言えば、このまま抱いてしまいたいのですが……」

「!?」

「明日は貴女と出かけたい場所がありますから、今日はここまでにしておきます。……酒が入っている状態でのも嫌ですしね」

(い、今……! 今日は、って言った!? 今日は、って!)



 体を起こした裕一郎は恋幸のすぐ隣に腰を下ろし、片手でがしがしと後頭部をいたあと前髪をかき上げて再び深い溜息を吐く。



(……? あれ? 裕一郎様のズボン、なんか)



 主張する『何か』に恋幸が気づいたタイミングで裕一郎は彼女の頬をひどく優しい手つきで撫でる。

 そして、わずかに首を傾けて悪戯いたずらっ子のような笑みを浮かべた。



「次、同じような状況になったら……その時は、本当に最後までしてしまうかもしれません」

「へ……っ!?」

「ですから、ちゃんと私を警戒してくださいね。恋幸さん?」

「は、え、えへ……はい……」

「ん。いい子」

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