第17編「すみません、思わず……」

 そして、あっという間に次の日曜日がやって来る。今日は、裕一郎の家へ(飼っているウサギを見せてもらうために)お邪魔するという約束をした日だ。



「おはようございます」

「お、おはようございます! よろしくお願いします!」

「はい、こちらこそ。……では、行きましょうか」



 2人は午前11時にモチダ珈琲店で待ち合わせ、恋幸は浮かばぬ顔で裕一郎の車に乗り込む。



『別に、告白されたわけじゃないよね? それに……その人のこと、どこが好きなの?』

(……)



 彼の家へ向かう道中、千に投げられたあの時の言葉が何度も頭の中で繰り返されていた。





「ここが私の家です」

(え……?)



 車を20分ほど走らせて辿り着いたのは、恋幸が想像していた通りの高層マンション……ではなく。

 木で造られた立派な門に、凛とした佇まいの和風住宅。広大な土地を囲む竹垣たけがきは敷地がどこまでも続いているかのように錯覚させており、目の前にあるのはどこからどう見ても『豪邸』と呼ばれる建物だった。


 恋幸は一瞬、もしかして旅館に連れて来られたのだろうか? と考えたが、裕一郎は慣れた様子で門をくぐり「こちらです」と玄関に誘導する。



「高級旅館……じゃ、ない……だと……?」

「……ああ。初めて連れてきた方にはよく言われますが、違いますよ。……どうぞ、使ってください」

「は、はいっ! ありがとうございます!」



 玄関を入ってすぐの場所からは美しい木目の廊下がまっすぐに伸びており、その奥にある庭園ていえんらしきものが目に入った。

 彼の差し出したスリッパに足をくぐらせた恋幸は裕一郎宅を散策したい気持ちをぐっと抑え、はぐれてしまわないよう大人しくその後ろをついて歩く。


 木造の廊下をひたすら突き進み、L字型の角を曲がったところで裕一郎は足を止めて振り返った。



「ここです」

「ここ……?」

「はい。この一室丸々を、我が家の小さな家族に与えているんです」



 どこか優しい声音で恋幸にそう語る裕一郎の表情が、ほんの少しだけ和らいだように感じる。

 彼は一言「大きな声や音は出さないように気をつけてください」と付け加え、恋幸が頷いたことを確認してからふすまを静かにスライドさせた。



「どうぞ。……花、ただいま」

「お、お邪魔しま、……っ!?」



 その先に“居た”存在を認識した瞬間、あまりの可愛さに恋幸は一瞬呼吸ができなくなる。


 8畳のその部屋はエアコンで温度調節がされており、畳の上には大きなカーペットが敷かれ、その範囲外に出てしまわないよう周囲はサークルで囲まれていた。

 そして、奥で扉が開けっ放しになっているゲージの中では、コッペパンによく似た色のネザーランドドワーフがモシモシと一生懸命に牧草を食べている。


 しかし裕一郎の声で主人の帰宅に気づいたらしく、牧草を咥えたまま勢いよく彼のもとへ駆けてきた。



「か、かわっ、あ……可愛い……っ」

「ありがとうございます。小日向さんも、サークルの中に入って構いませんよ」

「えっ……! あ、じゃあ、お邪魔します……!」



 サークルを軽々と跨いだ彼の後に続いて中へ入り「立ったままだと怖がってしまうので、その場にゆっくり座ってください」と裕一郎に言われた通り恋幸は彼の隣に腰を下ろす。

 すると、先ほど『花』と呼ばれたネザーランドドワーフは軽く跳ねて恋幸のそばへ寄り、ふんふんと荒い鼻息を吹きかけながら彼女の匂いを嗅ぎ始めた。



「く、臭いんでしょうか……?」

「いいえ。小日向さんが自分にとって安全な存在かどうか、チェックしているだけです」

「そうなんですね……! こんにちは花ちゃん、はじめまして。私は小日向恋幸と申します」

「……もう触っても大丈夫だと思いますよ。頭を撫でられるのが好きなので、撫でてあげてください」

「はい……!」



 恋幸がゆっくりと手を伸ばせば、ウサギの花は頭を低くして突き出したままその場でもっふり丸くなる。

 そのまま恐る恐る撫で始めると、花は気持ちが良さそうに目を閉じて恋幸に身をゆだねていた。



「ふふ……可愛い」



 そんな恋幸たちの様子を静観していた裕一郎は自身の立てた片膝の上にひじを置く形で頬杖をつき、恋幸に対してぽつりと言葉を落とす。



「……引かないんですか?」

「……え?」



 質問の意図がわからず、恋幸は花に向けていた目線を移動させ裕一郎をその瞳に捉えた。

 彼の表情がどこか寂しげに見えたのは、恋幸の錯覚などではないはず。



「……男のくせに、ウサギを飼っているだなんて気持ち悪い。イメージと違った……そう、思わないんですか?」



 恋幸には、相変わらずその質問の“本当の意味”がわからない。

 けれど、



「気持ち悪いだなんて思いませんし、私は私の中で作り上げた勝手なイメージを倉本様に押し付ける気はありません。何が好きでも、どんな趣味があっても、倉本様が私の知っている『倉本裕一郎』であることは変わりません。だから、私は……ありのままの倉本様を、もっと知りたいです」



 ――……が本心であることだけは確かだった。



「……はあ……」

「……っ!?」



 裕一郎の溜め息が耳に届くと同時に、恋幸は彼の腕の中に閉じ込められる。


 いったい何が起きているのか。

 彼女の脳では理解が追いつかず、思考の整理ができるまで待つはずもない裕一郎は抱きしめる腕に少し力を込めた。



「……どうして、いちいちそんな可愛いこと言うかな……」

「えっ、えっ? あっ、あの……」

「ありのままを知りたい、なんて言われたら……調子に乗ってしまいますよ?」



 少し体を離した裕一郎は、恋幸の瞳を覗き込み額同士をこつんとくっつける。



「……っ、ちょ、調子に、乗って、も……良いと、思います、よ……?」

「……はい、覚えておきます」



 バクバクとうるさいこの心臓の音が、耳の良い花に聞こえてしまっていないだろうか?

 そんな考えも、恋幸を映す空色のビー玉がもたらす熱のせいで、全て溶けてしまった。

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