第60話 危機
あの人が1階に降りて行ったあと、アタシは1人で夜景を眺めていました。
あの人がそばにいると、心が苦しくなります。
なにか大切なものを失ったように感じ、とても悲しくなるのです。
だからアタシは、あの人のことが嫌いなのだと思っていました。
でも、こうしてあたしの前から姿を消すと、それはそれで辛いのです。
それはつまり……。
ポン。エレベーターのドアが開きました。
あの人が、戻って来たのでしょうか?
早く公園に連れて行って欲しいです。
クレープも作りたいです。
とても楽しみです。
アタシはエレベーターの方を振り向いたのですが、中から出てきたのは、大きなバッグを持った、6人の男の人達でした。がっかりです。
「おじさんだけってめずらしいです」
この展望台は、いちゃつくカップルばかりです。
男同士で来る人はほとんどいません。それが6人もだなんて、とんでもないことです。まさか、そういう人たちなんでしょうか。ちょっとドキドキします。
男の人達は全員トイレに向かいました。
まさかこんなところで、ウホッなことを?
アタシはゴクリと唾を飲み込みます。
数分後、男の人達はトイレから出てきました。
彼等の恰好を見て、アタシは完全に体が固まってしまいます。
全身黒い服に、黒のボディーアーマーを着て、銃を持っているのです。
――え? あれは本物でしょうか? イスラエル製のサブマシンガンですが、電動ガンですよね?
「動くな! 動けば殺す!」
一人が、窓ガラスに発砲しました。
ガラスは粉々に砕け散り、外から風が吹き込んできます。
間違いなく実銃です。
「きゃああああああ!」「うわああああああ!」
その場にいた人達が悲鳴を上げます。
アタシは声を上げることすらできません。
悪い男の人は懐から、何やらリモコンのような物を取り出し、ポチッと押しました。
ドオオオオオオオォォォォォンッ!
「ひいいいいいいいい!」「いやああああああああ!」
近くで爆発音が鳴り響きました。
悪い男の人が無線機を取り出します。
「――アルファチーム、非常階段の破壊に成功。人質を確保した」
「ひとじち……?」
アタシはとんでもないことに巻き込まれたことを、ようやく実感しました。
* * *
「一体なんだ……?」
「か、雷が落ちたのか……?」
宿泊客が怯えている中、フロントは相変わらず受話器を持ったままだ。
「おい! エレベーター止まってねえか!?」
一人の宿泊客がエレベーターのボタンを連打しているが、無反応のように見える。
フロントは慌てて受話器を下ろし、エレベーターの場所へと駆けつけて来た。
「本当ですね……通常のエレベーターも、展望台直通エレベーターも全て止まってしまっているようです……」
「まったく……! どうなってるんだこのホテルは!?」
「本当最低ね! 口コミで叩いてやるわ!」
「じゃあ俺は、ニチャニチャ動画にライブ配信だ! このホテルのクソ対応ぶりを世界に配信してやるぜ!」
宿泊客が次々に怒りをあらわにする。
「……お、すでにライブ配信してる奴がいるじゃねえか。展望台からだな」
展望台……ひまりは大丈夫だろうか……?
気になった俺は、ニチャニチャ動画のアプリを起動しようと、スマホを取り出した。――が、急に便意を催してきたので、トイレへと駈け込む。
クレープが良くなかったのだろうか?
「……ふぅ、スッキリしたぜ」
手を洗っていると、突然バンッ! バンッ! という音と、悲鳴が聞こえてきた。
「おい……! 今の銃声じゃないか……!?」
俺はトイレの入り口から、こっそりとロビーを見る。
――ホテルスタッフと宿泊客が、膝を付かせて座らせられている……!
その周囲には4人の武装した男達……! これはヤバいぞ!
「こちらブラボーチーム、警備室及びロビーの制圧完了。入口、階段、エレベーターは封鎖。展望台へのアクセスは完全に遮断した」
なんだ!? テロリスト!? 身代金目的の誘拐!?
「――よし、人質をバックヤードに押し込めておけ。2人はトイレのクリアリングを済ませろ」
「了解」
マズい……!
2人の男が、こっちへ来る……!
どうする?
見たところ奴等は全員、サブマシンガンで武装している。とてもじゃないが、素手で倒すなど不可能だ。
だがこのトイレは、外に通じるような窓がなく、他に逃げ道などない。
――いや、もしかしたら!
俺は天井を見上げる。――あった! 天井裏に通じる点検口が!
俺は便器の上に乗り、点検口を開けると、急いで天井裏へと上がる。
石垣登りで鍛えた握力と背筋力のおかげで、簡単によじ登ることができた。
2人の男がトイレに入ると同時に、蓋をしめる。
奴等は天井裏までチェックするだろうか?
さすがに一般人が、こんなところから脱出するなど想定しないはずだが……。
「ん? 点検口があるな……一応見ておくぞ」
「了解」
マジかよ……!? どうする!? 急いでここを去ろうとすれば、足音でバレてしまう!
俺はいちかばちかで、点検口の蓋の上に乗った。
「――あん? 押してもびくともしねえな」
「塞がってるのかもしれんな。じゃあいいだろう」
助かった……!
俺は男達がトイレから去っていく音を確認してから、スマホを取り出した。
まずやるべきは警察への通報だ。
すでに相当数の宿泊客が警察への通報はおこなっているはずだが、それは閉じ込められていることでの通報だろう。
実際にテロリストを目にしながら通報した者は、まだいない可能性が高い。
ここはしっかり俺が情報を伝えるべきだ。
俺は110を押し、警察に電話する。――出た。
「事件ですか? 事故ですか?」
「事件です。ホテルが武装した男達に占拠されました」
「それはいつですか?」
「ついさっきです。俺はうまくトイレの天井裏に逃げ込みました」
「どこのホテルですか?」
「神奈川県のグランドモールホテルです。展望台で有名な」
「現場はどうなっていますか?」
「ホテルスタッフと宿泊客は人質にされ、どこかへと連れて行かれたようです。シャッターが下ろされて、閉じ込められています。――あと、爆発音のようなものも聞こえました」
「武装集団の人数と恰好を、詳しく教えてください」
「人数は少なくとも4名以上。全身黒い服にボディアーマー。サブマシンガンを携行していました。ブラボーチームと言っていたので、もしかしたら他のチームがいるかもしれません」
その後、俺の名前や住所、電話番号など、個人的なことを聞かれる。
「あの、俺はどうすればいいですか? 知り合いが展望台にいるはずなんですが?」
「安全に脱出ができるようであれば、それを最優先に。不可能であれば、安全な場所に留まっていてください。絶対に知り合いの方を助けようとしないようお願いします。あなたと、人質全員を危険に巻き込むことになりますので」
「分かりました」
ひまりが心配で仕方ないが、警察に任せるのが一番だ。
俺は外に出る方法がないかと、天井裏を慎重に移動する。
その時、ふと思い出した。
ニチャニチャ動画で、展望台の様子が配信されていることを。
俺はアプリを起動する。
ホーム画面に、もっともトレンドな動画として、それが掲載されていた。
俺は動画のサムネイルをタッチする。
動画が再生されると、そこには血を流して倒れている人の姿が映された。
『まず1人目だ。我々の要求を呑まなければ、1時間後もう1人処刑する』
こいつ等、人質を殺しやがった!
ひまりは……ひまりは無事なのか!?
『もう一度我々の要求を伝えておこう。中央刑務所に収監されている、我等のリーダーの解放と北朝鮮への亡命だ』
なるほど……こいつ等は、いわゆる過激組織と言われる連中だ。
身代金目的ではないから、人質は誰でも良いのか。どちらかと言えば、目立つことを重視している感じだな。
『リーダーをヘリに乗せ、ホテルの屋上まで連れて来い。そのヘリで羽田まで飛ぶ。そこから我々を北朝鮮へ連れて行け』
ヘリから飛行機へと乗り換える訳か。
だが、そんなすぐには用意できないはず。次の人質は確実に殺されてしまう。
『1時間後に用意できなければ、この少女を殺す。――いいな?』
カメラが動き、男2人につかまれている女の子が映し出された。
ひまりだ……。
『ううう……』
ひまりの頭に銃が突き付けられる。
『タイムリミットは20時48分だ。では、諸君の迅速な決断に期待している』
そこで動画が終了となる。
[1、警察の指示に従い、その場で待機する]
[2、窓のある部屋に向かい、ホテル外への脱出を図る]
ふざけるなよ! なんで、ひまりを助ける選択肢がないんだよ!
タイムリミットまでに奴等の要求を叶えることは、絶対に不可能だ! 警察を待っている暇はない! 俺がなんとかしなければ!
「ひまり……絶対に助けてやるからな……!」
俺は再び、存在しない選択肢[3、命に代えてもひまりを救出する]を選んだ。
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