第24話 頑張るひまり

 結局あの後、一睡もできないまま朝6時を迎えた。

 いくら横になっても眠れるとは思えないし、このまま起きてしまおう。

 俺はキッチンに行き、コーヒーを淹れる。


 ……すごい体験をしてしまったな。

 おとなしくてポーカーフェイスな先生が、あんな姿を見せるなんて……。

 アルコールって恐ろしい。




 30分後、紬が部屋から出てきた。

 朝食の支度を始めるのだろう。本当に立派な妹である。


「おはようございます兄上。今日は早いですね」

「ああ、なんだか目が覚めてしまってな」


 ガラッ。ひまりが出てきた。今日は随分と早いな。休日は9時くらいまで寝ているのだが。


「あ、八神……おはよう」

「おう。どうした? 勉強したくてたまらないのか?」


「あ、いや、えーと……」

「ひまり嬢は、料理のお勉強のために早起きしたのです!」


「ちょっと、言わないでよ!」


 勉強は勉強でも、料理の勉強か。でもまあ、悪いことではない。


「へー、偉いじゃないか」

「えへへ……そう?」


「料理ができるに越したことはないからな。しかし、なんでまた急に?」

「えっと、それはその……」


 ひまりの顔が赤くなっていく。

 秘密にしておきたい理由なのだろう。ならば無理に聞きはすまい。


「ああ、別にいいんだ。気にしないでくれ」

「う、うん!」

「じゃあひまり嬢、卵を割りますです」


 俺はコーヒーを飲みながら、お料理教室を見守る。

 ひまりが調理台に思い切り卵を叩きつけ、中身をぶちまけた。あいつには、加減という概念がないのか?


「もっと優しくです! コンコンです!」

「コンッ!!!! コンッ!!!!」


 また、調理台の上に卵が飛び散る。

 お前は、卵を武器としてしか扱えない呪いでも受けているのか?


「そんなコンコンがあってたまるかです! 男の人のキン〇マだと思って、優しく扱ってくださいです!」


 そんな説明の仕方があるか!


「せいっ!!!!」


 派手に卵が飛び散る。

 ひまりとは絶対に肉体関係がもてないな。タマを粉砕される。


 こうしてひまりは、卵1パックすべて調理台にぶちまけ、責任もって全部美味しく食べました。




「いただきまーす!」


 卵をすべて失い、ソーセージも真っ黒な肉棒と化してしまったので、ソーセージエッグ定食は、納豆ご飯へと変更になった。


「今日の朝食はアタシが作ったのよ! どうかしら!?」


 ひまりは目を輝かせながら、紫乃にグイグイと身を寄せる。


 あれだけ派手に失敗しておきながら、その自信にあふれた態度はなんなのか。本当幸せな女である。


「作ったって、納豆混ぜただけじゃないですか! 自慢げに言うことじゃないですよ! それに、力を入れて混ぜ過ぎです! 底に穴が開いて、たれが漏れちゃってますからね!?」

「うっさいわね! どうしてアンタは『初めてにしては上手です!』って言えないわけ!? 本当可愛くない妹だわ!」


 初めてにしても下手すぎる。多分、賢いゴリラにやらせた方が上手だ。



「どう八神……? 美味しい……?」


 ひまりが不安げに俺の顔を覗いてくる。


「ああ、美味いぞ」


 そりゃそうだ。日本人のソウルフードである納豆が不味い訳がない。

 変なものを混ぜなければ、誰がやっても美味いに決まっている。

 というか、「アタシの手料理どうかな?」感で聞くなよ。


「えへ……良かった!」


 ひまりはニッコリと笑う。――まあ本人が満足なのなら、それでいい。



「桜子、アンタ二日酔いは大丈夫なの?」

「ん、まあ……そんなに飲んでないから……」


 先生は、モソモソと納豆ご飯を食べている。


 彼女が姿を現してから、ずっと様子をうかがっているが、いつもとまったく変わりはない。やはり記憶はないようだ。

 昨晩のことは心にしまい、墓場まで持っていこう。先生が傷付くし、俺も警察のお世話になりかねない。



「……桜子ちゃん、何してるんですか?」


 先生は、箸と納豆の間に引いた糸をじっと見ている。


「――ん、なんでもない」


 先生はチラッと俺を見た後、再びモソモソと食べ始めた。





 朝食後は、ひまりの勉強だ。

 数学(というより算数)を教え始めてから、1週間以上経過したが、一つ驚いたことがある。


「13かける15は?」

「195!」


「544割る17は?」

「32!」


 ひまりは暗算で即答してくる。ついこないだまでは九九すら怪しかったのに。

 おそらくこいつは馬鹿ではない。単に勉強嫌いだっただけなのだ。

 しかも、元が低すぎたというのもあるだろうが、他の科目よりも数学(算数)の伸びの方が良い。まさかこいつ理系?


「よし。ウォーミングアップは終了して、本題に入ろう。では、この三角形の面積を求めてくれ」

「ムリよ! アタシ、四角の面積しかできないわ!」


 三角形の公式を教えれば、今のひまりなら簡単に計算できる。

 だが俺は、少し試したいことがあった。


「どうやればいいか、自分で考えてみてくれ」

「はぁ!? それを教えるのが、アンタの役目でしょうが!」


「確かにな。だが俺は、お前ならできるんじゃないかと思っているんだ」

「あら、そう……? じゃあ、やってみるわ!」


 なぜ「底辺×高さ÷2」なのかを、きちんと理解しなくてはダメだ。俺はひまりに、そこをちゃんと教えたい。

 嫌々やるはめになった家庭教師のバイトだが、プロ意識を持っていることに自分でも驚いている。



 そして、うんうん悩むこと30分。

 ひまりは、三角形が平行四辺形の半分の面積であることに気が付いた。


「8かける4割る2で16ね!」

「正解! たいしたものだ!」


 ひまりは「えへへ」と嬉しそうに笑う。


 一切のヒントもなく、自分の力だけで答えを導き出した。もしかしてこいつ、化けるか?



「ようやく小5レベルですか。おめでとうございます」


 バッチリメイクした紫乃が、声をかけてきた。

 これからどこかへ出かけるのだろうか?


「いちいち嫌味ったらしいわねー……! だからアンタ、モテないのよ!」

「は? 私、モテモテですけど? サッカー部の先輩達から、告られまくってるの知らないんですか?」


 紫乃はあれからさらに2名に告白されたらしく、一月たたぬうちに5名もの撃墜スコアを叩きだしている。


「はん! たった5人でしょ? アタシの方が全然モテるわよ!」


 うーむ……まあ、確かにひまりは人気があるのだが……。


「それは、ひまりちゃんが『おサセ』だと思われているだけです!」

「はぁ!? アタシ、ヤリマンじゃないわよ!? つうかアタシ――」


 ひまりはチラッと俺を見ると、頬を赤く染め押し黙ってしまった。


「はいはい、そこまで。勉強を続けるぞ」

「先輩! 私の方がモテますよね!?」



[1、「ああ、そうだな」]

[2、「いや、違うな」]



 なんだよもう……めんどくせえな。


「ああ、そうだな」

「ほら、やっぱりそうです! 私の勝ちですね、ひまりちゃん!」

「はぁ!? ちょっと八神! アタシの方がモテるわよね!?」



[1、「ああ、そうだな」]

[2、「いや、違うな」]



 知らねーよ、まったく……。


「ああ、そうだな」

「ちょっと、やだやだ! 言ってること変わってるじゃないですか! もう一度聞きます! 私なんですよね!?」



[1、「ああ、そうだな」]

[2、「いや、違うな」]



「ああ、そうだな」

「はぁ!? アタシでしょ!?」



[1、「ああ、そうだな」]

[2、「いや、違うな」]



「ああ、そうだな」

「もう! どっちなのよ!」「もう! どっちなんですか!」



 信じられないことに、この問答は30分も続いた。

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