「センパイ、また明日」


「あの、大した事じゃ…、ないんです、けど…」


声が震えていた。地面に座り込んだまま私は話を続ける。


「実は、さっ…さっき…。知らない男の人に…声掛けられ、てッ、腕、掴まれて…」


ぐすっ、ぐすっ、と泣きたいのを堪えながら私は話す。センパイには泣いているところなんて聞かれたくなかった。それでもパニックになっている頭ではそれ以上の事は考えられなくて、ただただ私は泣くのを堪えていた。


『優良さん、今どちらですか?』


センパイの冷静な声で少し安心する。


「バ、バイト先…の、前、です…」


『分かりました。中に入っていてください。今から向かいます』


センパイはそう言うと電話は切らずに用意をし始める。ガタガタ、と音がして私は慌てて口を開く。


「でっ、でも…、腕を掴まれただけで…っ。そんな…、酷い事は何も…」


『優良さん。知らない人にいきなり腕を掴まれたら怖いでしょう?』


「それは…」


怖かった。一体何が起きたのかと、そう思った。私が「はい」と首を縦に振って答えるとセンパイは『ですよね』と真剣な声色で言う。


『辛いとは思いますが店長さんに事情を説明してください。僕も直にそちらへ向かいます。電話は繋げたままにしましょう』


センパイはテキパキと今するべき事を教えてくれる。その指示通りに私は震える足を叩いてバイト先のカラオケへ戻る。


ついさっき帰ったはずの私がまた事務所に戻ってきて店長は驚いた表情をした。しかし私の今の泣き顔を見て何かを察したのか、何も言わずに椅子へ誘導してくれた。


「どうしたんですか?」


「あのっ大した事、ないんですけど…」


センパイと繋げたままの電話を膝に置いて私は説明をし始める。最初こそ、何があったのかと心配そうに話を聞いていた店長だが、事のあらましを理解すると驚いた表情に変わった。


「って事が、ありまして…。今、彼がここに向かってます…」


「結城さんは大丈夫でしたか?」


「はい…」


「無事でよかったです。警察に連絡しましょう」


「えっ、そんな大事にしなくても…」


「大事ですよ。怪我はしなかったにせよ、もしかしたらそのまま誘拐されていたかもしれないんですよ」


誘拐…。それは少しオーバー過ぎるかもしれないがその可能性も無きにしも非ずだったのかと思うとやっぱり怖くなる。


店長が警察に連絡すると事情を聞きにやって来てくれるらしい。そしてしばらくすると警察よりも早くセンパイがバイト先にやって来て事務所に通される。


それから警察がやってくるまで私はただ隣に座っているセンパイの手を繋いでいた。家族には店長から直々に電話が行き、親も駆けつけてくれた。


結果、私の腕を掴んだ男性は見つからず、被害届を提出して「何かあったらまた連絡してください」と言われて警察は帰っていった。


「センパイ、すみませんでした…」


家まで送ってくれたセンパイに私は頭を下げた。親も一緒に帰ったのだが、空気を読んで先に家に戻ってくれた。ありがとう、ママよ。


「優良さんが謝る事ではないですよ」


センパイはそう言うと頭を上げた私の頭を撫でる。


「怖かったでしょう?」


「………はい」


「これからは僕が送り迎えしますから」


「えっ、それは申し訳ないですよ…!」


「申し訳なくないですよ」


とセンパイは言うとペシっ、と私の額にデコピンを食らわせた。「いでっ」とデコピンされた額を抑えるとセンパイはくすくすと笑いながら「すみません」と言った。


「明日、辛かったら学校は休んでください」


「センパイと会えるので行きますよ」


「そうですか。それではまた明日」


センパイは嬉しそうにそう言うと私が家に入るまで見守ってそれから家へと帰っていった。


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