第62話 違和感の原因①

 部屋を出たところですぐに辺境伯の執事を捕まえてジェンス男爵の所在を確認すれば、離れの館に滞在していると答えが返ってきた。

 リーンの弱点になりうる二人だからそこに囲っているのだろう。しかしそんな近くに置いていたとは……リーンが知ればもっと早く教えてくれてもと言われそうだ。


 招待客が帰り幾分静寂が戻ってきた辺境伯の本館を歩き、離れの館に近づくと見知らぬ騎士が警護していた。なるほど、こちらは辺境伯軍で守っていたのか。


「ジェンス男爵と夫人に用がある」


 こちらの顔はさすがにわかっているのか、敬礼を返されて特に止められる事も無く離れの中に入る事が出来た。すぐに気づいたメイドが執事を呼び、見知った顔が足早にやってきた。


「殿下、いかがされました」

「少しジェンス男爵と夫人に確認したい事がある。大した事ではない。すぐに済むから繋いで貰えないか」

「……承知いたしました。こちらで少々お待ちください」


 応接室に通されて、椅子に座って待つ。

 そういえば昔ここでディートハルトと喧嘩をして家具を駄目にした事があった。あの時とは家具も何もかも違うが、壁に飾られた絵画の裏にはおそらく壁につけた傷が未だに残っているだろう。もう随分と昔のことなのに鮮明に思い出せるのは歳をとったからか……


 ややしてから、初めて会った時と同じように緊張した面持ちのジェンス男爵と、それを支えるように控えている夫人が現れた。二人とも正装姿からこちらで用意されたのだろう楽なものに着替えている。失礼だがやはり夫人はリーンが言うように美人と言うほどではないように見える。


「いきなり押しかけてしまい申し訳ない」

「い、いえいえいえいえ! 私どもはお世話になっている身ですので、そんな、いえ、はい」


 手を大きく振るジェンス男爵をさりげなく夫人が誘導して互いにソファに座る。


「今日はいろいろと問題が起きた中で無理に挨拶の場を設けさせてもらい申し訳なかった」


 ぶんぶんと首をふる男爵に「それとは別に」と話を続ける。


「お二人に少し聞きたい事があるのだがいいだろうか」

「は、はい。な、なんでしょう、か」

「ご息女が、自分の母はとても美しいから似ていれば良かったのにと言った事があるのだ」


 落ち着いた様子の夫人が、すこし恥じるように頬に手を当てた。


「ま、まぁ妻は美しいですからなぁ」


 満更でもないという様子で汗を拭く男爵に、意味が通じていない事を感じるが構わず続けた。


「私も、時折ご息女が信じられないぐらいに美しく見える時がある」


 私の言葉に少し驚いたような顔をする夫人と、ハッとした顔をする男爵。

 二人はちらっと顔を見合わせてから、諦めたような顔になりこちらに向き直った。


「申し訳ありませんが、ジェンス家に関わる秘密ごとですので人払いをさせていただいても?」


 夫人が控えていたメイドに声を掛けると、メイドはこちらに視線を向けてきたので黙って頷いた。

 メイドが出て行った後、一瞬風が巻き起こったような感覚がした。何事かと周囲に視線を走らせれば男爵が申し訳ないと汗を拭きながら頭を下げた。


「つ、妻の、遮音魔法です。そ、——その、どうしてもひ、秘密にしていただきたく」

「あぁ。構わない」


 地下牢でリーンの声がいきなり遠くなった魔法と同じなのだろう。

 一瞬にして張り巡らされた魔法に舌を巻くが、親子ならばリーンと同じく魔法の扱いに長けているのもそう不思議ではない。


「さ、先に謝罪させていただきますが、これは我々が自衛するための手段だった事を、ご、ご理解ただければと思います」

「自衛?」


 ジェンス男爵は夫人に視線を合わせて頷くと――っ!?


 一瞬にして、特に目立つところも無かった夫人が艶やかに彩られた。


 銀色の髪は同じ。だが、その瞳はけぶるような睫毛に縁どられ、透明感のあるどこか人間離れした顔立ちは、まるでずれていた焦点が合うように際立った。

 造作が変わったわけでは……おそらく、ない。なのに、圧倒されるほどの美しさが目の前にあった。


 リーンが御伽噺と言った意味がわかった。

 これは、確かに、今まで見た事が無い。


「わ、私は簡易の『見る』加護と、もう一つ『惑わす』という加護をいただいて、おります」


 男爵の言葉に耳を疑った。


 二つの加護なんて、そんな事が―― 


「そんな事があり得るのか?」

「そ、その……得て、おりますので」


 困ったような声音で返されて、それはそうかもしれないがと言葉が途切れる。


「つ、妻の姿を、偽っているのは、この容姿を危ぶんだ、ご両親が自衛手段として『惑わす』を、使うよう、お、お願いされまし、て。はい」

「……では、リーンは」


 つっかえながら言葉を紡ぐ男爵の背を撫でて、夫人が代わりというように口を開いた。


「直答をお許しください」

「構わない」

「感謝いたします。

 リーン……リーンスノー様も、私と同じでございます。その姿のせいで狙われる可能性があったため、夫にお願いしてそうと見えないようにしておりました」

「何故、それをリーンは知らないのだ」


 これだけ容姿が整っていれば確かに狙われる可能性は高いが、だからと言って本人に知らせないという事とは違う気がする。


「私が気づかぬようにと夫に願ったのです。

 私も幼い頃はこの容姿を持て囃されて……かなり愚かな性格をしておりました。そして取返しが付かなくなる寸前で夫に救われたのです。ですから、娘に同じ轍を踏んで欲しくなくて願ったのです。己の顔に奢らないようにと」


 ……わからなくも、ないか?


 一瞬、リーンに掛けられた『惑わす』の加護の力を解けばと考えたがその考えを切り捨てる。

 もし姿までもが人の好むものとなってしまったら、本当にリーンは利用しつくされてしまう気がした。しっかりしているようでいて、お人好しのあれは危機管理能力が低い。


「リーンスノー様には想う相手が現れれば、その相手だけには本当の姿が見えるようにしてあります。本来持っている筈のものを奪っては可哀想でしたから」


 夫人の言葉に、その意味に思考が追いついて束の間停止してしまった。


「まさか恋愛音痴の………いつも口にするのは全然娘らしくない事ばかりで……そんな日がこんなに早く来るなんて……」


 嬉しいような寂しいような何とも言い難い表情を人間離れした美貌に浮かべて困ったように笑う夫人。

 横の男爵も困ったような悲しんでいるような、何とも言えない表情で口を一文字に引き結んでいた。

 

「あ、いや……しかし、常にそう見えるわけではないのだが」

「それはまだはっきりと自覚していないからだと思います。でも確実に好意がなければそのように見える筈がありませんから」


 好意……は、あるのだろうか?……嫌悪されてはないと思うが、好きではないだろうと聞いた時に困ったような顔で無言だったあれは確実に肯定を意味していたと思うのだが……


「で、殿下。ぶ――不躾なのですが。その、ゆ、指を見せては、い、いただけないでしょうか」

「指?」

「精霊教会で結ばれた、こ、婚姻の証、を」

「これか?」


 見せることは何も問題はない。今日のお披露目でも幾人かはこれを見たがった。

 左手を前に出せば、男爵は食い入るように私の指を見つめた。


「………あ、ありがとうございます。あ、あの……重ねて、お願いを申し上げてよ、宜しいでしょうか」

「なんだ?」


 リーンの生家と言っても何も便宜を図る事は出来ないが。

 聞くだけは聞こうと問えば、夫人から心配そうな視線を受けながら男爵は懐から何かを取り出した。


「こ、これを」


 間に挟んだテーブルの上に置かれたのは、やや古びたカメオのようなものだった。細い金の鎖の先に付けられた丸いペンダントヘッドの部分に、白い大理石か何かで婚姻の証と似た植物が浮き彫りにされている。それが、二つ。


「これは?」

「こ、婚姻の証を刻んだ者が、離れぬようにと、過去の大司教様が御作りになられたもの、です。我がジェンス家の家宝ですが、証を持たない者には、価値のないものです。

 しかし、証を持つ者には離れた時に、必ず相手へと導く標と、なります。その、あまり見た目は良くないと、わ、わかっております。殿下に、このような物をおしつけるのも、不敬と承知しております。

 ですが、どうか、どうかお願いいたします。これを、リーンと共にずっと、持っていていただけませんか。どうか、お願いいたします。どうか」


 頭を深く下げ絞るような声で懇願する男爵に、私はカメオに視線を落とした。

 『整える』で確認する限りは、特に変な気配のようなものは感じない。『視る』ではないので毒や仕掛けなど確かな事は言えないが、私はハンカチを取り出して直接触れないように包み込んだ。


「確認はするが、問題がなければリーンに渡そう」


 がばりと男爵は顔を上げた。


「あ、あ、ありがとうございますっ」


 それから男爵は言葉を詰まらせながら、何度もリーンを頼むと、例え困難な事があったとしてもリーンの心だけは裏切らないで欲しいと、困惑する夫人に窘められても何度も何度も懇願してきた。


 よほど娘が大事なのだろう。己の娘を道具のように扱う者がいる中でここまでやる人物がいるのだなと逆に感心すらした。それがリーンの親だというのも、どこか暖かい気持ちにさせられて、窘める夫人に不要だと首を振る。


「ジェンス男爵。先ほども言ったが、私は可能な限りリーンを守るつもりだ。

 そして私はリーンを裏切るつもりはない。突然このような事になって信用するというのが難しい事はわかっているが、私からはそう言う事しか出来ない。すまない」

「いえ、いえっ……有り難きお言葉で、ございます。

 あの子は、の希望なのです。どうか、よろしくお願いいたします」


 男爵は私が去るまで、そうやってずっと頭を下げていた。

 

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