第45話 聖女のお披露目②

 とりあえず今日は目の前の事に集中しよう。

 今日が終わっても辺境伯様から伝え聞いた限り予定は目白押しだったのだが、とりあえずは今日だ。 今日を乗り切る。それに集中する。よっしゃやるぞ。


 さあ参りましょうとデリアさんに先導され、背後はアデリーナさんに守られここに来てから始めて部屋を出た。


 廊下もふっかふかの絨毯なんですが……


 王都の職場はあくまでも職場で、式典とか豪華な催しものを行う区画とは分けられている。しかも私は下っ端なので大した装飾も施されていない部屋で働いていた。偶に書類を運んだり別の人の仕事を手伝ったりでお偉いさんの区画に足を延ばす事もあったが、ここまで鮮やかで毛足の長い絨毯がひかれていた記憶は無い。


 ……辺境伯家って、王家よりお金あるんじゃ…


 視線を下から壁、天井へと不躾にならない程度に動かしてみても精緻な細工がそこかしこに張り巡らされている。

 私の居室が客人用のものだから綺麗に整えられているのかと思っていたが違う。おそらくほとんどの場所がこうなのだ。おそるべし辺境伯家。本当の金持ちってこういうのを言うのだろう。


 木の滑らかな質感が美しいこげ茶色のドアをデリアさんが開くと、そこには深緑色の軍服風の礼装(騎士服とは違う。装飾がほとんどなく質実剛健)に身を包んだ辺境伯様とおそらくその伴侶である夫人、そして黒に近い紺色の正装姿(キュロットと白い靴下のロココ調ではなく、こちらは騎士服に近い)の王弟殿下が既に待機していた。


 ……身分的に、私一番乗りしていないと駄目だったんじゃ。


 夫人のドレスが私と同じビスチェを下に着こんだAラインのシフォンの装飾が施されたあのドレスで、化粧も私が出したものだと分かったがそれどころではない。


 たらりと冷や汗が垂れつつ、ひとまずカーテシー。


「まぁまぁまぁ。ようやく会えましたわね」


 高いトーンで喜色も顕わにして、辺境伯夫人がドレス捌きも見事にこちらへ歩み寄って私の手を取った。

 

 辺境伯夫人は少し赤みがかった金髪に意志の強そうなやや釣り目のダークグリーンの瞳で、思ったよりも背が高かった。そしてどことなく宝塚を思わせる顔立ちはティルナの面影が重なった。


「私、ティルナの母と従妹同士なの。似ているでしょ?」


 何故思った事がわかったのか。

 そんなに顔に出やすいのだろうかと焦るが、顔は微笑みを浮かべたまま耐える。バレたとしても素直にバレましたと自己申告する必要はない。


「お目にかかれて光栄に存じます。リーンスノー・ジェンスと申します」

「あら、もうジェンスではなくバルツァーよ?」


 ……あ。はい。バルツァーでした。

 ちなみに辺境伯様の名前についているフォン・フィルドというのはフィルドという領地に属する者という意味だ。なのでフィルド家というのが辺境伯家という意味で、バルツァーというのが彼らが辺境伯領の領主で無くなったとしても変わる事の無い家名である。


「なぁんてね。そうなってしまうのも無理はないと思っているわ。

 私の事はネセリスでもお義母様でもよくってよ」


 くすりと美しい笑みを浮かべて小首を傾げるネセリス様はとてもかっこよかった。ティルナよりもなんというか、場数の違いというのだろうか。こう、頼れる姉御的な魅力があるというか極道の奥さん的迫力というか。


「あぁでも、やっと娘が出来たと思ったのにすぐに殿下なんかにとられちゃうなんて……」


 さらっと毒を吐くネセリス様はそれでも美しくて。流し目で見られた王弟殿下はうっと怯んでいた。


 辺境伯家には確か息子さんが二人おられる筈だ。上は二十代前半で、下が十代後半。ここに居ないという事はきっと既に会場に入られているのだろう。やはり来るのが遅すぎた感がとても否めない。かといって準備してもらっている身としてはタイミングを計る事も出来ないのだが。


「でも今はそんな事よりおしゃべりしましょ。もう少し時間はあるし、始まってしまったら碌に会話も出来ないのよ」

「私でよろしければぜひ」


 ネセリス様の後ろで王弟殿下に肩を竦めている辺境伯様を視界の端に捕らえつつ、にこりと笑みを返して了承の返事として腰を少し落とす。


「今日はリーンの作ったドレスを着てみたのだけれど、すごく楽でしかも見栄えが自然で美しく見えるでしょう?

 とても感動してしまったわ。それにお化粧も塗りたくらないから皮膚が楽で楽で、これを知ってしまうともう元には戻れないわね」

「ネセリス様はスタイルがとても美しいので着こなしておられるのだと存じます。お化粧は元々のお肌の状態で左右されますので、やはりお肌が美しいからこその出来栄えかと」

「あらそう? やぁね、気を使わなくてもいいのよ?」

「いいえ、本心そのように思います。本当に美しくて……ここまでお綺麗な方には初めてお会いしました」


 いや本当に。

 前世でもここまで綺麗な人を見なかった。そりゃテレビの向こうにはいたが、目の前にした事などないから迫力など段違いである。あ、今世の母は例外。あれは人外レベルなので人の枠に入れてはいけない。ネセリス様とは美の方向性も違うし、あれはファンタジー生物だと考えた方がいい。


「……もぅ、本当に可愛い子ね」


 少し頬を染めてそんな事を言うネセリス様の方がとんでもない破壊力を持っておられると思います。

 視界の端であの辺境伯様がちょっと表情を緩めて夫人を見ているのだ。そらもうそうだろうよと思う。姉御的女性が照れるなんて落差もいいとこだ。


 あの辺境伯様の奥方だからと身構えていたが、こちらの緊張を解してくださっているのかとても気さくな方でびっくりだ。


「そうそう、化粧品もドレスも――あと、下着も――全て分析して販売計画を立てていますから売り上げが出たらリーンの口座に振り込んでおくわね」


 ほわっつ!?


 一部小声で言われた内容に目を開いてしまった。

 ネセリス様は悪戯っぽい笑みを浮かべて蠱惑的な唇からぺろりと舌を出して笑う。


「勝手に決めちゃってごめんなさいね。本当はきちんと確認をとってからと思っていたのですけれど」

「あ、いえ――いえ、それはもちろん構いませんが……分析出来たのですか?」


 ドレスや下着はともかくあの化粧品群が?

 かなりの科学技術を費やしていると思われるあれらを?


「全く同じものは作れないでしょうけれど、近いものであれば作れると専門家から確証は得ているわ。——実は下着の方は既に予約が入っているのよ」


 よ、よやく………はは…は……………すげぇ…これが大貴族の行動力。


「旦那様からお願いして出してもらった例の生地については別途口座に振り込んでいますからね」

「え……」

「あら、他では手に入らない物をタダで貰おうだなんてそんなあさましい事を辺境伯家当主ともあろう者がすると思っていたの?」


 コロコロと笑うネセリス様の後ろでついーっと視線を逸らしているお方がいらっしゃるのですが……


「あと、本当はご両親と共に貴女のお兄様も招待したかったのですけれどね……どうしても所在を特定出来なかったの。ごめんなさい」

「いえ、兄は諸国を巡って足取りが掴めない事の方が常なので。いろいろと御配慮くださりお礼のしようもございません」


 口座云々は知らなかったが、ネセリス様がうちの懐事情を察して恙無く参加できるようにとわざわざ手を回してくださったのはデリアさんがこっそり教えてくれたので知っている。

 ちなみに兄は懐事情が厳しいジェンス家の稼ぎ頭である。父と同じ『見る』加護持ちなので、いろいろなところを巡って加護の確認で稼いでくれている。おかげで滅多に家に帰ってこない。母はそんな事をせず領地経営を覚えて欲しいといつも嘆いているが。


「遅くなりましたが、このような男爵家に過ぎない娘を養女に迎えてくださり、心より感謝いたします」


 最初に言わなければならない事を改めて最上級の敬意を払う姿勢、腰を低く落とし軽く顎を引いた姿勢で言えば、すぐに手を取られて立ち上がらされた。

 視線を上げれば麗しいかんばせに女神のごとき慈愛の笑みが浮かんでいた。


「私達女は殿方と違って選択肢が多くありません。貴女の場合は特にそうでしょう。

 突然の事にきっと心構えをする時間も余裕も無かった事と思います。不安な事も数多くあるでしょう。

 ですがこれだけは覚えていてください。私たちバルツァー家は貴女を娘に出来た事を心より歓迎しております。あと僅かで名目上も殿下の伴侶となってしまいますが、それでも貴女は私達の娘です。誰になんと言われようと胸を張りなさい。貴女の後ろには私達がついております」


 気高く力強い言葉に『あ。惚れそう』と思った。

 今世初の感覚に、自然と私も頬が緩みお礼を口にした。

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