第520話 一日の終わり
ショタっていうのは、ショタコンのことだろ? BLっていうのは、あの、ライラックみたいなのだよな?
ショタのBL。だから、ショタBL……なるほど……
「げへ、えへ、えへへへへへへ」
ラガイアには絶対に見せられないぐらい、天空族皇家の品格を大きく損なうほど緩みきった顔で、本を大事そうに胸に抱きしめて倒れるリガンティナ。
「ぐ、はっ、お、おそる、べし、神族…………」
まあ、本人が幸せならそれでいいか……
「にしても、テメエ、そんなもんをサラッと差し出すなんざ、どういうつもりだ? あのテロリスト共の……」
「そこから先は、あなたの興味の範疇を越えてますよ? ヴェルト・ジーハさん」
「あっ?」
「あなたは、『興味ない』のでしょう? ライラック皇子にはそう言われたのでしょう?」
それは、決定的な一言だった。
そういえば、ピンクが言っていたな。
例の組織は、八大国の至る所に影響を及ぼし、誰がどこで繋がっているか分からないと。
それの一人ってわけか。
しかしまた、随分とアッサリと認めるもんだな。いや、バラすもんだな。
「んで、どうするんだ? 買収するのか?」
「色々な人からはそう言われてますけど、私にそのつもりはありません。文化は強制するものではなく、広めるものですから」
「本当か?」
「今日、ここに来たのも、交渉や買収ではなく、さっき言ったようにあくまで友好。そして、『こういう文化』もあると知って戴き、お土産に持って帰ってもらおうと思っただけです」
「だが、なんでバラす必要がある? 今日会ったばかりの奴に、そんな重要なことを」
そう、何故バラす? ライラックもそうだった。
俺たちがそれを言いふらせば、こいつらは立場的に世界から責められ、糾弾されることになるはず。
そして、だからこそ、今までずっと公表しないで秘密にしてたんじゃねえのか?
ピンクだって「誰が敵か分からない」と言ってたぐらいなのに、何故こうもアッサリ、自分がテロリストの仲間、もしくは賛同する者と公表するんだ?
すると、女は…………
「別に、どうせすぐに忘れますから。私との話は全て」
「なに?」
「そんな怖い顔しないでください。別に、酷いことはしませんから」
ほんとかどうか、マスクで顔を隠されているから分からないところだが、少なくとも今、俺たちに強硬手段でどうこうする気はないようだな。
だが、忘れるとはどういうことだ?
「私はもう行きます。それと、リガンティナ皇女の部屋はこのフロアのVIPルームです。そこに、あなたの娘さんもいらっしゃると思いますのでご安心を」
そして、本当にこれ以上のことを今やるつもりはないようだ。
完全に、立ち去る様子を見せるこの女は、怪しい素振りを見せる様子もなく、俺に背を向けた。
その時、女が連れてきたと思われる、武装した兵が何人かが、小銃を携えて駆け寄ってきた。
「姫様!」
「はい。どうかなさいました?」
「睡眠ガスで大半の客や野次馬は眠りにつきましたが、それでも、一部起きている者も……」
「なるほど。……でしたら、もう一本分散布してください。それで十分でしょう」
「承知しました」
この女。随分と落ち着いてるな。
他の姫も一癖も二癖もある連中だが、こいつも、どこか場馴れしている感じが…………ん?
「ちょ、ちょっと待てッ!」
もう、かなりギリギリまで瞼が落ちかけている俺だが、一つだけどうしても気になった。
いや、気づいた。
「この場に居るのに……エロスヴィッチの洗脳魔法はお前に何ともないのか? リガンティナまであのザマなのに。ガスマスクで防げるものでもねえはずだ」
ガスマスクつけているからと思っていたが、そうじゃねえ。
エロスヴィッチのは、別にガスとかそういうものじゃなくて、魔法なんだ。
吸い込む吸い込まないじゃなくて、瘴気に触れる触れないの話。
ガスマスクで防げるものなのか?
そう問いかけると、逆に、女も首をかしげていた。
「洗脳魔法? そうですか。クラーセントレフンには、やはり科学では証明できない力が存在するのですね。ちなみに、その魔法とはどういうものですか?」
「くだらねえものさ。瘴気に当てられた『女』を発情させるものさ」
自分で言ってて、より一層アホらしくなっちまったが、その問いかけに女は何やら難しい顔をしていた。
「なるほど……そういうことだったんですね」
「あっ?」
「私もおかしいと思っていました。どうして、このホテル周辺に居た女性が皆、錯乱しているのに、私がこうして無事なのか……それは、簡単な理由でした」
簡単な理由? どういうことだ?
「その魔法、『女性』にしか通用しないのでしょう? だから私には……ボクには通用しないってことなのかもね♪」
……………えっ? …………はっ?
「何を言って………」
正直、何を言ってるか分からなかった。っていうか、急に振る舞いや身に纏う雰囲気が変わった?
それに、『ボク』だと?
礼儀正しく、非の打ち所がなく、言い換えれば面白味や特徴のないお姫様。
それが、俺が今日一日パッと見て思った、この姫の印象だった。
でも、なんだ? その、妖しい雰囲気は。
急に、俺の背中に冷たい汗が流れていた。
「ふふ、なんて、冗談ですよ、ヴェルトさん」
だが、途端にいつも通りに戻った。
今感じた妖しい雰囲気は気のせい? いや、そんなはずは……
「本当は、もっとお話したかったのですが、日を改めます」
すると、ふきぬけになっている天井の窓が突如割れた。
その割れた天井の向こうに、黒塗りのスカイカーが現れた。
「そうだ、最後に一言いいですか、ヴェルトさん。ピンクさんに力を貸さないほうがいいと思いますよ?」
「……どういうことだ? さっき、普通に断ったけど」
「そうですか。それなら大丈夫です。だから、明日には元の世界へ帰ってくださいね? そして、次に会う時は、もっと素敵な世界になった私たちをご紹介します♪ もっとも、この会話もすぐに忘れてもらうことになるので、意味はないかもしれませんけど」
そして、車から誰かが何かを投げ捨てた。
それは、あまりにも原始的な、縄梯子のようなもの。
「では、ヴェルトさん、リガンティナ皇女。こちらのディスプレイをご覧下さい」
今にでも退散する態勢に入りながらも、女が再びハンドバックから、薄い液晶の何かを取り出した。
タブレット?
既に眠りかけている俺と、鼻血吹き出して意識飛びかけているリガンティナに見えるように、それをこちらに向けた瞬間、画面に何か奇妙なグニャグニャした文字や光が…………
ッ、これは――――
「今夜、私を見たことは忘れてもらいます。あなたは目が覚めたら、奥の部屋に駆け込んでください。娘さんが一人で寝て、可愛そうですよ?」
そして、女がガスマスクをようやく外し、素顔を晒してニッコリと微笑む営業スマイルを見せて―――――――――――――?
「あれ? 俺、何をやってて……えっと、コスモス探して……リガンティナ見つけて……あれ? リガンティナ、なんで倒れてるんだっけ? つか、なんで俺はこんな眠く……あっ、もう、ダメだ……」
あれ? ダメだ? 何かあったような、誰かと会ったような気がするけど……頭が考えられない……思い出せない?
「んま、どーでもいいか……やば、俺ももう、体が……」
いいやもう。
このとき、もう俺の中では、違和感なんてハッキリ言ってどうでもいいものになっていた。
とにかく、もうこれ以上体を動かすことも、意識を保っているのも難しく、そのままその場で倒れ込んじまった。
意識の海へと投げ出され、闇が世界を覆い、完全に睡魔に取り込まれてしまった。
とにもかくにも。
半年振りのあまりにも濃すぎる俺の一日が、ようやく終わった。
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