第519話 姫の中の一人
「婿殿ーッ! 何をのんびりしている! そもそも、婿殿が私をジーゴク魔王国入国に口ぞえをしてくれていれば、私もこんなことにはならなかったというのに! 今すぐ帰るぞ! ラガイアが私を待っているのだ!」
なおさら、口ぞえしたくねえよ。俺は娘と妹と弟だけには、激甘だと知ってて言ってんのか?
「テメエまで頭おかしくなりやがって。コスモスは?」
「ついさっきまで、私の胸を枕に寝ていたわ! おかげで、胸に涎がついてしまった!」
良かった。スヤスヤ寝てるなら、最悪の事態だけは避けられたってことか。
「どこの部屋だ?」
「婿殿はこの荒ぶる気持ちを抑えきれぬ義姉の願いを聞き入れることと、愛娘の寝顔を見に行くこと、どっちが大切だと―――――」
「愛娘の寝顔に決まってんだろうがボケナス!」
比べるまでもねえだろうが、この独身女! といっても、天空族はほとんど独身でエルジェラが例外なだけなんだけどな。
まあ、こいつの分裂期が遅いのは、全くの別問題ではあるがな。
「とりあえず、騒がしいとはいえ、手当たり次第に発情しまくってねえのは流石だな」
「くそ、何が高級宿泊施設だ! 若い利用客が全然いないではないか! こんなところでは興奮できるものもできないに決まっている! こんな乾いた豚どもの小屋にいつまで私を軟禁するつもりだ!」
「これを流石というのも何だか間違っている気もするけどな」
アイドル姫共やペットにムサシよりは、流石に総合的な実力ではワンランク上なだけはある。
錯乱はしているけど、まだ理性は保てている。
まあ、この場に、幼い子供がいれば、状況も違ってたかもしれねーけど…………
「とりあえず、空高く飛んで、この瘴気から脱出するんだな。その後で、あのクソババアの処遇を考えようぜ?」
コスモスさえ無事なら、とりあえず、後はどうでもいいか。
ニートとジャレンガ、バスティスタあたりも少し心配だが、まああいつらなら大丈夫だろう。
エロスヴィッチは、もう未来兵器かバスティスタのパンチでやられちまえ。
そう思っていた、その時だった。
「むっ?」
「ん?」
それは、特に大きい音だったわけではないが、一瞬俺たちの動きと声が止まった。
ゴトっという男と、カランという音。まるで、中身の入っている缶ジュースが落ちて転がったかのような音。
それは、ホテルの通路を転がり、俺たちの視界に入った瞬間、目が潰れるような閃光を放って破裂した。
これは完全に想定外。
「うぬっう、ぐっ!」
「目、目がッ!」
閃光弾? 何が? 一体誰が? リガンティナは? 足音? 複数だ。突入?
ダメだ、落ち着け! それに、確か、転がっていた物体は、一つだけじゃなく……
「ううっ!」
今度は目だけじゃねえ! この、息を吸った瞬間に気管に吸い込まれる、このモクモクとした煙はなんだ? エロスヴィッチの瘴気じゃない。
もっと、科学的な……
「む、こ、殿ッ、これは!」
意識が遠のく! 潰れた瞼が余計重たく感じ……眠く……睡眠ガス?
「ご安心ください。非致死性のガスです。人体に悪い影響はありません」
この声は? 目に見えないが、聞き覚えのある丁寧な喋り方の女の声。
「ごめんなさい。このホテル一帯に睡眠ガスと筋弛緩ガスを撒きました。あまりにも状況が混乱していましたので、強硬手段を取らせて戴きました」
女の丁寧な喋りの後ろでは、バタバタと複数の誰かが走る気配を感じた。この足の運びから、訓練されたものたちだというのが分かる。
治安維持部隊?
ダメだ、眠く……
「ふ、ふわふわ空気清浄!」
もう随分吸い込んじまったが、これ以上吸い込んでたまるか。
手遅れだとしても、何とか力を振り絞り、これ以上ガスを吸い込むことを防ぐよう、空気の流れを調節する。
だが、この様子だと、エロバーサーカーモードのリガンティナは既に寝ちまったか?
俺も恐らく、あと数秒から数分以内に寝ちまうかもしれねえが、せめて状況を確認しねえと。
んで、ようやく閃光弾で潰された目も直ってきた。
一応、声の主に心当たりはあるものの、確認の意味も込めて俺がゆっくり目を開けると、そこには……
「まだ、耐えられますか。とてもすごい意志ですね、ヴェルト・ジーハさん」
ガスマスク装着で素顔は分からない。
だが、パーティーの時と同じドレスを着ているし、髪の色も一致している。
間違いない。
「テメエは、名前忘れたけど………アイドル姫の………」
「ふふ、それは残念です。まあ、あなたとは一言も会話できませんでしたから、仕方のないことですが」
何故名前を覚えていないのか?
簡単だ。こいつだけ、特に特徴がなかったからだ。
容姿も平均よりは当然上のレベルではあるが、八人もお姫様が居る中で比べれば横並びであり、性格的なものや口調的なキャラクター性も普通。
まあ、俺がこいつと喋ってないってこともあるが、少なくとも印象に残るような姫じゃなかった。
だからこそ、そんな中でこういう女に唐突に現れられても、驚きはするものの、とりあえず反応に困るというところ。
「と、ッぐ! ふう……はあ……はあ……あやうく意識が飛ぶところだったぞ? 随分と不快な道具を使うのだな、この世界は」
「あら?」
「リガンティナ! おまえ、ね、寝たんじゃ?」
おっと、完全に寝ちまったと思ったリガンティナだが、堪えていたよ。さては、こいつも俺の魔法みたいに何かやって、吸い込むガスの量を減らしたな?
変態とはいえ、こういうところは流石だな。
「さすがは、クラーセントレフンの方々。凶暴な犯罪者も一瞬で寝てしまうほどの最新式の『睡眠ガス』と『筋弛緩ガス』ですのに……この様子ですと、外の方たちも一部はまだ起きているのでしょうね」
「そうか。まあ、おかげで、外の騒ぎが小さくなったようだな。いいことだ。私も、外の連中のように変態化していたら、錯乱していただろうからな」
いや、お前、十分変態化していたんだが………
にしても、俺のふわふわパニックでもムサシとか失神しても起き上がったっていうのに、睡眠ガスね……果たして、どんだけ効果があることやら……
「いえ、リガンティナ皇女様は、情報によると物凄い形相で館内を徘徊しては、幼い男の子を捜していたとの情報が………」
「それの何が悪い。外やホテル内がこのような状況下だ。身を守るすべを知らない若き男たちを、守ってやるのが大人の使命。怯えて、小さく縮こまって、涙目で震えて……じゅるり……」
あかん。眠たそうな顔しながら、変態顔している。
睡眠ガスで動きが半減してて良かったよ……
「ええ、素敵な心がけだと思います…………そうですか……リガンティナ皇女はそういう性癖……これはいいことを聞きました」
だというのに、ガスマスクつけた女は、ドン引きするでもなく、普通にリガンティナを賞賛した。
何で?
つうか、最後のほうにブツブツと、この女は何を?
すると、女は、脇に抱えていた高級そうなハンドバッグを開けて、中から薄い冊子のようなものを取り出して、リガンティナに差し出した。
「お近づきの印に、これをあなたにお渡しします」
「……これは?」
「本当は、この世界で所持するのは禁じられていますが、あなたたちが持って帰る分には、それを縛る法律はありません。どうぞ」
既に半分寝そうなリガンティナに手渡したものはなんだ?
「ペットさんへの腐及活動の一環のお土産でしたが、ソレはあなたにお渡しします。他にも何冊も持ってきてますので♪」
リガンティナも首を傾げながら、薄目を開けて、手渡された冊子を開く。
すると………
「ふおおおおおおっ!?」
閉じかけた瞳が大覚醒し、リガンティナが鼻血出した。
だが、今度はあまりにも興奮しすぎたのか、頭から煙を出してバタンと倒れこんでしまった。
「ッ、な、お、おい!」
「あらら。ちょっと刺激が強すぎたようですね。まあ、帰ったらジックリと眺めてくださいね」
あのリガンティナが、一瞬で? 刺激?
「おい、お前、何を渡したんだ?」
「大したものではありません。ただの、ショタBL本です」
……………?
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