第350話 お前たちは何者だ?

 天空族も魔族も人類も今は関係なかった。

 多大なる犠牲と疲弊した状況下、それぞれの種族は数え切れぬほどの死傷者を出した。

 砂漠の地形が変わるほどの巨大な爆発の中で、俺が意識を取り戻したのは翌日のことだった。

 気づけば砂漠に設置された仮設テントの中で俺は眠っていた。

 攻め込んだはずの世界同盟が、ヤーミ魔王国の庇護を受けているというのも変な話だが、そのことを考える余裕もないほど、全ての種族がショックを受け、多くのテントが並ぶ野戦病院と化した砂漠の上では、死んだような空気が流れていた。

 俺もまた生きていたとはいえ、気持ちは沈みまくっている。だが、なるべくそれを顔に出さないようにしないといけないという気持ちだけで心を保っていた。

 コスモスの無事だけを願いながら……


「…………っ、うう………コスモス……コスモス……私のコスモスが……」


 意外とVIPな扱いだった俺は、個人用のテントの中で、地べたに寝かされるのではなく、少し硬いがちゃんとしたベッドを宛がわれていた。

 そんな中で俺は、ベッドに腰をかけた俺の腕の中で、ずっと悲しみにくれるエルジェラを抱きしめていた。


「ああ、分かってる。もう少しまともに動けるようになり、そして情報が取れ次第、すぐに出発する」

「ですが、ヴェルト様……いま、こう、しているあいだに……なにか……あの子にもしものことがあれば……」


 俺だって同じ気持ちだ。地底族やマニーたちがどこに行ったか分からなくても、今すぐ無我夢中でコスモスを探しに行きたい気持ちでいっぱいだ。

 だが、俺自身も、そして仲間も今はそれほど無事じゃねえ。

 カー君に止められ、怒鳴られ、説得されなければ、俺だって今にも飛び出していた。

 目覚めたばかりのエルジェラもパニックを起こし、今では俺から片時も離れようとしない。

 今の俺に出来ることは、エルジェラを落ち着かせながら、一秒でも早く動けるようになり、一秒でも早く奴らの情報を手に入れ、一秒でも早くコスモスを助けることだけだ。

 俺のかみ締める唇から血の味がしようとも、俺はただ黙ってエルジェラを抱きしめていた。



「……入りますわ……ヴェルト……」



 その時、俺の板テントの入り口が開いた。

 立っていたのは、頭に包帯を巻いたフォルナだ。


「…………………」

「…………………」


 僅かな沈黙が非常に重たい。

 かつて、フォルナとこんな空気になったことなんて一度もない。

 だが、それも無理はない。俺たちの互いの事情やこれまでの経緯、そして現状などを考えれば、さすがにわだかまりを全て流し、ガキの頃のように戻れるはずもない。


「ヴェルト、少し来てくださらない?」

「話なら後にしてくれ。分かるだろ?」


 冷たいかもしれないが、今の俺はフォルナに構ってやることが出来ない理由もあった。

 俺が僅かにでも動こうもんなら、その瞬間、エルジェラは取り乱したように俺にしがみついて、震え、そして嗚咽を漏らして涙する。


「記憶を失った奴がそれを取り戻す時……もっとドラマチックで感動的な場面なんだけどな……」

「ヴェルト……」

「だが、フォルナ。俺は今お前と向き合ってやることができねえ。今は……エルジェラの傍に居てやりたい……俺の体がまともに動くまでな」


 俺を酷いと思うか? 誰よりもフォルナの気持ちを知っているのに、俺はこんな冷たい言葉を言っちまう。


「すまねーな……」


 そのことに、フォルナが嫉妬したり、泣き喚いたりできないと知っていながら。


「ええ、分かっていますわ。……ですが……」


 だが、フォルナは「それでも」と引かなかった。それは……


「タイラーが呼んでいますわ。恐らく、これが……最後になりますわ」

「……最後……」

「ええ。お願いしますわ、ヴェルト。あなたがタイラーに思うところがあるのは分かっていますわ。でも……」


 そういうことか……


「それなら仕方ねえか……。エルジェラ、歩けるか?」

「……はい……申し訳ありません、ヴェルト様。お体を支えます」

「……ああ」


 俺自身も連戦したり、マニーに腹を抉られたりでなかなかの重傷だった。

 弱々しくもエルジェラが俺に寄り添うように肩を貸してくれて、何とか……


「それで、シャウトたちは?」

「今、タイラーと最後の言葉を交わしていますわ。でも……例え会わせる顔がなかったとしても、それでもタイラーはやはりあなたともう一度……と」

「そうか………」


 俺たちがテントの外に出ると、まるで落ち武者のように生気を失った兵たちが、ぼんやりとうずくまったり、徘徊していた。

 俺と目があったりしても、誰も何も反応せずに、そのまま俯く。


「なあ、他には誰が?」


 その「誰?」は誰を示しているのか俺には分からない。

 だが、俺の何気ない言葉を、フォルナは「他に誰が死んだ?」と捕らえた。



「各将軍級や隊長格も多数……天空族も……聖騎士は、ガゼルグ様やオルバンド大臣が意識不明の重体ですわ。カイレ様も相当ムリをされて、今はまだ眠っていますわ」


「そっか………あのババアが瞬間でバリヤを張らなければ……ひょっとしたら全滅だったのかもしれねえが……それでもやるせねえな……」



 正直、死んだ人間の数を言われてもピンとこない。

 二年前の帝国襲撃や、ジーゴク魔王国との戦い以上の死傷者が出たんだ。

 十勇者も天空皇女も重傷者多数。

 こういうときに、希望となるはずの勇者は洗脳されて行方不明。

 そして更に……


「ここか」


 広範囲に多数並ぶ天幕の中で一際大きく、出入り口も見張りで厳重に守られているこの中で、今日、人類の英雄が一人その生涯を終えようとしている。

 それがどれほどのことか……


「ヴェルトを連れてきましたわ」


 フォルナの声を受けて天幕が開かれる。

 そこには、大きなベッドを取り囲むように、見知った顔が多く揃っていた。

 瞳を腫らしながらも、強い表情で悲しみを堪えようとしているシャウト。

 そして、そのシャウトに寄り添うように、かつての俺の幼馴染たち。

 拳を握り締めて悔しそうに俯くガルバ。

 聖騎士ヴォルド、そしてウラとアルーシャも立ち会っている。

 その奥で眠るのは……


「あなたは……確か、ヴェルトという……」

「いいんだ、シャウト………私が呼んだ……」


 人垣が分かれ、その奥には包帯で全身を巻かれ、その包帯に血が滲み出し、既にその瞳も閉じかけている、タイラーが居た。

 多数の弾丸を浴びて、かつての凛々しかった面影が消え失せた、エルファーシア王国の英雄にして将軍。

 既に、回復の魔法や天空族の力でも手の施しようがない状況だつた。


「ヴェルト……」

「おう」


 かけてやる言葉が俺には見つからない。

 許すとか許さないとか、そういう言葉も思いつかない。

 恨みの言葉も思い浮かばず、ただ俺の脳裏には、ガキの頃、親父とおふくろがまだ生きていた頃、嫌がる俺の頭を撫でながら笑っていたこいつの姿しか思い出せなかった。


「ヴェルト………」


 戦場で涙を流し、俺にぶん殴られてまで、そしてこんな姿になっちまったこいつに対し、やはり恨みも何も上がってこない。

 そんな、タイラーが言う言葉は?


「ヴェルト……フォルナ姫の戒めが解け、このような状況になってしまえば、全てが無意味……私が死ねば全て解除される……お前と、キシン、そしてマニー姫の記憶を世界に返す………」


 それは、喜ぶべきなのかどうか微妙なところ。

 世界に掛けられた俺たちに関する記憶を消去する魔法は解除される。

 しかし、少なくとも今は、喜ぶ気にもなれない。


「しかし、ボルバルディエも滅び、ジーゴク魔王国も今では半壊状態……今更世界にどうこう影響を受けることはないが……それでも、シャウトたちはお前を思い出す」


 タイラーの言葉がどういうことなのか、今のシャウトやバーツたちに分かるはずもない。

 皆が俺たちを不思議そうに見ながらも、タイラーは言葉を続ける。



「ヴェルト……最後に一つだけ教えてくれないか?」


「ああ?」


「お前は……『お前たち』は何者だ?」



 その問いかけに反応したのは、俺とアルーシャだけ。


「記憶消去に関する対象者である、キシン。魔法障壁内に投獄されていたマッキーやカイザー。物質生命体のドラ。そして、魔法無効化能力者のマニーがお前に関する記憶を失っていないことは分かる。だが……何故……アルーシャ姫やその他の仲間たちはお前のことを覚えているのだ?」


 それは当然の疑問だろう。そして何よりも、それが原因となり、ある意味では色んなことがズレたんだ。


「ヴェルト。お前がこうなったのは私の責任だ。しかし、それでもお前の存在が世界に大きな影響を与えたのは間違いない。そしてお前はこれまで誰も出来なかった、魔族や亜人の主要な人物と、政治や打算もなく、純粋に繋がっている……それはどういうことだ?」


 俺のことを誰も覚えていなければ、アルーシャはここにはいなかった。

 先生と再会しても、新たな旅立ちを決意できなかった。

 バルナンドやアルテアだって居なければ、スモーキーアイランドで俺は死んでたかもしれない。

 全ては、ヴェルト・ジーハに関する記憶を世界が忘れたようで、一部忘れていない奴らがいたことが、大きく聖騎士たちのプランをズレさせた。


「ヴェルト……お前は……親友の息子であり………私にとっても……近所の生意気なガキで……でも、たまにお前がどこか大人びた……達観したような空気を持っていた。子供らしい悪ガキと、もう一つ別の何かが……」


 タイラーはただ、死ぬ前に知りたいんだ。

 それが、「お前たちは何者だ?」という問いかけに込められていた。

 だからこそ、その最後の望みぐらいは……



「俺が人生を達観したように見えていた時期があるとすれば、それは前世の記憶があるからだ」


「……前世?」


「その前世の記憶が一時、ヴェルト・ジーハを支配して、俺がこの人生を、そして親父やおふくろすらも一時期他人だと思い込んで荒んでいたからだろうな」



 だから俺は教えてやった。


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