第232話 思い込み……でもなかったりする

 強力な対魔法用の障壁が張られていた地下大監獄に居たからこそ、加賀美は俺のことを覚えていると思っていた。

 カー君とは面識がなかったものの、俺と同じ境遇だったミルコことキシンの存在を知っていたのも、それが原因だと思っていた。

 あの日、俺と同じように神族大陸に居たこいつは、全世界や俺のかつての仲間と同じように、「あの魔法」の効力の下、俺のことを完全に忘れていると思っていた。


「あさくらくん…………」


 この涙は、演技じゃねえ。本当に俺のことを覚えているんだ。

 

「綾瀬、お前、なんで?」

「分からないわ。何も分からないの!」


 かつて「くーるびゅーてぃー(笑)」だった姿が崩れ、とめどなく溢れる涙で瞳を濡らしながら、綾瀬は何度も首を横に振った。

 その、綾瀬を「クールビューティー」だと思っている部隊の仲間たちからすれば、いつもと明らかに違う綾瀬の姿に動揺を隠しきれないでいた。


「アルーシャ姫! 一体、どうされたんですか! こいつが、こいつが一体なんなんです!」

「一体この者は何者ですか?」


 俺が何者か? その問に対して綾瀬は…………



「そうね。彼は二年前、私の前から姿を消した……私と将来を誓い合い、生涯を共にしようと――――」


「待て待て待てこのアホ女。記憶失ってないのはいいが、記憶を改変するとかはやめろコラ!」


「な、何を言っているのかしら! 君は二年前、私に何をしたのか、私がどんな気持ちだったか……私の唇を……前世の頃からの初めてだったのに……」



 いや、そんな唇を摩りながら言われても、俺は困る。つか、アレは事故だし、お前が勝手に暴走しただけだし。

 このやり取り、状況こそ違うが多分二度目だな。初めて帝国で綾瀬と再会したときも、綾瀬は俺の正体を知るや否や、動揺しまくってテンパった。

 まあ、泣いちゃいなかったけどな。


「ったく、帝国のお姫様が情けねーな。なんで泣くんだよ?」

「うるさいわね。君が私を泣かせているのよ。そう、君はいつもそう! 人の気も知らないで、勝手にフラフラこっちにフラフラ。私の気持ちだって察しているクセに、まるで興味ない素振りで私をいつも置いてきぼり!」

「興味ない素振りって……」

「どうして、そんなイジワルをするの?」


 いや、そんなこと言われても、そもそも前世でも大して仲良くもなかった奴にいきなり「好きだった」的なことを言われても気まじいだろうが。


「って、そうじゃねーだろ、綾瀬」


 そもそも、なんでお前が俺を覚えているのかが問題だろ?

 と言っても、それを果たしてこの場で口にして良いものか。

 綾瀬は綾瀬で、アークライン帝国の正当なる王族であり、お姫様。

 人類大連合軍を代表する勇者の一人として、人類の平和と繁栄のため、その生涯を捧げる存在。

 だが、この様子を見る限り、聖王や聖騎士たちの話は多分知らないんだろうな。

 まあ、実際のところ、俺は聖王と聖騎士に関わることで、なおかつその真実を知りながら協力する奴について、他に誰が居るのか、あまり知らねーんだけどな。


「ヴェルトくん、なにやら言いにくい事情があると察したゾウ」

「カー君…………」

「しかし、まさかあの娘が、真勇者ロアの妹とは驚きだゾウ。そんな人物とヴェルト君がただならぬ間柄というのも、それはそれで驚きだゾウ」


 ま、いきなり会った瞬間に泣かれるぐらいだから、事情を知らなきゃそう思うだろうけどな。

 それはドレミファたちにも同じこと。


「で、どうする? このまま小生らを逮捕するというのであれば、小生も抵抗するゾウ?」


 この状況下、俺も綾瀬も戦いよりも話をすることがある。

 

「みんな、この場は私に預けてくれないかしら? 少し、そこの彼と話したいことがあるの。戦闘は一時中断してもらえないかしら?」


 当然、綾瀬ならそう言うだろうな。

 そして、ドレミファ、ソラシドみたいな金魚の糞は、例え事情が気になっても、綾瀬自身がそう言うのであれば大人しく従うだろう。

 そう、この「二人だけ」ならな。


「姫様は何も分かっておりません」


 そう、昔から何一つ変わっていないこの女には、そんな話は無理なんだよ。


「ギャンザ、私の言うことが聞けないのかしら?」

「姫様、お言葉ですが、そちらの彼が何者かは存じませんが、その亜人に関しては、姫様よりも遥かに熟知しております」


 上官に進言し、主が間違いを犯すようであれば、正しき道を示す。

 なるほど、相変わらずの素晴らしい騎士ぶりじゃねえか? この、サイコ女が!


「四獅天亜人・カイザー大将軍。その名は、姫様もご存知でしょう?」

「…………えっ?」

「はっ?」

「な、なんですと!」


 当然、綾瀬だけじゃねえ。


「えっと、ギャンザ? なんだかものすごい名前が出てきようだけど、何を言っているのかしら?」


 ドレミファたちも聞き間違えだと思いたいほど、ビビった表情をしていた。


「ちょっ、待ってください、ギャンザ副長! こ、この亜人が、あの伝説のカイザー大将軍? そんな馬鹿な、だって、カイザーは七年前に死んだはず!」

「そうです! 大将軍カイザーと真勇者ロア様との戦いは、ロア様の名を全世界に轟かせた、伝説の一戦! その戦いにおいて、戦死したはずです!」


 生きているはずがない。既に死んだ太古の伝説が甦ったとでも言うのか? ギャンザ自身もその答えについては分からない。

 しかし、それでもギャンザはカー君のことを知っている。


「かつて神族大陸制覇を目指し、戦に明け暮れた二人の亜人がいました。万の兵を率い、万の戦場を駆け抜け、万の敵を滅ぼし、万の血肉と魂を喰らい、万の業を背負った、伝説の亜人。その偉業は種族の壁すら乗り越えで、全世界に響き渡りました」


 イカれた思い込みの思考ではなく、ただありのままの事実を述べるギャンザ。

 それだけで、その口から語られる人物がいかに偉大かを物語っていた。


「四獅天亜人の『カイザー大将軍』と『淫獣女帝エロスヴィッチ』。単純に戦闘好きなだけの『武神イーサム』や、フリーの傭兵として既に引退した、『狂獣怪人ユーバメンシュ』と違い、全ての人と魔を滅ぼし、亜人の覇権を本気で獲ろうとしていました」


 今更ながら思う。俺、カー君なんて呼んじゃっていいんだろうか?


「かつて、多くの仲間たちが傷つけられたことにより、ロア様が眠れる伝説の力を解放したことにより、ようやく打倒することのできた、人類にとって最も恐るべき、そして忌むべき亜人です」


 恐るべき? 忌むべき? よく言うぜ。テメェも他種族からしたら似たようなもんなんじゃねえのかよ。

 実際、同じ人間なのに、お前は俺にとって十分恐ろしく、忌むべき女だよ。


「正直、私もなぜ彼が生きているのか、どうしてここにいるのかは知りません。死んだと思わせ、この七年どこに居たかも分かりません。しかし、私には分かります。彼が再び動き出した。それは再びこの世の平和を打ち壊し、世を混乱させるためにと舞い戻ったのです」


 出た、ギャンザ必殺スーパー思い込み!

 

「そして、カイザーの仲間と思わしきこの男性も同じ。なぜ人間が亜人と共にいるのかはわかりませんが、私には分かります。この男も、人類に災厄をもたらす危険な存在だということを」


 いい調子だな。相変わらず変わってないようで嬉しい。世を混乱させる? 人類に災厄をもたらす危険な存在?

 俺たちの野望は? 世界征服。やべ、あながち間違ってなかったりする。


「………あさくらくん?」


 ニッコリと俺に微笑む綾瀬。その表情は「テメェ、どういうことだコラァ。ちゃんと説明しやがれ」と直訳できた。

 事情か。どうやって説明する? 二年間監獄にいて、脱走して、ついでに仲間になった? いかん、意味不明すぎて綾瀬がテンパるぞ?


「なに、話があるのであれば存分にすればいいゾウ、ヴェルトくん」

「カー君!」

「その間、小生に用があるというのであれば、そこの勇者の女は小生が受け持とう」


 おいおいおい、なんつーいい顔で、サラッとスゲーこと言ってんだ?

 ギャンザを一人でアッサリ受け持つとか、まあ、カー君の肩書きからすれば当然のことなんだろうが、未だにギャンザがトラウマの俺からすれば尊敬に値する男前ぶりだ。


「ッ、カイザー大将軍!」

「さあ、来るがよい。微笑みのギャンザよ。その笑みを絶望に変えてくれよう」


 おっ、おっ……おっ!



「カアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」



 野生の雄叫び! これまで温和な表情で目立った争いもしなかったカー君が、獰猛な獣の瞳へと変貌した。

 草食動物が、血に植えた肉食狂暴獣となり、まるでこの場にいるだけで自分が捕食されてしまうのではないかと感じてしまった。


「…………ん」

「あん?」


 ひょっこりと俺を壁にして後ろに隠れるユズリハ。なんだ?


「……………………粗大ゴミが……でっかい宝石になった」


 そのたとえは良く分からねーが、野生の血を引く亜人として、人間よりも感覚が鋭いんだろう。

 このクソ生意気なガキ、ビビってんな? ようやくちょっとだけこいつが可愛く思えた。

 まあ、気持ちは分からんでもねえ。俺だって、イーサムとかそういうので免疫作ってなければ腰抜かしていた。

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