第44話 ベストなキッドも大人になる
「い、いら、しゃいませ~」
ぎこちない笑顔で、店にやってきた客を精いっぱい出迎えるウラ。
接客など人生初めてだろうし、祖国が滅びなかったら一生することはなかっただろう。
「そうだ。いつも笑顔を忘れずにだ」
俺は厨房から、フロアのウラに声をかける。
「う、うん」
「そして客が来たら即座に水を出して、注文を取る! この一連の動作を素早く流れるように!」
ウラはよくできた奴だった。「魔族の私に、衣食住を提供してくださっているのだ。いつまでも甘えるわけにはいかない」と、自分から店の手伝いを申し出た。
それから一週間、決して楽ではない店の仕事を続けているが、こいつは一度も弱音を吐いていない。
「こ、こちらの、お、奥へどうぞ~」
白いエプロン姿のウラを見て、これが魔族の姫だと誰も思わないだろう。
「おい、ウラ! 空いた席から皿を片付けろ!」
「分かった! 今やる! ヴェルトも、焼きソーバはまだか?」
「い、今やってんだよ。ちっと待ってろ」
最初は客も戸惑っていた。
店に入っていきなり出迎えるのが魔族の娘だからだ。
「おっ、こんちわ、ウラちゃん。今日も頑張ってるね~」
「俺たちはワンターンメーン三つとギョウーザを三皿ね」
「おーい、ヴェルト! 新しい嫁さんにばかり働かせるなよな~」
だが、それでも一生懸命働く姿というものは、見る人にとって気分がいいものだ。
ウラの熱心な接客のおかげか、さらに最近ではウラが可愛いとか評判になり、以前より客が増えたような気がするのも気のせいじゃないだろう。
おかげで、俺の雑用は減ると思っていたが、何だか今は以前よりも忙しくなってきた。
「メルマさん、ワンターンメーンとギョウーザだ」
「あいよ!」
「ララーナさん、壺の中のガルリックが空です。予備はどちらに?」
「あら? ちょっと待っててくださいね、棚に予備のがあるから取ってきます」
「ヴェルト、焼きソーバが焦げてるぞ。しっかりと火を見ておけ。ボーッとするんじゃない」
「う、うるせっ、おっ、おおおっと!」
「あっ、い、いらっしゃいませ~、今テーブル片付けます。あっ、注文ですね、少々お待ちください。トンコトゥラメーンはもう少しでお持ちします。お時間かかって申し訳ございません」
っていうか、今ではウラが居ないと回転しないぐらい盛況になっていた。
俺やフォルナに対する言葉遣いは強いくせに、先生やカミさんや接客時は、接客モードに入って笑顔を絶やさない。
何だか、お前、優秀すぎじゃね?
「いやー、ウラちゃん、まだ仕事始めて間もないのに、しっかりしてるね~」
「やっぱ元が優秀なんだろ?」
「それと比べて、君の旦那は愛想笑いもしねーし、忙しくなると客に逆ギレするし、どーしようもねーバカだからな~」
「そーそー、この間、試しにあいつのチャーハン食ったが、まだまだ食えたもんじゃねえ」
というか、最近ではウラが優秀すぎて、俺と比較されることもしばしば。
「いや~、まあ、あのバカヴェルトも、ウラちゃんが居ればしっかりするだろうし、この店も次の世代になっても安泰だな」
「いいね~、マスターはちゃんとした跡取り息子と跡取り娘が居て」
いや、それはねえよ。先生も微妙な顔で苦笑してるけど。
「跡取り? 私と、ヴェルトが?」
で、ウラ、お前も反応すんなよ。
「そうそう。いつか、ヴェルトとウラちゃんが結婚して二人で店を切り盛りするんだ」
「おいおい、ちょっと待てよ。ヴェルトは国王になるんだろ?」
「えっ? でもファルガ王子が帰ってきたから、いいんじゃ? てか、フォルナ姫はどうするんだ?」
「いやいやいや、二人が赤ん坊の頃から見ていた俺らとしては、当然正妻はフォルナ姫だろ」
この暇人オヤジどもめ。何を人の将来を勝手に想像してやがる。
そして、ウラ、お前まで………
「私が、おかみさん。ヴェルトが、マスター。二人で切り盛り……えへへ」
「って、お前も何を満更でもありませんみたいな顔して目を輝かせてんだよ! さっさと皿運べ!」
ったく、ガキがくだらねえことを……いや、そうでもないか。
風呂場の事件以来、どうもフォルナやウラをただのマセガキで片付けるのが気が引ける。
確かに、こいつらはまだガキだ。
でも、それでもちゃんと成長してきている。
一方で、俺はどうだ?
「なあ、ヴェルト」
「ん?」
「お前は魔法学校もやめて、将来強くなるために店で仕事をしているのだとフォルナに聞いたが」
「してんだろ? 修行。ちゃんと」
「いや、その、なんだ? 確かに忙しいし、やりがいのある仕事だが、戦う力を手にする修行になるとは思えないが……」
何を汚れのない瞳で、普通に聞いてんだよ。
ギャンザを嵌めたり、お前らを泣かせた浮遊≪の修行してんじゃねえかよ。
ちっ、仕方ねえ。
ここらで、一つ感心させとかねえと。
「ったく、仕方ねーな。なら、修行の一つを教えてやる。ウラ。お前、ちょっと雑巾でテーブルを拭け」
「えっ? なんだ? さっき拭いたぞ」
「お前のはただ拭いてるだけなんだよ! いいから俺の前でもう一回拭いてみろ!」
そう言って、俺が取り出したのは二枚の雑巾。
水を吸った雑巾と、乾いた雑巾。
「いいか、右手に濡れた雑巾。左手に乾いた雑巾。これを交互に拭け。ウォーター・オン、ウォーター・オフを繰り返せ」
「はっ? こ、これの何が修行に……」
「いいから、やってみろ! 完璧な円をイメージして描け! 孤を描け! それが自然にできるようになったとき、正しい型ができあがる!」
気づけば、俺たちが何かおかしなことをやり始めたと、メシ食いながら客たちも俺たちに注目している。
せっかくだ。この世界の連中に、ちょっと面白いことを教えてやろう。
「えーっと、ウォーター・オン、ウォーター・オフ、ウォーター・オン、ウォーター・オフ……これでいいのか?」
「もっと早く! ウォーター・オン、ウォーター・オフ、ウォーター・オン、ウォーター・オフ!」
「ウォーター・オン、ウォーター・オフ、ウォーター・オン、ウォーター・オフ……って、なんなのだ、これは! ただの掃除ではないか!」
「いいから、やれ! ウォーター・オン、ウォーター・オフ、ウォーター・オン、ウォーター・オフだ!」
「ぐっ、う~、やってられない! 真面目に聞いた私がバカだった! こんな忙しい時にいつまでも。ヴェルトも早く仕事に戻れ!」
ソッコーで雑巾を元に戻して仕事に戻ろうとするが、ウラは分かっていないようだ。
仕方ない教えてやろう。
「ウラ。俺を見ろ」
「なんだ?」
「もう一度、ウォーター・オン、ウォーター・オフをやれ」
「だから何を……」
「雑巾は置いていい。俺の目を見て、直立したままでその動作をやってみろ!」
「はっ?」
「ほれ、どういう動作だ? やってみろ」
「?」
訳も分からず不満顔なウラ。
客たちも俺の狙いがまったく分からないらしく、首を傾げている。
そうだ。そんな顔をしてろ。今に驚かせてやる。
「動作もなにも、こうやって、ウォーター・オン、ウォーター・オフって」
「ちがーう! そんな惰性じゃねえ! 力強く、肘、腕、拳! 交互に! 正しい円を描く」
「うっ、ちょっ、な、だから、これが一体何なんだ!」
「よっしゃ、いくぜ! ウラア!」
「えっ、えっ、えええ!」
「右左右左、ウォーター・オン、ウォーター・オフ、ウォーター・オン、ウォーター・オフ」
「えっとは、はっ! せい! はい! たっ! …………えっ? こ、これは!」
ウラがウォーター・オン、ウォーター・オフを繰り返しているその瞬間、俺は右左右左で拳をウラに突き出す。
慌てたウラだったが、ウォーター・オン、ウォーター・オフの動作が自然と空手の廻し受けのように正しい防御の型を作り出し、見事に俺の拳を捌いた
「あっ」
「「「「「おおおおおおおお!!」」」」」
客たちが叫ぶ。
そう、その顔だよ。
驚いたように目を丸くするウラ。思わず息を漏らす客たち。
うまくいった。俺はクールに、そして心の中では満面のドヤ顔でウラに言ってやった。
「わかったか、ウラ。空手の修行ばっかしてたお前は、道場での稽古や組手、そして戦場での実戦だけが鍛錬だと思っているようだが、それだけじゃねえ。一見意味がないようで、実は日常生活の何気ない動作の中にも、強さを得るためのヒントがいくらでもあるんだよ」
「ヴェ、ヴェルト、……ヴェルト! お、お前が今、とても輝いて見えるぞ!」
目をキラキラ輝かせまくってるウラ。
気づけば客たちも俺に感心したように拍手を送っていた。
「そうなのか! 私としたことが、何ということだ! ただ、働いているだけじゃない。こうやって自分を高める手段が日常の中にいくらでも転がっていたんだな!」
ウラは余計に仕事に熱意を燃やしたようだ。目の輝きが炎と化していた。
扱いやすすぎる。
やっぱ、こいつはまだまだガキだと思っていていいかもしれねえな。
「このバカ」
「あいて、先生……」
そのとき、先生に後ろから小突かれた。
「お前、なんつうテキトーなことを。お前はあんな修行しとらんだろうが」
「いや、でも何かそれっぽいだろ?」
「しかも、元ネタが絶対にバレねぇこの世界で披露するとはな。あれ、映画の『何とかキッド』でやっていた、車のワックスがけのパクリじゃねえか」
「いーんだよ、おかげでガキが一人やる気になったんだから」
そう、色々考えたが、十歳はまだガキでいい。
俺はこの瞬間まではそう思っていた。
だが、俺がそう思おうと思わなかろうと、世界はもうそれを許してはくれなかった。
「おーい、ヴェルトー、大変だぞー!」
一人の客が勢いよく店に駆け込んできた。
汗だくで、息を切らせて、必死の形相だった。
店によく来る常連客のおっさんの一人だ。
「何だよ、いきなり」
「どーしたもこーしたもねえ、大変だぞ!」
「だから、何が?」
「お前はなにも聞いてねえのか? 今、広場で正式な発表があったんだよ」
だから、何をだよ。
あまりにも勿体付けるせいで、店にいる皆の動きが止まっている。
すると、
「お前、『大帝国軍士官学校』って知ってるか?」
「ああ、それなら名前だけ。フォルナとかが数年後に行く、帝国にある金持ちと天才が集まる学校だろ?」
そして、大半が卒業後にそのまま人類大連合軍に配属され、魔族や亜人との戦争の最前線に赴くことになる。
人類の希望と未来の英雄たちが集う学校。
そして、卒業後にはそれぞれが戦場で武勲を立て、やがて国に帰れば、絶大な名誉と称号まで与えられる。
この世界にいるガキなら誰もが目を輝かせて憧れる学校だ。
「それがな、今年から飛び級制度が採用されるようになって、この国も、エルファーシア児童魔法学校のシャウト坊ちゃんをはじめとした成績上位十人と、特別枠でフォルナ姫様の入学の許可が下りたんだってよ!」
それは、みんながいつまでもガキのままではいられないと理解する、一つの節目でもあった。
「姫様たちはしばらく帝国の学校に行って……卒業したら戦争に行っちまうんだってよ!」
いつか、そういう日が来る。ぼんやりと分かっていたことが、予定よりも早まっただけのこと。
それなのに、俺は今この状況下で、どういう反応をすればいいのか分からず、ただしばらく呆然と立ち尽くしていた。
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