文永の役 てつはう

 ――麁原山。


 その標高は三十メートルと低く、松の木で覆われている。


 徒歩なら容易に登れるが、馬で駆けあがるのは面倒だ。


 その低山に<帝国>兵が陣を構える。


 <帝国>軍は麁原山を囲うように布陣して、その前面に置き楯を配置する。


 置き楯は矢を防ぎ、馬の侵攻を妨げるためにある。


 <帝国>の置き楯は厚みが薄いが、そもそも<帝国>兵はほぼすべてが綿襖甲めんおうこうなので、これ以上の防御力を必要としない。


 主に騎兵の侵攻を妨げる狙いがある。


 これを大量に並べることで瞬く間に野戦築城を可能とする。


 つまり<帝国>は麁原山に即席の砦を早朝の時点で作り上げたのだ。


 <島国>の武士たちは気が付かなかった。


 大量の煙で視界を遮られていたからだ。


 煙は火災によって起きていたのではない。


 煙を吐き出す丸い球状の道具が出していた。


 それはのちの世に「てつはう」と呼ばれる物だ。


 この「てつはう」の字は「鉄炮」となる。


 鉄で火を包むと書いて鉄炮だ。


 しかし実際は陶磁器の容器を使用している。


 鉄はその内側で使っているのだ。


 この陶器は真ん中から上下に別れる構造になっている。


 この分割する陶器の内側には鉄の筒が収まっている。


 この筒の中に火薬玉が大量に入っているのだ。


 これが「てつはう」の構造だ。



 これは火をつけて投げる、手榴弾とは違う。


 なぜなら重さが四キログラムになり、特殊な訓練を積んだ兵士でもせいぜい二十メートルしか飛ばない。


 そもそも割れやすい陶器なのだから投げることを考慮していないのだ。


 爆発物と考えると火薬玉にも問題がある。


 中に入っている火薬玉は黒色火薬と呼ばれるものと似ているが、実際はまったくの別物である。


 火薬を構成する物質は木炭、硫黄、硝石の三つからなる。


 ――物体が燃焼するには燃えるものが必要になる。


 その燃えるものが木炭だ。


 大量の炭素が燃えて、二酸化炭素になる。


 ――次に熱源が必要になる。


 この熱源が硫黄だ。


 硫黄の自己発熱反応が火薬にとって重要となる。


 ――最後に酸素が必要になる。


 その酸素を供給する重要な物質が硝石だ。


 これの用途は酸化剤――つまり密閉された空間で酸素を供給するためにある。


 しかし「てつはう」の硝石の使用比率は五割以下。


 これは黒色火薬の七割以上と比べると非常に低い。


 なぜ酸化剤が少ないのか?


 それは緩やかな燃焼反応を前提としているからだ。


 だから硝石の代わりに木片など爆弾としてみると不純物を入れて燃焼を遅らせるようにしてある。


 穏やかに持続的に燃焼させることで煙を出し続けることに意味があるのだ。


 煙幕――つまり発煙筒を軍事利用したのが<帝国>である。


 かつて「ワールシュタットの戦い」で<連合>の殲滅に貢献したあの煙幕だ。


 発煙筒には実に様々な工夫が凝らしてある。


 例えば陶磁器と内側の鉄の容器の間には隙間が作ってある。


 こうすることで燃焼していても熱が外に伝わらない。


 だからこそ馬の側面に備え付けても、あるいは素手で持っても火傷をしないようにできている。


 鉄火包――まさに燃焼し続ける火を鉄で包んでいるのだ。



 <帝国>はまず月明りを頼りに、夜間上陸作戦を決行した。


 夜闇に紛れて麁原山を占拠して、陣地の構築作業を始めた。


 日の出の前に<帝国>は煙幕を海上の船と麁原のふもとから発生させて、上陸地点の視界を奪った。


 これにより築城を悟られないようにするのと同時に周辺に偵察兵を派遣した。


 どの方角にも百程度の偵察兵を出して、武士と出会ったら即座に麁原へと退却する。


 煙幕によって戦力差が読めずに突き進んだ周囲の武士たちを釣りだしたのだ。


 ふもとには警固の任についていた武士たちの屍が横たわっている。


 それは<帝国>の戦術である偽装撤退の犠牲者だ。


 <帝国>は大陸中を蹂躙した戦術をこの<島国>でも実演してみせた。



 五郎たちはこの恐るべき戦術を目の当たりにした。


 気付かずに突き進んでいたらあっけなく殺されていただろう。


 心臓が痛い。


 落ち着くために周囲を見渡す。


 赤坂山で見ていた菊池武房と一門は博多へと戻っていく。


 この異常事態に気が付いて大将に報告に行ったのだろう。


 鳥飼潟のさらに奥、百道原からは煙に紛れて続々と<帝国>兵が上陸している。


 ――突如。


 銅鑼の音が鳴り響く。


 すでに見つかったので偽装する必要がなくなったのだろう。


 銅鑼の音に呼応するように逃げ帰っていた<帝国>兵が整然と行進を始めた。


 五郎は恐ろしいと思った。


 あれは逃げていたのではない。


 そういう予定通りの行動だったのだ。


 そして銅鑼の音に合わせるように百道原にも色々な旗が立ち始めている。


 一糸乱れぬ軍勢。


 これほど恐ろしいものがあるだろうか。


「五郎、ここは一旦引いてから立て直そう。菊池たちも戻っていった、つまり少弐殿の軍勢がすぐにここに集結する」


 三郎が冷静さを取り戻してそういう。


「そ、そうですよ。味方と合流して武功を上げましょう」と籐源太も言う。


 五郎は考える。


 ここで逃げ帰っても咎められることはないだろう。


 しかし大軍の中ではまず勲功は得られない。


 上陸中ということはすぐに大軍で押し寄せてくるわけではない。


 準備が整った<帝国>と対峙して果たして勝てるのだろうか?


 今……今だ。


 いま麁原の敵を多少でも崩さなければこの大軍の勢いは止まらない。


 この五騎で相手をする。


 その時、五郎の脳裏に江田「又太郎」秀家の言葉を思い出す。


 先懸だ。



 ――――――――――


 ということで謎の兵器「てつはう」は本小説では煙幕という位置付けになります。

 やっと1話のワールシュタットの伏線を回収できた……。

 残念ながら史実のてつはうは未だに詳細が不明ですね。

 手榴弾という前提の実証実験はすべて失敗に終わってるみたいです。ですので本作ではあえて通説を無視して煙幕としました。


 麁原山に布陣する<帝国>

 蒙古襲来絵詞 絵五の左側

 https://33039.mitemin.net/i572725/


 てつはうの想像図

 https://33039.mitemin.net/i572726/



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