文永の役 川船
そして先ほどのやり取りを思い返す。
――静観を決めた時のことだ。
『ちょっと待った!!』
そう言って二人の話し合いに割って入ったのは菊池
五郎と同じ菊池の一門であり、この戦に百騎余りの騎兵を引き連れている。
『目と鼻の先に敵がいて何もしないというのは腰抜けである。今すぐに敵を討ちとるべきだ!!』
『たしかにお主の主張もまた正しい。しかし少数でも博多の町への侵入を許したら町は焼かれてしまうだろう。ここは万全の防備を固めて――』
『ならば我らが手勢のみで打倒するまで、少弐の腰抜けはそこで見ていればいい。皆の者行くぞ!!』
『おおぅ!!』
そう言って菊池武房率いる騎兵が息の浜を出ていった。
戦力の逐次投入は兵法において最も愚かな行為。
相手が愚かに越したことはない。
だがこちらも実情は同じである。
御家人とは武家の棟梁――征夷大将軍に仕える。
つまり御家人の上に御家人はいなく、御家人の下にもまた御家人はいない。
その性質上、御家人は全員が等しく同格であり、上下関係が希薄であり、横のつながりも血族以外には排他的だ。
そして戦への参加は自費になる。
つまり勲功を得たければ守りに徹するのではなく攻め続けなければいけない。
少弐たちが兵法を心得ていてもそれに従う者がいるかは別の問題となる。
景資は深くため息をつく。
これが二月騒動が起きる前なら――いや、どちらにせよ猛獣を御することはできない。
遠くで「まてまて、まずは馬を降りられよ」という声が聞こえる。
声の主は少弐の付き人である太田左衛門だ。
五郎の声が遠く、少弐の耳にも届く。
「今は戦の時、弓馬の道を進むものとして降りるわけにはいきません」
弓騎兵が戦場で地べたに立つことはない。
それを言い訳に騎乗しながらここまで来ようとする。
それを聞いて景資は面白い男だと思った。
「左衛門! 通してやれ」
「は? ……はっ!」
左衛門は命に従い五郎たちを通した。
そして江田又太郎が大将に声をかけた。
「大将少弐殿! 肥後の国、竹崎郷から騎馬武者が参られた!」
「竹崎の五郎季長と申します」
「同じく三井三郎資長と申します。そして以下郎党になります」
息子二人と籐源太も挨拶を済ませる。
それから五郎が言う。
「申し上げます。本訴に敗訴して無足の身、それでも工面してわずか五騎で参上しました」
少弐は竹崎勢を見るとたしかに五騎のみ、戦力として数えるには心もとないと思った。
「しかしこの人数で目の前の合戦をしても勲功を上げることはできません。これでは先に駆けた菊池一門に顔向けできません。ゆえに我らも先に駆けた者たちに加わることをお許しください」
つまり、菊池一門から勲功を上げられなかった一族の恥。
しかし勝手に先に駆けた者たちに加わればそれも伝令を無視する愚か者。
「ワシからもお願いします。この者たちはここに来る途中にクマすら射殺す武芸者。集団の中でその腕前を殺すより別行動させた方が活きましょう」
江田又太郎も嘆願する。
それを聞いて景資も答える。
「私もこの戦いで生き延びるかわかりませんが、生きていたら別行動の旨を報告しましょう」
「ありがとうございます。それから馬に乗りながらの申告を大変失礼いたしました」
「構いません。そのまま行きなさい」
五郎たちはそれを聞いて五騎で博多へと駆けていく。
少弐は少し考える。
菊池一族のほとんどが出てしまった。
肥後の者は江田を含めた一部の菊池一門ぐらい。
それ以外は筑前と肥前その手勢五百騎余り歩兵四千ほど。
このまま菊池勢だけが武功を上げると大宰府の少弐としての立場がなくなる。
かといって<帝国>の本隊がどこかわからないのに博多を空けるわけにはいかない。
大将少弐は焦っていた――敵が見えない限り方針が定まらない現状に焦っていた。
その様子を見て、「まだまだお若いですな」と野田資重がいう。
少弐はまた深くため息をついて「茶化すな」と呟く。
「ふむ、これは失礼。それにしても不思議な煙ですな」
大将少弐は言われて入道雲のような煙を見上げる。
たしかに不思議な煙だ。
五郎たちは陣を出て博多に入る。
「まさかさしてつながりのない菊池家宗家をダシに集団から抜けるとはな」
「義兄上、いわないで下され。これは方便です――商人たちのいう方便ですよ」
「ははは、それでもいいじゃないか。お主は所領を得るだけの勲功を上げねばならぬのだからな」
「オイラはもっと味方の多いところがよかった……」
「籐源太殿、諦めましょう」「兄者、お腹が痛くなってきました」
博多の町を抜けると比恵川が、その先には住吉神社が見える。
そしてさらに奥では菊池家が那珂川を渡るために川船に乗っている。
今から南下して那珂川を渡って赤坂へ向かっても全てが終わっているだろう。
「ダメだ! これでは間に合いそうもない」と五郎は言う。
「そうだな、それでもあの集団から離れることはできた。これで勲功を上げやすくなったというものだ」
「オイラは腹が減って……」
「そう言えば飲まず食わずでここまで来てしまいましたね」
「兄上、腹痛ではなく腹が減っていたみたいです」
籐源太と三郎の子二人は腹を空かせる。
未だ早朝、戦は始まったばかりであり馬を酷使するには早すぎる時間帯。
今から全力で駆けて馬を潰すわけにもいかない。
「なんじゃ腹を空かせておるのか、ほれ焼おにぎりならいくらでもあるのじゃ」
「おお、すまんなムツ…………ってなぜここにいる!?」
行商人であるムツが博多で炊き出しをしていた。
「何を言っておる。お前さんたちは馬で宿泊しながらだから遅いじゃろ。妾は徒歩じゃからのう。とうの昔に博多に入って商売をしていたのじゃ」
見ると薄い箱に焼きおにぎりを詰めて、歩きながら売るところだとわかる。
そしてムツの後ろには見知らぬ男が付いている。
「ムツの知り合いか……」
彼と一緒にここまで来たのだろう。
まるでヘビのような張り付いた笑顔で五郎を睨む。
「この人が姉ちゃんが一目ぼ……ぐふっ!」
「こ奴は妾の弟の又二郎じゃ」
それを聞いて少し安堵する五郎。
「そうか……泡を吹いてるがいいのか?」
「気にするでない。それより向こう岸に渡りたいのなら川船に乗ったほうが早いぞ」
「それはわかっている、しかし今から那珂川まで行って船を徴発するにも――」
「モ~~」
「あ、昨日の五郎さん、こんにちは」
牛の鳴き声と共に牛飼いの少年が川船を川上へと運ぶ途中だ。
「五郎よ、ほれ船じゃぞ」
「あ、いやしかし船乗りがいなければ――」
「おーい、牛飼くん。どうやら戦が始まるようだから川船は博多に――」
博多の船乗りたちもやってきた。
「ふむ、五郎よ……」とムツがいう。
「……ああ、そうだな」と応える。
「え? ……え??」
船頭は屈強な武士と不敵な商人に挟まれて困惑する。
「もぐもぐ……やっぱ奥方の握り飯はうま……もぐ」
「何もしゃべらずにとにかく食せ……もぐ」
その他の郎党たちはとりあえず飯を食べることにした。
その間にムツが交渉を成立させる。
「それじゃあ、お侍様を五騎ほど向こう岸まで乗せればいいんですね」
「うむ、これが前払いの銭じゃ」
「いや~どこのお侍さんもタダ働きを強要して困ってたんですよ」
「では、よろしく頼む」と五郎も言う。
「よし、野郎ども船を出せ!」「おおぅ!」
五郎たち五騎を乗せて船が出る。
博多湾は川と干潟そして少し進むと山々が行く手を阻む。
そらに湾内のいたる所に寺院がある。
交易の中心地であり物資が溢れるほど流通するのがこの地域一帯の特徴だ。
その関係から小型の川船が大量に行き交っている。
入り江を川船で横断すればすぐに赤坂に着くが、渡河というのは大変労力がいる。
岸に着く前に矢戦となり、無傷で到着することはない。
菊池家は住吉神社にあった全ての川船を徴発して那珂川を渡河した。
少し離れることで妨害にあう可能性を減らしたのだ。
後発組である五郎たちは安全になった対岸に直接船を着けることにした。
五郎たちは住吉神社の鳥居前の船着き場から
「うおっ!? 揺れる揺れるぞ」
「オイラ……泳げないのでひぃ」
「安心しろ拙者も泳げない」
「同じく……」
「おっとっと……大丈夫だ、鎧を着たまま泳げないのは皆一緒だ」と三郎が元気づける。
「全然大丈夫じゃない……」と悲嘆にくれる籐源太。
「大丈夫ですよ。なんたってあっし等は博多一番の船乗りですからね。馬を乗せたぐらいで転覆はしませんよ」
「おぅ!」と船員たちが応える。
そして川船の船乗りたちが自信満々に船を漕ぐ。
「博多一番かそれは頼もしい」
そう言いつつも五郎は肝を冷やしている。
いかに体を鍛えていても重く動きにくい大鎧を着て泳ぐことはできない。
沈んでしまう。
いかに川船が五郎たちの何倍の物資を運ぶ船とは言っても、早々乗りたい物ではない。
下を見ないように目の前の赤坂に目をやる。
対岸の赤坂ではすでに戦いが始まっていた。
怒号と罵声、血で染まった赤坂へ船がゆく。
――――――――――
地理関係がわかりにくくなってきたので地図を用意しました。
https://33039.mitemin.net/i572059/
注意:川の幅は見やすさを優先しているので参考になりません。
通説では菊池一門とゴローちゃんは、歴史あるある現象で赤坂までワープします。
つまり移動経路不明ですね。
そもそも那珂川から始まる幅広の入り江をどうやって渡河したのかすら不明。
そこで二つのパターンを用意して、菊池家は那珂川で船に乗って移動。
ゴローちゃんは荷揚げ用の船着き場があるだろう住吉神社の鳥居で船に乗って移動。
前者なら遠回りですが<帝国>の妨害がなく渡れて、後者なら<帝国>がいなければ問題なく渡れるという感じです。
あと蒙古襲来絵詞の絵二の場面なのですが、なぜか九州大学附属図書館には収蔵されていないのでこちらで提示できません。ざんねん。
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