文永の役 赤の武房

 ――赤坂山。


 そこにはかつて古代には大津城という施設が存在した。


 それは鴻臚館こうろかんを訪れた使節団に対して牽制する狙いがあった。


 のちの世になると黒田長政により福岡城が建設された。


 それは周囲の干潟や入り江は砂で埋まり、人の往来がしやすくなった要衝だからだ。


 だが、この時代は足場の悪さと交通の不便さ、そして南にある大休山や博多との位置関係から戦略上の価値は――皆無である。


 少なくとも大将少弐は、そして<帝国>軍もそう判断していた。




 五郎たちが船を降りた。


 静寂だ。


 小松原を突き進んで赤坂に出ると視界が広がる。


 そして五郎たちの目に映ったのは――。


 戦いが終わり凱旋する菊池一門だ。


 彼らが持つ薙刀には先ほどまで戦っていた<帝国>兵たちの首が刺さっている。


 分捕りの功を示すには討ち取った首を持ち歩かねばならない。


 だから一会戦したら勲功である首を持って証人たちの下へ帰る必要がある。


 馬の息が荒い。


 博多から那珂川を渡って全力で走り抜けたからもう体力がないことがわかる。


 騎馬戦というのは日に何度もできることではない。


 体力が続かないからだ。


 長期戦をするのなら最大で一合戦したら翌日までは戦わない。


 それでも戦いたいのなら乗り換えの馬を大量に用意する。


 <帝国>はそうすることで敵を打ち倒してきた。


 菊池一門は替えの馬がないので目の前の敵を倒したらすぐさま帰還することにした。


 それはこの時代ならよくある光景の一つである。


 小規模の合戦したら<帝国>はすぐさま撤退した。


 五郎は<帝国>が旗をなびかせながら退却するのを確認する。



 だがそれよりも菊池一門の先頭に立つ、武将に注目した。


 五郎は思った。


 なんと見事な芦毛あしげ(灰色)の雄馬に跨る御仁か。


 馬に乗る姿はまさに威風堂々。


 これは全ての武士が身に纏いたい、しかし持って生まれた才能のような手に入らないものを帯びている。


 畏敬だ。


 畏敬の念を禁じ得ない武将がそこに居た。


 背には紅の母衣をなびかせ。


 紫色であしらわれた大鎧を身に纏う若武者。


 五郎の目の前を横切ろうとする。


 誰かはおおよそ見当がつく――しかしそれでも五郎は声をかける。


「そこの御仁はどなたか? 誠に立派な姿、感服しました!」


「肥後の国、菊池“二郎”武房たけふさと申す。そちらはどなたか?」


 武房たけふさつまり叔父である御房みふさということはやはり――川上の菊池一門、それも現当主だ。


「おお、ご同門でしたか! 拙者は竹崎“五郎”季長と申します」


 武士の礼儀として互いに名をあげる。


「これから敗走する敵目がけて駆けますので証人になってくさだい」


「いいでしょう。竹崎殿の戦いを見届けましょう」


「それは真に感謝する!」



 赤坂の西に広がる干潟を見る。


 大勢の<帝国>兵たちが泥まみれになりながら移動している。


 数は――少ない。


 およそ百以下。


 そもそも未踏の地を進む場合、伏兵などを警戒して少数が偵察しながら進む。


 <帝国>はその常識に則って行動している。


 集団としての行動を前提とする<帝国>でも一部には離反者は出る。


 干潟を進まない少数が西ではなく南へと移動している。


「五郎、目の前の干潟が鳥飼潟だ。そして奥で山火事を起こしているのが麁原山になる」


 三郎はこの辺の地理に詳しい。


 <帝国>との合戦に備えて予め下見をしていたからだ。


「では南に逃げる少数の先は何ですか?」


「南は別府と呼ばれている。あの小川の所を塚原と呼ぶ」


 五郎は鳥飼潟は馬では移動できないと感じた。


 狙うなら少数の<帝国>兵たち。


「義兄上、あの少数を倒しましょう」


「よし、息子たち、それから籐源太も行くぞ」


「わかりました。旗指を立派に努めます」


 そう言うのは息子の三郎二郎資安。


 流れ旗を持つ旗指は敵味方の区別や、第三者に勲功を確認してもうための目印となる。


 つまり五騎の内、一騎は一切武器を持たずに戦場を駆けなければならない。


 現代で言う通信兵と役割が似ている。


 それはこの時代の武士というのは役割分担が近代並みに明確に決まっていることを意味する。


「オイラ……母衣が欲しい……」


 母衣といのは懸保侶をいう。


 それは馬が駆けた時の風で膨らむようにした布である。


 他には竹で作られた骨子を布で包んだ独特のモノもある。


 膨らんだ時の大きさは人と同じぐらいであり、その目的は矢が流れた時に母衣で受け止める――防具としての役割がある。


 騎馬戦が衰退したのちの世では主に装飾として使われるが、集団での騎兵船が主体のこの時代にはなくてはならないものの一つだ。


「籐源太殿、追撃戦だからまだ安全ですよ」


 籐源太に対して三郎八郎太が慰める。


「よし、駆けるぞ!」


 五郎たちは敵を分捕るために南へ進む。




 ――――――――――

 蒙古襲来絵詞の絵三の場面

 https://33039.mitemin.net/i572340/


 詞四の場面ですね。


 武房と御房の一字が同じだから同門というのは完全に創作。

 菊池家は代々「武」を継いでます。

 叔父の名は蒙古襲来絵詞の詞五に書かれている「じゆゑの御房」という謎の人物、たぶんお坊さん?

 そして五郎たち竹崎家の棟梁のような人物? が元ネタ。

 いきなりお坊さんが五郎の上にいるとなると物語がわかりにくく。

 納得させるには生まれた時から描くという大河なドラマになるので、分かりやすい親族に変えてます。

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