第238話 恋文
右筆が持ってきた文を読み返し、最後に花押を書き入れる。
次から次へと持ち込まれる文に、私は筆を走らせた。
この世界では、城主が直接お手紙を書く事はあまり無い。
『右筆』という文書を書く担当者が文を書き、城主はそれに『花押』というサインをするだけだ。
いつもは登庁して行うそれを、今日は邸でやっている。
「寝ながら仕事なんて、いいご身分だな」
嫌味を言いながら、門馬くんが花押待ちの文を抱えて入ってきた。
この子は、自分と変わらない年齢に見える私が城代を務めているのが不満らしく、私への当たりがキツい。でもそれを捌けないようでは城代など務まらない。
門馬くんは見たところ、父親と同じ門番の仕事では自分の能力を発揮できないのが不満、といった感じがしたので、字の綺麗さを見込んで右筆の下に付け、仕事を覚えさせているところだ。
「それが城代の特権だよ。というか、門馬は風邪を引いたら休めるけれど、花押は私じゃなきゃ入れられないから休めないよ? それでも羨ましいなら代わってくれ」
「何が“城代の特権だ”だよ。信倖様の身内だからって偉そうにすんな。とっとと働け」
馬ッ鹿じゃねぇの?
捨て台詞を吐いて門馬くんが出て行く。相変わらず城代を敬う気持ちは全く無いな。
最初の頃は私への態度の悪さを、周囲の大人たちに叱られていたけれど、学習した門馬くんは、他人の前では大人しくする事にしたみたい。
私も外見は15歳少年だけど、中身は元・社会人ですから。相手は反抗期の中学生だと思えば、いちいち腹も立たないというか……
そんな門馬くんは意外にも、影勝様や舞田殿みたいな大大名に文を送る時には重宝しそうな、腰の低い丁寧な文章を書く。
態度はともかく、右筆の仕事は天職だったかも。
部下をよく見て適材適所、これも城代の大切なお仕事だと思うのです。
*************** ***************
持ち込まれた文のすべてに花押を書き終わり、私は筆を置いて右手を振った。
数日寝込んでいただけで、結構な量の仕事が溜まっていたな。
ほけっと庭を眺めていたら、根津子がお茶を持って入ってきた。
「いきなり根を詰めないで下さいねぇ? 少し遅れますってお文は出したんですけど、桜姫のお迎え、今回は信倖様にお願いします?」
「大丈夫、数日中には迎えに行けるよ。越後に文を出しとかなきゃ」
「わかりましたぁ。ご自分でお書きになりますかぁ?」
「うん。桜姫、心配しているだろうからね」
文は右筆が書く、とは言ってもプライベートなものは自分で書く。
飲み終わったお茶碗を根津子に返し、私はひとつ伸びをして再び文机に向かった。
もだもだ考え込んで、ごろごろふとんで転げ回って。
やっと腹を決めた私は、兼継殿にも文を書く事にした。
直接言い辛いなら、お手紙で気持ちを伝えるのもアリだよね……? と思ったのに、真っ白い紙を前に、私はもう小半刻(30分)ほど悶々としている。
「元の世界に戻れなくなる」
あんな形で『現世で生きていた』事を伝えるつもりじゃなかった。
あの言い方だと、せっかく好きって言ってくれたのに、私は現世に帰りたがっていると思われたかも知れない。
実際、兼継殿はすごくショックを受けた顔をした。
それなのに私はそのフォローもせず、自分のことでいっぱいいっぱいで、そのまま逃げ帰ってきてしまった。
ちゃんと謝らなきゃ。
そして私も好きです、って伝えて、好きになってくれたお礼を言おう。
もう 会えなくなるんだから。
兼継殿はああ言ってくれたけれど、雪村を犠牲にしてしまったら、私たちはきっと一生後悔する。
私は兼継殿に、余計な負担をかけたくない。
雪村の残りの人生を、横から奪い取るなんてやっぱり出来ない。
だから
帰ろう、現世に。
最初はどんなに辛くても、きっと忘れられる。思い出になる。
いつか現世に戻っても、思い出の中の兼継殿が笑っていてくれるといいな。
だから前に兼継殿の幼馴染のお坊さんが言っていたように、最後の瞬間まで楽しい思い出を たくさん作ろう。
「幸せだった」と思って欲しいから 兼継殿には 最後まで内緒。
心を落ち着けて、筆を取る。
ちゃんと私の気持ちが伝わるように。
*************** ***************
「だめだ……! 乙女ゲームで培ったスキルが、全く活かされていない……ッ!」
私は絶望に打ちひしがれた気分で、文机に突っ伏した。
そりゃそうだよ。乙女ゲームで培われるのは、乙女をときめかす口説き文句だ。
そしてプレイヤーに必要なのは、男を口説く能力じゃなく、的確なカウンセリング能力だよ。
乙女ゲームに限らず、シミュレーションゲームに言えることだけど、あーいうのは、攻略対象のお悩み相談にのっていれば、いつの間にかオトせているものなのだ。
……身も蓋も無いな。
まあ現状、悩みまくっているのはこちらの方な訳ですが。
結局、さんざん悩んで考えた末に「私も好きです」としか書けなかった文を翳し、私は大きく吐息をついた。
何ていうかこう……『私は干し柿が好きです』と同じノリだよ。
だがしかし。
ゲームでは雪村が「綻ぶ桜花の様な貴女の微笑を、いつまでもお守りしたいのです」みたいな感じで桜姫を口説いていたけれど、兼継殿にそんなこと言ったら軽く死ねる。
「もう少し、練り直そう……」
花押まで入れたその文を折りたたみ、私は『桜姫』宛ての文だけを、越後に送る事にした。
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