第203話 兼継恋愛イベント「恋を問う」勃発2 ~side K~


「何をする心算かは知らないけれど。そのような事を探っている事自体に感心しないね」


 穏やかな表情の僧が、ゆったりと窘めた。

 まだ年若く、豪奢な袈裟を纏っている訳でもないのに冴え冴えとした気品がある。


 足利学校で学を収め、あらゆる兵法、卜占、暦学に精通したその僧は、かつて兼継と寺子屋で机を並べていた。

 影勝の小姓に抜擢され、足利学校への進学を諦めた兼継とは逆に、望んでいたのに、抜擢されなかった事で進学が叶ったその僧は、現在『越後執政の頭脳』とも呼ばれて上森家中枢に関わっている。


「何とでも言って下さい。ご存じないですか? 虎徹殿」


 迦哉虎徹と呼ばれるその僧は、僅かに首を傾げた後で、吐息を吐くように言葉を続ける。


「ひとの魂を別の器に移す。方法が無いではありませんが、外法の類です。おいそれと 手を出して良いものではありませんよ」

「しかし、それしか方法が無いのであれば」

「ひとが死ぬには理由があります。戦で死んだ者には死んだなりの傷が。病で死んだ者には原因となった病が。死んだからとて、それが無くなる訳ではありません。魂をその器に移せば、その魂は死ぬほどの辛苦を味わうことになるでしょう。君はその魂に、そのような苦しみを与えたい?」

「それは……」


 俯いたまま黙り込んだ兼継のそばにそっと寄り、励ますように肩に手を置く。


「他に方法が無いか探します。しかし、その魂の幸を最上とするならば 手放すことも愛ですよ」



 ***************                ***************


 この国最高峰の学問を収めた僧でも解らないのなら、方法など無いのだろう。暗澹たる気分で兼継は帰路を辿った。

 そもそも雪は『雪村』を戻したがってはいるが、女性として生を全うしたいとは思っていない。

 これは兼継自身の望みだ。


 魂の抜けた身体に別の(雪の)魂を入れる術。

 どんなに醜い傷痕があろうが、起き上がれぬほどの病であろうが、生涯寄り添う覚悟はある。しかしそれが『雪の幸い』に繋がるのか、改めて問われれば、到底その様には思えない。


 こんな事ならあの夜に、すべて終わらせてしまえば良かった。

 兼継はぎりりと眉間に皺を寄せた。


「女の『雪』なら、死ぬ運命とは別の未来が開ける可能性がある」


 そう桜姫に唆されて、ひと芝居打つことに同意した兼継だったが。

『兼継が桜姫と共に歩む未来を選択した』と雪に誤解させても、雪がそれを気にしていなさそうな事に、兼継自身が結構な打撃を受けていた。


 己の命が掛かっているとなれば当然そうなるだろう。

 当たり前だ。そうに違いない……

 ……そうでなければ、あまりに私とあの娘とでは、温度差がありすぎるではないか。盆暗娘なのを加味しても酷過ぎる。


 眉間に刻み過ぎた皺をほぐし、兼継は吐息をついた。


 あの娘は 見染められても気付かない盆暗だ。

 挙句、娘の身体になってさほど時が経っていないというのに、あれよあれよという間に信倖の乳兄弟の心を捕らえ、あれだけ釘を刺したというのに とうとう館まで誑かしてしまった。

 鈍いくせに機動力があり過ぎではないか?


 もしも今、あの娘が『男に戻るには 契るしか方法が無い』と知ればどう出るだろう。

 桜姫との件を誤解している今の雪なら、また余計な機動力を発揮して 館か、もしくは信倖の乳兄弟に『その役目』を託しかねない。

 ならば今は、その件を明かす時期ではない。だが今後、いつ明かせる時期が来る?


 一年後か、二年後か。


 怖がらせないように 少しずつ距離を詰めていたというのに、ここにきて桜姫の策に嵌ってしまった。

 このまま手を拱いていては、手遅れになる。




「兼継殿!」


 考えすぎて空耳まで聞こえたか と顔を上げると、正真正銘 声の主が、道の向こうから駆けてくる。

 そして兼継を見ると ふと表情を曇らせ、そっと手を伸ばしてきた。


 風が冷たいせいか、心配そうに見上げてくる顔は 頬が透けるように白い。

 その指先も 頬と同じ色だ。


「冷たいな。邸内で待てば良いだろうに」


 ひんやりとした手を繋ぐように捕らえて、兼継は苦笑した。

 何故、このような時に来るかな。まるで天に試されているかのようだ。


 そんな兼継の思惑など知らないであろう雪が、少し躊躇いがちに微笑む。


「いえ、こうしていた方が 早く兼継殿を見つけられますし」


 そう言ってから急にそわそわとし出し、そっと手を引っ込めかける。

 兼継は強く握り直して それを引き留めた。


 この娘は、都合が悪くなるとすぐ逃げる。

 ここで捕らえることが出来たのは――僥倖だ。


 +++


 桜姫のあのような小芝居に付き合う事にしたのは、そうすることで『雪村が死ぬ』運命を回避出来る可能性に掛けての事だ。

 だが兼継にしてみれば、雪が他の男と添い遂げるのも、死ぬ運命を辿るのも、何ら違いは無い。


 どちらも共に『失う』ことを意味するのだから。


 ならばこれ以上、くだらない芝居に付き合う事もあるまい。

『元に戻る方法』。それが『契る』以外に無いのであれば。


 門口(かどぐち)脇の小部屋で小袖を着替えながら、兼継はふと外に目を向けた。春になり、日が長くなったとはいえ空はもう昏くなっている。

 そういえば雪村を手放したのも、再会したのも春だったな。


 うっかり黄昏た兼継に、侍女が洗い立ての小袖を着せかけながらくすりと笑う。


「そういえば兼継様。雪村が 『兼継様のお部屋でお待ちしています』との事でしたわ。大人になってから、随分と書籍を読む子になりましたわね」


 雪には客間で待てと言ってあったのだが。またあの娘は、男の部屋に不用心に……いや、今はその方が都合が良いか。客間より自室の方が、落ち着いて話せる。


 幼馴染みの僧は「他に方法が無いか探す」とは言ってくれたが、こちらの気持ちを慮って(おもんぱかって)の気遣いだろう、とは 兼継自身も解っている。

 他に方法が無いのであれば、雪にそう話すしか無い。


 もし本人に全くその気が無いのなら、無理強いはしたくない。

 だが、雪が幾許かでも(いくばくか)でも自分に恋心を抱いている、そう答えてくれたなら。その言葉を生涯の宝として 雪村を男に戻そう。

 恋心など抱いていないと答えられた場合は…… そうだな。言葉を尽くして、納得させた上で男に戻そう。


 実質 一択


 ……自身でも突っ込みながら、兼継は小さく咳払いをして侍女に微笑みかけた。


「そうだな。最近のあれは、私の書籍にしか用が無いようだ」


 まあ と笑う古参の侍女に、兼継は何気なさを装って声を掛けた。

 緊張を悟らせないよう 意識しながら。


「しばらく 人払いを頼む」



 ***************                ***************


 部屋に戻ると案の定、雪村は書籍を漁っていた。流石に『どのように話を持って行くべきか』と気もそぞろだった兼継は書籍どころではない。


「気になるなら持って行け。返すのはいつでもかまわないから」


 上の空で言ってから、雪村が手にしている書籍が『六韜』だと気が付いた。

 そういえば先日から読んでいたな。孫子とは趣を異(こと)にする書籍だが、雪村はどう感じただろう。


「六韜は読んだか。お前はどのように感じた?」

 うっかりそちらの興味が勝り、兼継は雪の側に座って問うてみた。

 少し考えた雪が「そうですね……太公望って封神演義の登場人物という印象があったのですが、実際に居たのですね」と、和む答えを返してくる。


「姜子牙の事か」

 太公望について簡単に説明すると、吃驚した顔をした後で 熱心に耳を傾け、自分は不勉強だと困ったように笑う。


 過剰に己を卑下する事も無ければ、他人に媚びて持ち上げてくる事も無い。

 真面目な性格かと思いきや、時折、抜けた事をする。春のように穏やかで それが心地いい。


 これを失いたくないな。


 どのように話を持って行くか、と緊張していたはずの兼継は、いつの間にかそれを忘れて 会話を楽しんでいた。



 ***************                ***************


 当初の目的を忘れていた兼継が 急に我に返ったのは、雪村が「『三十六計逃げるに如かず』という文言が好きです」と言った時だった。


 しまった、私としたことが! これがまた逃げ出す前に 仕掛けなければ。

 体勢を立て直し、兼継は小さく咳払いをしてから雪に向き直った。


 いきなり話題が変わるが事が事だ。余計な事を考えて本心を偽られては困る。

 あまり時間を与えぬ方が良い。


「問答ついでだ。お前に聞いてみたい事がある」

「何でしょう?」


「お前は恋について、どう思う」



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