第67話 消失

「真木は沼田に 所領が安堵されたよ」


 ラフな普段着の小袖に着替えた兄上が、肩をまわしながらそう言った。やっぱり大阪城への登城は気疲れするみたいだ。


 結局、男の身体に戻れなかった私は登城しなかった。

 この件については「急な病だという事にしましょう。当主の信倖が居れば取り敢えず問題ない」と、あれから美成殿が早急に手回ししてくれた。

 所領の安堵って「豊富に臣従する代わりに保証された領地」って事なんだけど、こういう時は何て言えばいいんだろう。


「おめでとうございます」?「よかったですね」?


 戦とはいえ、沼田はあんな形で蹂躙されているから喜んでいいのか解らないし、今までだったら雪村が教えてくれたから どう答えるのが正解なのかが解ったけど、今はそんな事もわからない。


 私はあいまいに微笑んで誤魔化して、声には出さず、今日何回目になるかわからない名前を呼んだ。


 雪村、どこにいるの?


 ……私の中から「雪村」がいなくなった。



 ***************                ***************


 いつから居ないのかは解らない。

 ゆうべ泣き寝入りしたらしい私は、兼継殿の布団で目が覚めた。

 慌てて起きると、隣の部屋に居た兼継殿がいつもと変わらない様子で「おはよう」って言うから、今までの事は全部夢だったのかと思ったくらいだ。


 でも身体は女の子のままだし、兼継殿も「信倖と美成に使いを出した。身支度が済んだら戻るぞ」って少し難しい顔になってる。

 やっぱり夢じゃなかったんだ どうしよう、って思いながらも、まずは身支度を整える事にして、私は内面に呼びかけた。


 着替える時に脱いじゃうけど雪村、大丈夫?


 ……私の中に「雪村」が居ない事に気づいたのはこの時だ。




「雪村?」

 名前を呼ぶ声で私は我に返った。

 顔を上げると兄上が心配そうに私を見ていて「大丈夫? 調子が悪いなら休みなよ」と気遣ってくれる。


「大丈夫です。申し訳ありません、ご心配をおかけして」

 そう言って笑ったけど、兄上は笑い返してくれなかった。


 ああもう、私 あちこちで迷惑をかけているな。


「兼継にはああ言ったけど、これが済んだらいったん上田に戻ろう。可哀相にね、どうしてこんな事になったんだろう」


 そう言う兄上の声には真心がこもっていて、私は泣きたくなった。


 言えるものなら言ってしまいたい。

「兄上、雪村が居なくなっちゃった」って。

 でもそれを言ってしまったら、私は兄上の弟でいられなくなる。


 私はこの世界にきて、初めてひとりぽっちになった。



 ***************                ***************


「私が沼田を、ですか?」


 大阪から信濃に戻ってきて、少し落ち着いたのを見計らったようなタイミングで兄上がそう切り出した。

「男子のままならそうするつもりだったんだ。でも今はまだ、気持ちが安定してないでしょ? 僕としてもそばから離すのは心配だし」


 兄上は沼田の統治を、雪村にまかせるつもりだったらしい。

 日本史ではお父さんが生きてたから、上田城にはお父さん、兄上……のモデルになった方の人が沼田城に入って沼田を統治していた。


 こっちの世界と現世の歴史は、似ているみたいで少し違うんだよね。


 例えば今回の、沼田が真木領になる経緯。

 日本史では「御館の乱後に上杉の承認を得て、武田家臣の真田昌幸が支配下に置いた」となっていたはず。もともと沼田は上杉が支配下に置いていたけど、御館の乱のどさくさで北条氏に取られたから。

 その後、武田氏が滅んだ時に沼田は織田氏に取られて、本能寺の変後にまた真田氏の支配下になる。秀吉の裁定で再度、北条に引き渡されるまでは。

 それに武隈滅亡だって、本来は織田……こっちの世界で言うなら小山田との戦でのはずだ。


 時系列や経緯が変わっても「歴史上起きること」は変わらないとしたら、この先、沼田は東条家に取られるはず。

 そしてもしもその後に、支城の名胡桃城が盗られる事になったら、その時点で小田原征伐のフラグがたつ。


 でもこっちの世界の秀好はもう死んでいる。秀好が居ないこっちの世界で東条を「征伐」するとしたら「誰」になる?


 そして本来、沼田を統治するのは兄上で雪村じゃない。それに何か意味はあるの?

 たとえば……御館の乱みたいに結末を変えられる可能性は?


 もしその可能性があるのなら、私が行った方がいい。先の予想が出来る分、何か出来ることがあるかも知れない。


 でもそんな係争地を 私は守り切れる? 雪村が居ないのに?




「大丈夫です。私が行きます。ただ今の私はごらんの通り、まともに戦う事が出来そうにありません。まずは兼継殿に稽古をつけてもらってからにしたいのですが、それでも良いでしょうか?」


 不安を押し殺して、私は笑って兄上に返事をした。

 雪村が居たらきっとそうするから、私が怯んで引き籠る訳にはいかない。


「あ、うん。それはいいけど。ええと、そういえばその事なんだけどね」


 兄上が急に歯切れが悪くなり、目線が空を彷徨いだす。

 私、何か不味い事を言った?

 そう思いながら兄上を見返すと、何だかそわそわしていて変な感じがする。


 しばらく言いよどんでいたけど、やがて兄上が言いづらそうに聞いてきた。

「あのさ、雪村の力が弱くなってるって兼継が言ってたけどさ。何でそれ、分かったの?」


 何だそんな事か。


「兼継殿が私の腕を抑えて「嫌なら撥ね退けろ」と言ったのですが、撥ね除けられなかったのです」

 正直にそう答えたけど、兄上はあいまいな表情のまま「何でそんな状況になってんの……」と呟く。

 何であんな状況になったのかは 私にも解らない。


「何かあったら言うんだよ。僕はいつだって雪村の味方だからね」


 まだ何か聞きたそうだったけど、結局兄上はとゲームでもよく言う台詞で会話を締めくくった。

 うわぁここで聞けると思わなかった! こんな状況下なのに、私は軽くときめいた。

 この台詞、公式HPや雑誌掲載時に 兄上の立ち絵の横にも採用される兄上の「決め台詞」なんだけど。関ケ原の戦いで兄上と雪村は東軍西軍に分かれるから、ファンから「兄上のうそつき」コールが巻き起こっていたっけ。


 あれ? そういえば雪村が女でも関ケ原って発生するのかな?

 真木の関ケ原は籠城戦だからともかく、大阪夏の陣をこの身体でってのは無理な気がする。


 ……無理だよね?

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