第24話 雪村の傷心

「雪村と離れたままは淋しいの。お願い、わたくしも兼継殿のお邸に連れて行って?」


 桜姫にそう可愛くお願いされた時は正直そうしたいなと思ったんだけど、私の一存いちぞんでどうにか出来る問題じゃない。


 だって兼継殿のおやしきだから。


 うるんだ瞳で見上げてくる桜姫の頬を両手でつつむように触れ、私はさとすように話しかけた。これ以上ごねられたり泣き出されても困る。


「兼継殿には遊びに来てよいか聞いておきます。姫は影勝様の妹君なのですから、やはり奥御殿おくごてんに居るべきだと思いますよ」

「そうですよ姫さま!」


 どこに居たのか、奥御殿の侍女衆がわらわらと湧き出てきて、私から姫をひっぱがした。

「私どものお世話がいたらなかったようですわ。ごめんなさい、雪村。大事な姫をお預かりしているのに」

「いいえ、皆様にはよくして頂いていると思っています。今後とも姫をよろしくお願い致します」


 世話をかけているのに恐縮させたのが申し訳なくて、笑顔を作ってお願いすると、年若いふたりの侍女が、額に手をかざすような恰好かっこうでふらりとよろけた。


 え?なに?


「雪村! ここでそれは危け……もがっ」

「さあさあ姫さま、そろそろおやつのお時間ですわ」

 大勢の侍女に取り囲まれ、桜姫が運ばれていく。……手玉に取られている桜姫を見るのは初めてかも知れない。


 さすが兼継殿が差配さはいする奥御殿勤務の侍女衆。隠密おんみつかと思うような手際だな。



***************                *************** 


 さて、姫が侍女衆に拉致らちられてしまい、さっそく私は途方にくれた。午前中くらいは暇つぶしになると思ってたのにな。


 正直、越後に来てから特にやることが無いんだよね。


 客分きゃくぶんとして扱われてるから、直枝邸で何か手伝いますって言っても断られるし、兼継殿の仕事なんてそれこそ出る幕なんてない。

 それに越後では三柱の神龍が南・東・西の水辺にまつられているから、領内は神気に包まれていて怨霊おんりょうが出ない。


 ちなみに北にも一柱の龍が祀られていたんだけど、これはたてとのいくさの折に正宗に奪われている。

 その神龍不在の「北之領域きたのりょういき」ですら「ひずみ」が塞がれているんだよね。


 あ、「ひずみ」っていうのはこっちの世界の概念がいねんで「怨霊や霊獣の領域」と「こっちの世界」の境目さかいめにある裂け目のこと。

 土蜘蛛なんかの怨霊はここから出てくるから、越後では領内の「歪」は全部ふさいでいるんだよ。

 そうなると、結局 鍛錬場たんれんじょうに行くか城下の畑の手伝いをするかくらいしか、やる事がない。


 あれ?信濃しなのにいた頃とそんなに変わんないや。


 私はふところから、つい先ほど届いたばかりの兄上からの文を取り出した。

 真木は武隈から離れて富豊に臣従しんじゅうすることになったむねなど、兼継殿経由けいゆで聞いた内容の他に、あの騒ぎは克頼様が雪村のことを「穀潰ごくつぶし」とあざけったことに、桜姫が腹を立てて起こったらしき事が書かれていて……

 

 正直、しょんぼりしている。


 今の雪村って兄上の補佐をしているけど、それって結局「家事手伝い」なんだよね。家を盛り立てる為なんだから、別におかしな事じゃない。

 兄上のそばで真木さなきのために働くことに何の不満も無かったけれど、他人にそう罵倒ばとうされるとやっぱり気になる。


 史実のモデルの方は、上杉のあと豊臣に人質に出されてそこで仕官しかんしてたはず。

 でもゲームとこっちの世界では、上森から真木に返された後はどこにも人質に出されてない。


 雪村が仕官さえしていれば。

 それこそ五年前に雪村が望んだ通りに、上森への仕官が叶っていればこんな事にならなかったのか。


 いや、これはゲームの設定なんだから私にはどうしようもない。

 どうしようもないんだけど……かよわいふりして実は元気な桜姫が、あんなに真っ青になって。

 上森家や美成殿、あちこちに迷惑を掛けた大元おおもとの原因が私かと思うと、地味にヘコむ。


 ……うん。考えても仕方がない。気分転換も兼ねて、今日は鍛錬場に行こう。


 今日は桜姫に「かばってくれてありがとう」って言おうと思っていたのに言いそびれてしまった。

 私はひとつ大きく息をつき、兄上からの手紙を懐に戻して立ち上がった。



***************                *************** 


 朧月おぼろづきが空にかかり、薄明かりがあたりを照らしている。

 寝付けなくて部屋を出た私は、庭に降りてぼんやりと空を見上げた。


 兄上が上田にしばらく戻れないなら、一度私が戻ろうかな。

 桜姫も奥御殿の侍女と上手くやれているみたいだから、置いていっても大丈夫そうだし。

 明日にでも兼継殿に、姫の事をお願いして……


「雪村」


 兼継殿のことを考えていたところに、いきなり本人の声がして、私は驚いて飛び上がった。

 振り返ると当然ながら兼継殿が立っている。朝、出て行った時と同じ出で立ちだから、戻ってきたばかりなのかもしれない。


 ああ、こんな事が無ければ影勝様もとっくに戻っていて、こんなに遅くまで仕事をする事も無かったんだろうな。

 申し訳ないという気持ち以上に、こんな夜中にどうしてここに?って気持ちの方が勝って私は聞き返した。


「兼継殿。どうしたんですか?」

「それはこちらの台詞だ。越後の夜はまだ寒い、風邪をひくぞ」

 着ていた羽織はおりを渡されて、私は慌てて首を振った。

「私は大丈夫です。それにそれでは兼継殿が風邪をひいてしまいます」

寝間着ねまき一枚のお前よりましだ。いいから羽織はおれ」


 頭の上からばさりとかぶせられて、ああ、兼継はまだ雪村のことを子供扱いしてるんだなーと可笑しくなる。

 そんな私を不思議そうに見返してきたので、私は笑いをこらえて説明した。


「いえ、子供の頃を思い出しました。冬に何も羽織らずに遊びに出ようとした私に、やっぱりこうしていただいたな、と」

「そんな事もあったな。まさか尼寺に行っていたとは思わなかったが」


 突然出た姫の話題にふと心が曇り、それを笑って誤魔化ごまかしたけれど、兼継殿には通用しなかったらしい。

 少し気遣きづかわしげな声音が、ぽつりと落ちる。


「信倖から文が届いていたそうだが、何かあったか?」

「いえ、特に何も。兼継殿から伺ったお話と同じ内容でした」


 私の返事に、兼継殿が微かに苦笑する。そして殊更ことさらに明るい声で話し出した。


「相変わらずお前は嘘が下手だな。それでは戦国の世は渡っていけまい、もっと上手くつけるようになれ」

「兼継殿が見透みすかしすぎなのです。それに私の世話役はとても真面目な方でしたから、嘘のつき方など教えてはくれませんでした」

「技は見て盗むものだぞ。私は嘘をつくのが上手いのだがな」

「上手すぎては盗みようがありませんよ」


 他愛たあいのない話をしているうちに、いつの間にか心が軽くなっていた。

 そうだ、つい楽しんでしまったけれど、いつまでもこんな事をしていては、本当に兼継殿が風邪をひく。

 羽織を返して、私は改めて向き直った。


「兼継殿、ありがとうございました」


 ぺこりと下げた頭を優しくで、あたかかくして寝ろ と、やっぱり子ども扱いな事を言って、兼継殿が戻っていく。


 何も聞かないでくれてありがとう

 兼継殿の後ろ姿に、私はもう一度だけ頭を下げた。

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