ポエムやら雰囲気小説やら(※注意!)

 って嗤うコメントを見る度に、六割がた傷つき、三割がたイラつき、一割がた冷めた目で見ていたガラスの思春期。

 出来る限り毒吐かないって決めてたのに3話で毒を吐きます。メンタル弱っている方はここで読むのをお止め下さい。

 テキトーにメンタル守れて聞き流せる方、お付き合いいただけたら幸いです。















 これ、自分の作品ではなくて、他人の作品で傷ついたりイラついたりするもんだから難儀なものです。しかも好きな作品だけじゃなくて、特に知らなかったり特に思い入れのないものでも思っちゃう。

 ネットでは自分の作品が、「ポエム」だの「雰囲気小説」だのと批評されることは殆どありませんでしたが。

 初めて小説の品評会に出した時、「~じゃないか」で喋るヒロインに対して、講師の、


「女がこんな男口調で話すのはおかしい」


 という言葉に傷つきました。だって、私の中ではちっともおかしくなかったからです。あと別に男口調とも思ってなかったので。

 講師に言われたのに、自己を曲げられないジレンマ。幼少期から「ガンコちゃん」と呼ばれていた私は、それを誇りに思う半分、自分を訂正できないのは人の言うことが聞けない、協調性がない、それは欠点だと思っていたので。


「こういうふうに言われたけど、変えた方がいっかなあ」

 と母に尋ねると、


「アンタがそう思うならそれが正解よ。変える必要ない」

 と言われてようやく、


「じゃあこのままで」

 って腹を括ることが出来ました。

 そしてその作品は、私の初受賞作品になりました。そこでだいたい吹っ切れた。要するに「我を通したもん勝ち」って思えるようになったわけですが。


 変な話、自分より他人が悪く言われる方が怒りが湧くのだから不思議なもの。



 ポエムやら雰囲気小説やらってコメントする人は、「中身がない」って嗤って批評するけれど。


 今の私は傷つくより、「それなんて自虐ギャグ?」と笑ってしまう。

 だって詩や具体的に描かれない物語は、あなたの物語があって初めて完成するのだから。中身がないのはあなただよ。

 詩や具体的に描かれない物語には、「余白」がある。それは技術ゆえの空白でもあれば、感情が先走って細部が疎かになったものもある。大概ネットにあるのは後者だけど。

 でもそれは、その分むき出しだ。だからわかる人にはわかる。

 感じた人は自分のこれまでと重ねる。コメントの数だけ物語ができる。それを読んで、「境遇は違うけど、わかる」と共感が共感を呼ぶ。

 熱のある空白だからこそ、書き足していきたいと思える。少なくとも私はそういう楽しみ方をしていて、それは私だけではないと思う。



「わかる人にはわかる」って言うと、

「自己満足だ、皆がわかるように書け」と反論する人もいる。

 多分、稚拙だ、技術が足りないと笑いたい人もいるんだろうけど。



 でも、「自分が納得出来る答えがない」って他人に怒る方が稚拙だし、

 技術がどうたらって主張する人の作品は、大体技術ないしーー私は技術にはうといし、技術を持たないとわからない技術もあるだろうけど、素人に分からないものばっかりってそれこそーーつまんない。

 技術って感情を自由に表現するツールなだけで、それを理由に人を批評する人は、その分作品では、


「凄いだろう、偉いだろう、ケチつけられないだろう」


 っていう虚栄心が真っ先に見えて、私ホントはそれ以上共感を持って読む気になれない。


 他人の目ばっかり気にしてて、まさに「自分がない」って感じだ。遊びがないし、書き足したいと思える空白もない。

 まあ、一から十まで説明されないと気が済まない、はっきりしてもらわないとわからない、なんて言う人は、

「この世には確かな答えがあるって信じてるんだなあ」って思うと、ちょっと可愛く見える。


 納得できないのであれば、自分で問い続ければいい。足りないと思うのなら自分の中で足していけばいい。

 自分で納得出来る答えを探すことは、それは間違いなく、自分の世界を豊かにする。

 生理的に受け付けられない、自分の流儀や正義に反する、っていう場合、コメントで物申したいというのであれば、それはコミュニケーションだと思う。

 私が読んだ人の流儀や正義に反していると言うのなら、ちゃんと向き合いたい。


 ……そのコメントに寄り添う返信が出来ないのは、ゴメンなさい。つい反論に反論を重ねてしまうです。トゲトゲと返信してますけど、喉元すぎたら「なんであたしあんなトゲトゲと返信しちゃったんだろ、意見違うだけで……」と一人反省会してます。多様性って難しい。



 私も「この表現は正義に反する」って思うものはパスするし、「昔は読めたけど今は無理」っていう文体やジャンルは色々ある。書き方のルールから離れてついていけないものも。

 でもそんなの気にせず、楽しんで、夢中になって読んだ時期もあった。その時、その人が書けるものがあるだろうし、楽しめるものがあると思う。その流動性や多様性が、一番やっかいで、一番楽しいものだと私は思う。


 真摯に怒るのではなく、わざわざ嘲笑してコメントに残すっていうのが、今でも結構イラつく。「花なんて喰えないだろ」って笑いながら花壇踏み荒らしてる感じだ。自分の価値じゃ測れないものは、「壊して何が悪いんだ?」って開き直ってる奴、一番嫌い。





 っていう話を憤慨しながら母にした時、母、


「まー、そういう人にあんたの感性をどれだけ言葉を尽くして説明しても聞く耳持たないだろうから、

『へーへー、で?(なんか文句あっか)』とでも言っときな」


 という有難い言葉。

「若い子は『へーへー、で?』って噛み付く気概がないのよ、いつも噛み付けとけばいいのに」という母と「それがいつも許されるほどあたしら自由じゃねーんだよ」と主張する私は、たまに分かり合えない時がある。

 そんな我が家の教訓は『諦めが肝心(特に他人に要求する時。なおこの他人は家族も含める)』。


 


 

 っていうかポエムを悪口にすんなや。

 ポエムを下に見るような発言し始めた人絶対許さん()

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