第43話 幸あれ


 再び、私の目覚めたこの場所へとやって来た。

 こじんまりとした、でも個人で所有するには立派だと言える家。

 ソレを見上げながら、玄関に飾られた看板を見つめた。


 「蒼碧の……小物屋」


 「はい。 しかしこの場所は過去の王族も眠る場所、あまり長居する事は出来ません……」


 「分かりました、すぐに済ませます」


 兵士さんから許可を貰ってから、室内へと入る。

 視界に映るのは、まるで誰かが今でも住んでいるのではないかという程、生活感に溢れた光景。

 大きなテーブルに、作業台。

 幾つもの椅子が並んでいる。

 随分と大家族だった様だ。

 そんな感想を残しながらも無意識に手を伸ばし、テーブルをなぞる。


 『――さん! 見て下さい! コレ凄く上手くいったんですよ!』


 誰かの声が、聞こえた気がした。

 そのまま一番奥の席に腰を下ろせば、何となくホッと息をついてしまうほど落ち着いた感情が胸を満たした。


 『――様、如何でしょう? 今度はちょっと太っちょにしてみました。 これくらいでも可愛いと思うんですよ』


 『店長、もうちょっと待ってくださいね? もう少しでこっちの陣が描き終わるので』


 両隣の席から、懐かしい声が聞こえた気がした。

 そして、部屋の隅に視線を向けてみれば。

 何故だろう、ちょっとだけ呆れた様な笑みが浮かんだ。


 『――。 どうした?』


 「ううん、何でもない」


 思わず声を上げ、返事をしてしまった。

 私は、この場所を知っている。

 思い出せないけど、とても大事な場所だったはずだ。

 今では国が管理する土地となって、容易には踏み込めないそうだけど。


 「お茶が飲みたい……なんでだろう。 あまり喉は乾いてない筈なのに」


 『どうぞ、魔女様』


 『――! 今日は俺が淹れたの! 飲んでみて!』


 「ありがと……二人共」


 ポツリと呟きながら虚空に手を伸ばし、スッと下ろす。

 私は、今何を受け取ろうとしたのだろう。

 ふぅと息を吐いてから席を立ち、階段を上っていく。

 そして正面の扉を開いてみれば、少し大きなベッドが一つ。

 両サイドには本棚が並んでいた。

 部屋の真ん中には、丸テーブルと椅子が一対。


 『――、寝よー? 今日も本よむのー?』


 ベッドに腰かけ、枕元を撫でる。

 暖かい。

 ココは、全部が暖かい。

 そう感じるのに、何も思い出せない。

 声が聞えて来そうなほど、耳に、肌に、心に残っているのに。

 それが何だったのか。

 それが誰だったのか。

 過去の私がどうだったのか。

 全て、思い出せないんだ。


 「そうだ……花壇と、リンゴ」


 自分でも訳の分からない事を呟いて、私は寝室を後にした。

 そのまま階段を駆けおり、玄関を開く。


 「もう、よろしいですか?」


 「ごめんなさい。 もう少し、待ってください」


 玄関から飛び出して来た私に驚きながらも、兵士さんが声を上げる。

 でもすぐさま言葉を返して、私は家をグルッと回る様に走り出した。

 家の脇に設置された、一番日の当たる場所。

 そこには、やっぱり花壇があった。


 『――ちゃん、どう~? 結構凄いでしょう? 私にはコレくらいしか出来ないからねぇ~』


 満開の白いアジサイが、綺麗に咲き誇っていた。

 その別名を“アナベル”。


 「うぐっ!」


 ガリッ! と、頭の中にノイズが響いた。


 『名前を決めておきたまえよ、[   ]。 次に目覚めた時、その名前は既に失われている事だろう。 だから今決めよう、君は……誰だい?』


 頭に浮かぶその声記憶に、私は答えた。

 昔、答えた事があった筈だ。


 「私は、“アナベル”。 アナベル・クロムウェル。 何の特徴も持たない、ただの魔女……」


 そう答えてみれば、頭痛とノイズが止んだ。

 なんだったのだろうか。

 軽く頭を振りながら、今度は裏庭に向かって足を運ぶ。

 確かこの先に。


 「あっ……」


 そこには、見覚えのない光景が広がっていた。

 そもそも記憶が無いのだ。

 見覚えなんかある訳がないんだが、それでも。


 「リンゴの木……それに」


 大きなリンゴの木の下に、いくつもの墓標が並んでいた。

 近づいてみれば、ポトッと一つのリンゴが落ちて来た。

 柔らかい草の上に、“おかえり”とでも言うみたいに。

 それを拾い上げてから、墓標を覗き込んでみた。


 アスティ・ウッド・グェール。

 シリア・ウッド・グェール。

 ――年、ここに眠る。


 アスティ、シリア……。

 一緒のお墓に入る位だ、きっと最期まで仲良くやっていたのだろう。

 なんでかな? 覚えていないのに、そんな想いが溢れて来た。


 アリエル・ディーズ・エル・イージス。

 ――年、ここに眠る。


 さっきも聞いた名前だ。

 本当に可愛いお姫様の、アリエル……。

 あの子の事だ、きっと立派な王族になったのだろう。


 プリエラ。

 ――年、ここに眠る。


 プリエラ……。

 貴女はきっと最期まで笑っていた気がする。

 口元を上げるくらいの微笑みで、静かに皆の事を見送ったのだろう。


 テリーブ・ルーター。

 別名“ブルー”。

 ――年、ここに眠る。


 ブルー……。

 本当にお疲れ様、見なくても分かるよ。

 頑張ってくれたんだね。

 思わず、そんな事を考えてしまった。


 ヘキ。

 ――年、ここに眠る。


 ヘキ……貴方が一番長く待っていてくれたんだね。

 ありがとう、ごめんね。

 間に合わなかったみたい。

 そして、最後に。


 アサギ。

 ――年、母と共にここに眠る。


 アサギ……一緒に居るって約束した、そんな気がする。

 だというのに。


 「ごめん……ごめんね皆」


 今では、顔も思い出せない。

 なのに、涙が溢れて来た。

 いくら目元を擦っても止まらないくらいに、ボロボロと零れて来るんだ。


 「ごめん、ごめんなさい。 こんなに悲しいのに、こんなに苦しいのに。 私、皆の事が思い出せないの……」


 笑っていた、皆で。

 そんな気はするのに、皆の事がわからないのだ。


 「なんで……なんでっ! 私は誰なの!? どこから来たの!?」


 私はアナベル・クロムウェル。

 ただの魔女。

 分かっている、分かっているのに。

 その事実が飲み込めなかった。

 思わず頭を掻きむしりながら、泣き叫んだ。

 思い出したい、皆の事を。

 大切な存在だった筈なのに、思い出せない。

 こんなの、こんなのって……。


 「あぁぁぁぁ!」


 押し殺せない感情に任せて、王様から貰ったバッグを地面に叩きつけた。

 すると。


 「……なに?」


 口が開いたバッグからは、数多くの物品が溢れ出して来た。

 “マジックバッグ”。

 見た目に反して、数多くの物が収納できる付与の付いた鞄。

 それは分かる。

 分かるが、出て来た物品の数々に目を疑った。


 「……コレって」


 王様から貰ったお金や大量の携帯食料の他に、多くの服やぬいぐるみが出て来た。

 そしてアクセサリーや、杖などの物品。

 更には、いくつもの手紙。

 這いつくばる勢いでその内の一つを開いてみれば。


 これを読んでいる頃には、私はもう生きては居ないだろう。

 うん、一度で良いからコレを書いてみたかった。

 まぁそれは良いか。

 アオ……アナベル殿。

 覚えてはいないかもしれないが、君が初めて会った王様だよ。

 あぁそれから、娘から色々と聞いているからね。

 無理に思い出そうとしないでくれ。

 私の手紙なんて、読み流すくらいで丁度良い。

 まぁ、なんだ。

 こんなに気安い雰囲気の手紙を書くのは随分と久しぶりだよ。

 それは良いとして、とりあえず、だ。

 最初に、すまなかったと言わせてくれ。

 私の勝手な行動で、君の全てを奪ってしまったのかもしれない。

 そこだけは謝らせてくれ。

 しかし、この世界を好きだと言ってくれた君に、心からの感謝を。

 書きたい事は沢山あるが、全てを書いていたら辞書の様になってしまいそうだ。

 だから、端的に述べようと思う。

 ありがとう。

 私の国に来てくれたのが、“君”で良かった。

 これから、辛い事も多くあるだろう。

 しかし、君なら大丈夫だ。

 なんでか、そんな気がして仕方ないのだ。

 だから、私からは応援の言葉を送ろう。

 頑張れ、アナベル殿。

 前を向け、生きていくために。

 必ず、幸せになれ。

 これは、王命である。

 なんてな。


 二つ目を開けてみれば、そこには数多くの涙の跡が残っていた。

 それこそ紙がしわくちゃになるくらいに、多くの涙の跡が。


 ごめんなさい、そしてありがとう。

 貴女のお陰で、とても……とても楽しかった。

 娘と息子を、色んな意味で育ててくれてありがとう。

 楽しい記憶を、ありがとう。

 私が育てた花の名を、受け継いでくれて、ありがとう。

 アナベル。

 貴女の幸せを、心から願っています。

 何もしてあげられなかった、愚かな王妃より。


 もう、意味が分からない。

 この人達が何を言っているのかわからないのに、苦しいくらいに涙が溢れて来る。

 嗚咽が零れ、息が苦しい。

 なんで、なんで思い出せない。

 こんなにも、“大好きだ”という感情が湧いて来るのに。

 なんで私は思い出せない。

 グズグズと鼻をすすりながら、どんどんと手紙を開いた。


 俺は手紙を書くのが苦手だ。

 だから端的に済ませようと思う。

 お前を愛していた。

 先に逝く、お前はずっと後に来い。

 分かったな?

 また会えた時には、一緒に酒を飲もう。

 アスティより。


 アナベル様、シリアです。

 夫がこの調子ですから、私ばかり長々と綴ってもおかしくなってしまいますからね。

 こちらも短めに済ませようと思います。

 貴女が、大好きでした。

 憧れでした、目標でした。

 それくらいに、お慕いしております。

 私の大好きな、いつだって皆を守ってくれる優しい魔女様へ。

 幸せになって下さいませ。

 貴女なら、きっと周りが放っておきませんから。

 幸あれ、その言葉を送らせて頂きます。

 シリアより。


 「あぁぁぁ、うあぁぁ……」


 嗚咽ばかりが漏れ、水分が無くなるんじゃないかってくらいに涙を溢した。

 私は、全部を失ってしまったのか?

 そんな風に思える程の喪失感が襲ってくる。

 今すぐ舌を噛み切って、皆の後を追う方が幸せなんじゃないか?

 なんて馬鹿な想いを浮かべるくらいに、絶望している時だった。

 何かが、頭の上に落ちて来た。


 「……痛い」


 後頭部を擦りながら、落ちて来たものに視線を向けてみれば。


 「また、リンゴ」


 二つ目のソレが、さっきよりも良い勢いで落ちて来た様だ。

 ふざけた事考えてんじゃねぇと言わんばかりに。

 何だお前は、おいコラリンゴの木。

 お前はトレントか何かに進化でもしたのか?

 はぁ……とため息をこぼしながら、再び手紙に向き直る。

 全部読み終わってからでも、遅くないか。

 なんて事を考えながら、私は次の手紙を開くのであった。

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