第41話 貴女に、もう一度


 「アサギ、ご飯にしよう」


 「……ん」


 「ちゃんと食べろ、アオイからの教えだろう?」


 「……食べる」


 のろのろと起き上がるアサギは、今まで以上にボーッとしている。

 喋る魔獣、人に飼われるという異例の存在。

 何処までも特別なコイツは、何処までも主人の事を愛しているただの“猫”だった。


 「今日はプリエラも作ってくれた。 だから、多分俺が作る物よりも旨いはずだ」


 「アオイのご飯が食べたい……」


 「すまない、それは無理だ」


 地下室に眠るアオイの氷塊。

 そこに、アサギはずっと滞在した。

 それこそ、彼女の目覚めを待つみたいに。

 そんなアサギを抱き上げてみれば。


 「大きくなったな、アサギ」


 「ヘキも、おっきくなった。 でも、アオイだけ変わらない。 ちょっとしか変わってない」


 一抱えもありそうなアサギから、そんな言葉を頂いてしまった。

 どこまでも純粋で、真っすぐな言葉。

 それがズキリと胸に響く。

 俺達だけ、成長していく。

 氷の中で眠る彼女は、俺達の家族は。

 いつまでも“あの時”のまま。

 髪が伸びたり、少しだけ体型が変わったりするものの、“歳”を取った様子はない。


 「アオイが……いや、アナベルか? 俺たちの家族が目覚めた時。 思いっ切り金を使おうぜ。 今まで稼いだ金を全部使う勢いで、思いっきりパーティーしよう。 皆も呼んで、友達も皆集めて。 この寝坊助に、おかえりっていってやろうぜ。 そんで、最後に怒られるんだ。 こんなにお金使って、何やってるんだって。 そんでもって、俺らは必死に言い訳しながらさ、ペコペコ頭を下げるんだ。 な? いつも通りだろう?」


 そんな事を言いながら、腕に抱いたアサギを揺すってみれば。


 「な、アサギ。 そうだよな? それが俺達だ。 いつでも怒られてさ、そんで謝って。 何か出来る度に褒められて。 それが俺達なんだよ。 な? だからさ、一緒に怒られようぜ? 一緒に褒められようぜ? なぁ、アサギ。 なんだよ、なんでそんなに大人しくなっちまったんだよアサギ。 お前魔獣だろ? 怖い怖い魔獣なんだろ? だったらさ、もっと一緒に居てくれよ。 な? アサギ、な? 頼むよぉぉ……アサギぃ……」


 今、小さなその命が。

 俺の腕の中で灯を消した。

 年老いた俺の腕の中で、ずっと一緒に生きて来たアサギが。

 共に彼女を待ってくれる存在が、“また”一人減った。


 「一緒に“おかえり”って言うんだろ?  一緒に待ってたよって、“ありがとう”って言うんだろう? なのに、なんで先に逝っちまうんだよ……なぁ、アサギぃぃ。 頼むよ、お前魔獣だろ? 俺らより長生きしてくれよぉ……うあぁぁぁぁ!」


 小さなその命を抱えながら、俺は叫んだ。

 待ち人の前で。

 俺みたいな罪人が先に逝ってしまうなら分かる。

 でも、なんでコイツらなんだ。

 何故、俺みたいなのばかり生き残るんだ。


 「ヘキ」


 随分と弱々しい声が、背後から響いた。


 「その子も、逝ったのかい?」


 「あぁ、アサギも、逝っちまった……」


 「ずっと魔力を吸い上げられていたからね……言っても、離れないから。 全く、仕方のない子だ」


 振り返ってみれば、杖を突かないと歩けない程の老婆。

 プリエラだ。

 彼女は、あの日から“糸”を使う事をやめた。

 戦闘面では決定的なマイナスだったとしても。

 彼女は、殺す為の“糸”を手放した。

 もう、“道化の魔女”は居ないのだ。

 ここには、アオイの目覚めを待つ年寄りが二人いるだけだ。

 他の皆は、裏庭で眠っている。


 「私達も、そろそろかもねぇ」


 「縁起でもねぇ事言うんじゃねぇよ、俺は待つぞ。 アオイの目が覚めるその時まで」


 「ハハッ、強くなったね。 ヘキ」


 そんな事を言いながら、彼女は床にアサギ専用の器を置いた。


 「ゴメンね、もうちょっと早く作れば食べられたのにね。 ごめんね、アサギ……ごめんね?」


 アサギは、アオイの料理が好きだった。

 プリエラや俺の作った料理は、食べてはくれるが昔みたいにガツガツ食べる真似はしない。

 だから、俺達の料理でもアサギが好んでくれる物を探したんだ。

 今日はシチュー。

 アサギが、“アオイの作ったのに似てる”って言って、いっぱい食べてくれた物だった。

 だから、二人でいっぱい作ったのに。

 どうすんだよアサギ、余っちまうよ。

 なぁ、お前も食ってくれよ。


 「アサギ、なぁ……お前は幸せだったか? 待ってばかりの人生だったけど、ちゃんと幸せだったか?」


 腕に抱いたアサギは、俺らを置いて行った“魔女様の飼いネコ”は。

 随分と柔らかい微笑みを浮かべていたのであった。


 ――――


 おかあさんと一緒に眠る事が好きだった。

 柔らかくて、暖かくて。

 自分よりもずっと大きなお母さんに包まれて眠る事が幸せだった。

 でもある日突然、暖かい日常が変わった。

 冷たい床、硬い鉄格子。

 それしかない風景の中で、[  ]は生きていた。

 でもお母さんが居るから平気。

 一緒に居れば、幸せ。

 そんな事を思いながら、生きて来た。

 でも、お母さんは辛かったみたいだ。

 鉄格子を破り、[  ]を口に咥えて走り出した。

 痛い匂いがする、苦しい気配がする。

 全部が怖くて、周りに見える明るい光が怖くて。

 必死にお母さんを呼んだ。

 でも、たどり着いたのは暗い世界。

 月明りで僅かに見えるその世界は、随分と薄気味悪く思えた。


 「お母さん」


 「――――」


 [  ]の声は、仲間に届かない。

 何で? [  ]はお母さんから生まれたはずなのに、なんで[  ]だけ言葉が違うの?

 それでも、馴染もうとした。

 どうにか一緒に居られる様に努力しようと思った。

 でも、分からないんだ。

 お母さんの言葉が。

 そんな時、“人間”が現れて何かを喋っていた。

 だから、必死で叫んだのだ。

 来るなと、母に近寄るなと。

 人間は敵だ、怖い存在だ。

 そう思って威嚇を続けていると。


 「え?」


 目の前に、ご飯が降って来た。

 今まで食べていた物よりも、ずっとずっと美味しそうな匂い。

 思わず母に視線を向けていれば、優しい眼差しを向けられた。

 だから、齧り付いた。

 美味しい、旨い。

 ガジガジと噛みつくほどに、口の中に“美味しい”が広がっていく。

 夢中になってお肉に噛みついていれば、すぐ近くに水があった。


 「飲んで良いの?」


 「――」


 言葉は通じないが、母の顔で分かる。

 すぐさまガブガブと水を飲み始めた。

 ずっと、空腹だったのだ。

 ずっと、喉が乾いていたのだ。

 ソレを満たす為に、ひたすらに、貪る様に目の前の“美味しい”に夢中になった。

 そして、ふと気づいたんだ。

 全部食べちゃったら、飲んじゃったら。

 お母さんの分がない。

 そう思って、顔を上げてみれば。


 「……」


 お母さんが眠っていた。

 怖いはずの、人間の膝の上で。

 とても幸せそうに、満足そうに。

 どうして? なんで?

 いくら母を揺すってみても、その答えは返ってこなかった。

 代わりに、人間がひたすらに声を紡いでくるんだ。

 “ごめんね”と。

 最初は何を言っているのか、良く分からなかった。

 ただひたすらに[  ]とお母さんを抱きしめる人間が、不思議だった。

 でも、この人間は。


 「凄く綺麗な瞳の仔猫さん? その瞳から取って、浅葱って名前にしようか。 そう、[浅葱]。 君の瞳の色だよ」


 この日、初めて名前を貰った。

 アサギに分かる言葉で、アサギを呼んでくれる為の名前をくれた。


 「よろしくね、浅葱。 これから、私達は家族だ」


 優しく微笑みながら、“アオイ”は頭を撫でてくれた。

 とても柔らかくて、暖かい。

 美味しいご飯もくれて、いつだって側に居てくれる。

 それが『アオイ』だった。

 悪い事をすれば叱って来て、アオイの言う事をちゃんと出来ればいっぱい褒めてくれて。

 いつでも一緒にご飯を食べて、寂しい時は抱きしめてくれて。

 “お母さん”を思い出したときは、絶対に側に居てくれて。『大丈夫だよ』って言ってくれる。

 その言葉に、アオイの子守歌に、いつも救われていたのだ。


 「ねぇ、アオイ」


 氷塊の中に静かに眠る彼女に、毎日問いかける。


 「寒くない? 平気?」


 そんな言葉を投げかけながら、アオイの入った氷塊に身を寄せる。

 この氷を溶かす事は出来ないけれど。

 せめて、身を寄せた体温だけでも彼女に届けば良いと願って。


 「大丈夫だよ、アオイの傍にずっと居るから。 アサギはアオイの家族だからな、ずっと側に居る。 アサギが側に居ると暖かいって、いつも言ってた。 だから、側に居る。 ちゃんと溶かすから、おはようしよう。 待ってる」


 きっと、暖めれば溶ける筈だ。

 アオイが言ってた。

 氷は温かいと一緒にすると、すぐ溶けちゃうって。

 だから、くっ付いていればすぐ溶ける筈だ。

 アサギはあったかいからな。

 くっ付いていれば、すぐアオイも出て来る。

 だから、ずっとくっ付いているからな。

 おかえりって、一番に言うんだからな?

 いっぱい時間が経ったから、ちょっと大きくなったけど。

 また抱っこしてくれるよね? アオイ。


 「アオイ……おか、えり……」


 「すまない、アサギ。 本当にすまない……最後にお前を抱いてやるのが、アオイじゃなくて。 ごめんよ、本当にごめんよ」


 暖かい雨が、アサギの顔に触れた気がしたんだ。

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