第29話 【クリスマスイブ】病院オフ

 詩楽のいる個室に戻る。

 穏やかな寝顔を眺めているうちに、まぶたが重くなってきて――。


 脳が半覚醒状態のときに、人肌の温もりを後頭部に感じて。


「ううんぅっ❤」


 あまりの心地よさに変な声が漏れてしまった。

 すると。


「甘音ちゃん、朝からごちそうさま」


 一気に目が覚めた。

 窓に目を向ける。窓に淡い朝陽が射し込んでいた。


「僕、寝ちゃったんだ……」


 よりによって、上半身をベッドの方に倒し、詩楽のお腹に頬を乗せている。


「ごめん、重かったでしょ」

「ううん、甘音ちゃんと触れ合ったし、友情回復量アップしたはず」


 詩楽はクスリと笑う。顔色は普段どおりだった。


「調子は、どう?」

「体温を確かめて」

「おでこでいい?」


 僕が手を詩楽の頭に近づけると。


「病人なんだし、ハグして」

「そうだな」


 理屈的にはメチャクチャだけれど、甘やかしたい。僕的にもラッキーだし。

 詩楽が上半身を起こすと、僕は抱きついた。

 彼女の体温と鼓動を感じる。


「すっかり元気だね」

 

 熱問題なさそうで、安心したが――。


「そう? あたし、変じゃない?」


 ウソをついても、気休めにもならない。


「うーん、少し声がかすれてるかな」

「……喉は痛くないんだけどね」

「歌の練習をがんばってるから、喉が疲れたのかも」

「そうね」

「あんまりしゃべらない方がいいかも」


 詩楽はコクリとうなずく。


「あと、抱き合ってるの看護師さんに見られたらマズいから」


 詩楽は名残惜しげに僕の肩を押す。

 彼女がいじらしくて、僕は彼女の手を握った。もちろん、指を絡ませる恋人つなぎだ。


 1分もしないうちに、看護師さんが朝食を持ってきた。ギリセーフだった。


 朝食を終える。

 ふたたび、看護師さんが来て、検査があると告げる。詩楽が病室を出ていく。

 個室に取り残された僕は、美咲さんに電話する。


『お兄ちゃん、おはよう。病院はどうかにゃ?』

「ご迷惑をかけて、すいません」

『お兄ちゃんが謝ることないよぉ。おかげで、らぶちゃんも終業式をサボってるにゃ。教師公認でね』


 今日はクリスマスイブ。学校は終業式だった。


「それより、詩楽の体調ですが」


 問題なければ昼にも退院できることにくわえて、喉の件も報告する。


『爆乳お嬢様が手配した病院だよね?』

「え、ええ」

『そこの病院。喉の専門医がいるにゃ。理事長のコネを使ってみる』


 理事長のコネもすごいけど、美咲さんも行動力がある。


『とりま、ライブまでは歌と配信は禁止にゃ』

「僕から伝えておきます」

『んなことより、ユメパイセンについててあげてねぇ。にゃは』


 会社的にはあまり良くない話をしているのに、なぜか楽しそう。

 変に怒られたり、落ち込まれたりするよりはマシだけど。


『ユメパイセンには悪いことしちゃったし、お兄ちゃんを独占する権利をあげるにゃ』

「悪いこと?」

『えっ、えーと。らぶちゃん、お兄ちゃんに抱きついてるでしょ?』


(自覚あったんですね⁉)

 断れない僕も悪いんだけど。


『にゃ。ライブが終わったら、らぶちゃんがお兄ちゃんを攻略するから、覚悟しといてねぇ』

「反省してます?」

『冗談、冗談。お兄ちゃん、本気になったぁ、にゃは』


 やはり、小悪魔だった。


 それから、しばらくして電話を切る。


 やることがなくなった。

 スマホでワイチューブでも見よう。

 夢中で見入っていたら、肩を叩かれた。


 詩楽だった。検査が終わったらしい。

 スマホに文字を打って、僕に画面を見せてくる。


『先生に呼ばれた。甘音ちゃんも話を聞いて』


 妙な胸騒ぎに襲われた。


 詩楽と一緒に耳鼻咽喉科の診察室に入る。

 40代前半ぐらいの医者が気難しい顔をしていた。


「付き添いの人ですね」

「ええ」


 わざわざ僕を呼んだわけで。

 本気で不安になる。


「物理的異常は見られませんでした」


 胸をなで下ろす。


「ですが、数日後にライブができるかどうかは不明です」

「どういうことですか?」


 医者は喉の図を用意して、専門用語も交えて丁寧に説明してくれた。

 わかりやすいのだが、いまいちピンと来ない。


「納得してないようですね。なら、彼女に歌ってもらった方がいいでしょう」


 詩楽が小声で歌い出す。

 歌枠配信でもたびたび歌う、彼女の得意なアニソンだ。


 声はかすれていて、音程も狂っている。なによりも声に張りがない。

 素人のカラオケの方がマシだった。


「おっしゃることがわかりました」

「最近、ワイチューバーの患者さんも見ているんですよね。配信のしすぎで、喉を壊している方もよく来られます」

「そうなんですね」

「だいたいは数日の間、配信を休めば回復します。どうしても休めない人には、薬を出しますけどね」

「よかったです」

「安心するのは早いですよ。その人たちは物理的な異常があって、対処法が明確だから、手が打てたんです」


 背筋が寒くなった。


「彼女の場合は喉には異常がない。おそらく、ストレスが原因でしょう」

「……」

「気休めで薬も出せますが、効果は薄いと思われます」


 ライブに間に合うか不明と言ったのも、理解できた。


「上と相談してみます。ありがとうございました」


 それだけ言うと、ふたりで診察室を出る。

 病室まで無言で歩いた。

 個室に戻るやいなや。


「あたし、やっぱダメな子なんだね」


 琥珀色の瞳に涙が浮かぶ。


「せっかく、ワンマンライブのチャンスをもらったのに……バカだから台なしにして」


 胸が痛くなった。

 彼女のがんばりを知っているのもあるけれど。


「いまの詩楽、昔の僕みたい」


 俳優の道を勝手に諦めたときの僕に、そっくりだ。


「僕が声変わりしないの、ストレスが原因なんだよね」


 体は成長しているのに、中3になっても声変わりしない。

 病院に行く。

 まずは、ホルモンの異常を疑われた。検査をした。異常なし。

 いろいろ調べた結果、僕の変声障害はストレスによるものと診断された。


 体はがっしりなのに、女性のアニメ声。


 僕が弱いから声変わりしない。そんな人間が、俳優なんて厳しい世界で生きられるはずがない。そう思い込んだ。


 どんなに努力しても正統派の俳優になれないと思った僕は、俳優を引退した。

 事務所をクビになったわけでもない。自分で一方的に見切ったのだ。


 僕のケースを語る。

 数分にわたり、詩楽は考え込んだ後。


「あたし、永遠にカスカスな声なのかな」

「……僕の変声障害と、詩楽の件は関係ないよ」


 医者でもないのに、僕は言い切った。

 少しでも詩楽の気が楽になるように、笑顔を作る。


 しかし、なんの解決にもなってないどころか。

 僕の件を持ち出したせいで、余計な不安を与えてしまった。


(バカだな、僕は……)


「ごめんな。見守り役失格で」


 自嘲的な笑みがこぼれる。

 すると。


「責めないで。あたし、甘音ちゃんに救われてるから」


 詩楽が僕の後頭部に手を回し、自分の方へ抱き寄せてくる。

 両頬に母性を感じる。トクントクン。穏やかな心音が鼓膜を撫でた。


 自分を責めるべきじゃなかった。

 聞かされる方は心配になると思い知ってるはずなのに。


「ありがと、もう大丈夫だから」


 落ち着いたので、詩楽から離れたところ。


「えっ、ウソ」


 彼女は真っ青な顔をしていた。


「どうしたの?」

「甘音ちゃん、声が変だよ」

「えっ?」


 はからずも、自分の声が異変を証明していた。

 声がかすれているというか、しゃがれているというか。


「……甘音ちゃん、アニメ声じゃない」


 頭をかち割られたようだった。

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