第27話 コーヒーとチョコ
深夜の病院にて。
僕は詩楽の寝顔をじっと見つめていた。
(詩楽、ごめんな。配信に夢中で気づかなくて)
詩楽が倒れているのを発見した僕は、すぐに
幸い、理事長は下の階にある学院で仕事中だった。
僕たちの部屋に駆けつけるやいなや、知り合いの医者に判断を仰ぐ。救急車の必要なしとのことで、理事長の車で病院に運んだのだ。
案の定、過労と診断された。なにもなければ、明日には退院できるらしい。
大事にならなくて、安心しつつも。
過労だったのがショックで、落ち着かない。
「猪熊さん」
「……」
「わたくし、コーヒーを飲みたくなりましたわ。お付き合いくださいませんか?」
理事長のおかげで、僕は冷静になった。
「はい」
病室を出る。理事長に案内されるまま暗い病院内を歩く。
23時近い。広い院内には、夜勤の看護師ぐらいしか人の姿がなかった。
寂しい通路をすぎ、1階へ。コンビニや美容院があった。
コンビニは24時間営業らしく、電気がついている。白衣の人たちが買い物をしていた。
「温かいコーヒーでよろしいかしら?」
「あっ、はい」
理事長はチョコを手に持ち、レジへ。
店員がカップをふたつ渡してきたので、僕が受け取る。
コーヒーマシンにカップをセットし、コーヒーを注ぐ。2回分を待つのも、もどかしかった。
理事長に先導され、近くの休憩スペースに行く。
理事長は電気をつけると、4人がけの丸テーブルに座った。僕も正面に腰を下ろす。
「今夜は長くなりそうですから、チョコとコーヒーをお食べくださいな」
「お金は――」
「もちろん、おごりですわ」
「ありがとうございます」
相手は大人のお金持ち。遠慮は失礼だと思って、素直におごってもらう。
ブラックコーヒーは好きなのに、やたら苦く感じられた。
慌てて、チョコを口に含む。
砂糖とストロベリーの甘さが脳に染みる。
頭がぐちゃぐちゃになって。
「……僕、詩楽の見守り係なのに」
つい弱音を吐いてしまった。
「猪熊さん。たまには、大人に甘えなさいな」
包容力たっぷりな声。優しさと、たくましさが両立している。
僕には逆立ちしても表現できない。
若くして学校経営の道にたずさわる人だからこその声だった。
「僕、詩楽に無理させちゃって……最低ですね」
安心して、我慢していた思いをぶつける。
「料理に気をつけたり、気分転換に付き合ったり。できるだけフォローしたつもりだったんですけど、疲れてるのに気づけなくて、情けないです」
「猪熊さんはご自分を責めてるんですね」
理事長が僕の気持ちを代弁してくれる。
信頼できる第三者の口から僕の本音が出ることで、僕は自分を客観視できた。
「僕、理事長に任されていたのに、すいません」
「猪熊さんが謝る必要はありませんわ」
「えっ?」
「すべては、わたくしたち大人の責任ですの」
理事長はため息を吐く。テーブルの上に置かれた、豊かな双丘もつられて動いた。
「リアルの学校でしたら、先生が生徒の顔色を見て、生徒の様子を観察できますのに」
「ええ」
「顔色が悪い生徒がいたら、声をかけられますし、保健室もあります」
「……」
「もちろん、VRでも工夫はしていますわ。たとえば、表情を読み取って、アバターに反映してますの。ですが、現代の技術では、単純な表情しか再現できません。顔色が悪いまでは無理ですわ」
目を見開くとか、口を尖らせるとか、微笑むとか。わかりやすい形で態度に出さないとVRでは表現できないのだ。
「せめて、佐藤先生がスタジオに立ち会えていればよかったのですが。年末は教師の仕事も忙しく、申し訳ありませんわ」
「仕方ないですよ」
そもそも、学校の先生がVTuber事務所のスタッフも兼ねている。その問題もあるかもしれない。
けれど、僕が言うのは越権行為だ。
「詩楽のことなので、技術スタッフや、歌やダンスの先生の前では無理したのでしょうね」
つい苦笑いがこぼれた。
「ごめんなさいね。わたくしの方が愚痴を吐いてしまいまして」
理事長のおかげで、僕が冷静になれたわけで。
僕のために、わざと弱音を漏らしたかもしれない。
「わたくし、猪熊さんには感謝していましてよ」
「へっ?」
「だって、最近のあの子は本当に楽しそうですから」
理事長はうつむくと。
「わたくしの力では、あの子を笑顔にできませんでしたもの」
やるせなさげに唇を噛む。
さっきまでとは異なり、本気でもどかしげだった。
理事長の変化に戸惑うとともに、僕は以前からの疑問を思い出していた。
詩楽と出会った翌日。理事長は出張先から朝一で僕の家にかけつけている。
当時は、仕事上の理由だと思っていた。
萌黄あかつきさんはウルチャの収入もVTuberとしてはトップレベル。トラブルが起きたら、運営の信用問題になりかねない。
トップ自らが動いたとしても、不思議ではないと思っていた。
ところが、今の理事長の表情を見ていると、仕事相手を心配するようには感じられず。
まるで――。
(踏み込んでしまおうか?)
理事長と詩楽の関係に。
本来なら、プライバシーもある。放置した方がいいだろう。
けれど、詩楽が倒れ、ふたりで詩楽の身を案じている。
詩楽を支えるためにも、理事長と本音で話したい。
もちろん、ただで他人の事情に関わるつもりもない。
詩楽との交際を明かす覚悟もある。
僕が罰せられても、彼女を助けられるなら本望だ。
僕はコーヒーを口に含むと。
「理事長、詩楽とどういう関係なんですか?」
勇気を出して聞いてみた。
すると――。
「猪熊さんなら、問題ありませんわね」
理事長は居住まいを正して。
「わたしにとって、あの子は妹みたいなものですの」
遠くを見つめる瞳には、優しさと悔しさが混じっているようだった。
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