第23話 それを、何と呼ぶか



(子供の時以来なんじゃないかな……)



 私は赤ん坊のころから随分とおとなしかったらしい。あまり泣かないが、笑うこともない。心配した両親が視力や聴力の検査をしても正常。ただただ、おとなしい子供。

 そんな私が子供らしく癇癪を起したのは、好きなおやつを食べようとしてひっくり返した時だったという。私はその時初めて超能力を使った。もしかすると、その時に目覚めたのかもしれない。泣きながら家の中をめちゃめちゃにし、新しいおやつを出すまでそれが続いたらしい。

 丁度、今のように。部屋中の物を浮かべてあらゆるものを壊したのだろう。……そんな子供を両親は良く育てたなと改めて思う。



(どうしよう、抑え方が分からない)



 頭の一部では冷静に考えているものの、私の中に渦巻く感情が念動力の暴走を引き起こし、止まらない。心のなだめ方も分からない。

 セァニウスは酷い人間だ。どれほどユーリが傷ついたか、彼の感情がどれほど痛いか、知らない。想像したこともない。ただ、自分の邪魔になるから消そうとしただけ。道端の小石でも蹴るようにユーリの存在を消そうとした。それを思うと心に煮え湯でも注がれたような気分になる。



「な、なんだこれは…!? 魔法は使えないはずだぞ!?」



 セァニウスの意思によると、彼は火龍の宝玉を使って作られた魔法妨害の魔道具を持っている。暗殺を恐れる彼はそれを常に持ち歩いていて、常に自分以外の人間が近くで魔法を使えないようにしているようだ。自分が暗殺をくわだてるような人間だから他人もそうだと思って恐れるのだろう。あさましいことだ。

 けれど私の力は魔法ではないから魔道具では止められない。そして今、私自身にも止められない。

 浮かび上がるベッドや机の柱部分がぶつかって割れた木片や石の破片、袋に詰められていた金貨などが勢いよく飛びかって、そのうちの一つがセァニウスの頬を削った。このままでは危険だ。国王を殺害してしまう可能性すらある。でも、自分の抑え方が分からない。


 だって、どうしようもなく腹立たしい。何故こんなに気分が悪いのか。何故セァニウスという出会ったばかりの人間に対してこんなに強い感情を抱くのか。私は彼に興味などないはずなのに。早くこの力を止めないと、私はこの人を――。



『ハルカ。私のために怒らなくていい』



 漂うセァニウスの恐怖と混乱の意思とは違い、私に向けられたユーリの意思。彼に目を向けると少し困ったように、でもどことなく嬉しそうな顔で笑っていた。



『私のために怒ってくれてありがとう。でも、私は大丈夫だ。だから君が、人を傷つける必要なんてない』



 私を想う温かい感情が流れてくる。でも、少しだけ焦っている。彼を焦らせているのは私であって実兄の酷い言葉については全く何とも思っていないのが分かった。それが理解できた途端私もすとんと落ち着いて、暴走していた力も収まっていく。浮かんでいた物たちが派手な音を立てながら床に落ちていった。

 一応、ベッドや机という重たい家具は誰の上にも落下しなかった。金貨入りの袋の一つはセァニウスの頭にぶつかって鈍い音を立てていたが、これは私が操作したわけではなく偶然なので許されたい。……でも、ちょっと溜飲が下がった気持ちになったのは私の性格が悪いからかもしれない。



(だってこの人はユーリさんを傷つけようとするから……ああ、そっか。私、ユーリさんが傷つけられるのがどうしても許せないんだ)



 程度は違うけれど、私を侮辱する言葉を使ったセルカにユーリが怒りを覚えた状況と似ている。私にとってユーリは大事な人だ。彼を傷つける存在を前にして感情と超能力の制御を失うくらいには、大事な。



(あー……そっか。そういうことかぁ……)



 超能力者は感情の起伏が少ない。感情が乱れれば超能力の制御も乱れるから、生まれつきあまり心が動かないのだと思っていた。でも、決して感情がない訳ではない。コントロールが得意なだけで私にもいろんな感情があって、人を好きになれるし、嫌いにもなれる。この世界に来て、それを知った。

 ユーリと一緒にいると、私は楽しいことが多い。けれど彼が悲しむと同じように悲しくなって、彼に笑ってほしいと願う。彼が傷つくのは見たくないし、彼を傷つけようとする者がいればどうしようもなく腹が立つ。彼と過ごすと楽にもなるし、苦しくもなる。他の誰と共に過ごしていてもこんなに自分が揺れることはなかった。私の心を揺らすのはいつも、ユーリだ。



(この感情は、ユーリさんだけに向いてる。なんで気づかなかったんだろう)



 その人のことを想えば自分の感情もままならない。自分で抑えられない。たった一人のために自分を失うこの強い感情は、この世界に来て初めて抱いたもの。名前も知らない感情ものだが、きっと、これに名があるとするならば――恋情だろう。少なくとも、私にとってはそうだ。

 私のこの感情はユーリのそれとはまったく違うものだから、気づかなかったけれど。セルカとユーリの恋心が違うように、私のそれも違うのだろう。



(私はユーリさんが好きなんだね。なんだか納得した気がする)



 道理で時々超能力の調整を間違える訳だ。すでに、私は心と能力のコントロールを失っていた。正体が分からないまま恋心に振り回されていたのだと理解して、己の鈍さに少し呆れる。本当に何故気づかなかったのだろう。恋なんてしたら超能力のコントロールがぶれそうだと常々思っていたのに、実際己が身に降りかかっていても気づけないとは。

 しかし、自覚してしまった以上私が選ぶ道は決まったようなものだ。……ずいぶん時間がかかってしまったけれど。



「くっ……何だったんだ、今のは……」



 さて、私の恋の自覚はともかくとして。問題はやらかしてしまったこの状況をどう片付けるかである。私の力は魔力ではなく、超能力。だから証拠はないにせよ、混乱しているセァニウスを納得させられるような話を作れるだろうか。



『うーんやっちゃいましたね。どうしましょうか。いっそこの人に天罰が下ったことにしません?』


『君、本当に兄上が嫌いなんだな。……しかし、それは使えるかもしれない』



 私のセァニウスに対する敵意が伝わっているらしい。まあ、彼を嫌いにならないはずがないのでこれは仕方がないとは思う。

 神の下す天罰とは少し違うけれどその時ユーリが考えた案に、私は同意の意思を送った。非現実的な気もするが、神が居て魔法のある世界なら通りそうな理由だったからだ。上手くいけばセァニウスが私のことをすっぱり諦めてくれるかもしれない。



「兄上、彼女には魔力がない。召喚の儀式をどこか誤ったのではないだろうか」


「……なんだと?」



 驚いたようにこちらに視線をむけるセァニウスに見えるよう、透明な石つきのブレスレットがついた腕を上げる。私に魔力がないのは事実だ。啞然とする彼にユーリが畳みかけるように言った。



「召喚された異世界人は神から魔力を与えられるんだろう? でも、彼女は……魔力ではなく、呪いを受けたようでな。時々、先程のようなことが起こる。私が保護してからも何度もありえない現象にあって、悩んでいるくらいだ」



 真っ赤な嘘であるはずなのに、「あり得ない現象に悩んでいる」という部分だけ心が籠っているのはどういうことだろうか。……心当たりが全くない訳ではないのだが。



「もう召喚の儀式はやめた方がいい。でないと、この国に何が起きるか……」



 ここで念動力を使ってもう一度家具を浮かべる。今度はしっかり私がコントロールできるので、セァニウスの顔の横ギリギリを通過するように椅子を投げた。勢いあまって壁にぶつかり、念動力で覆われた椅子は無事だったのだが壁の方がちょっと割れてしまい『やりすぎじゃないか?』という意思が飛んでくる。……セァニウスを脅かそうと思って勢いを良くしすぎたかもしれない。感情的になるのはよくないようだ。



「っ……ユリエス、君が王族としてその娘の面倒を見ろ! 私は忙しいので失礼する!」



 走るような速足で出て行った彼の意志から怯えて逃げているのは明らかだったけれど、顔だけは引き締めて威厳のある国王のような様子であったのが逆に滑稽だった。見栄を張らなければならない上の立場の人間というのも大変そうではある。しかし同情は全くできない。どちらかといえばちょっとスッキリした。

 浮かべていた家具をとりあえず、元々の位置に戻していく。椅子の脚やらベッドの柱やらが壊れているので全く元通りにはできなかったけれど。……ちょっと反省した。



『とりあえずこれで一件落着ですね。宿に帰りましょうか』


「……君、せっかく写した手記のことを忘れていないか? 写した紙はどこにやったんだ?」


『あ。……えーと、鞄に入れた気がします』



 呆れたように言われて思い出した。もう覚悟も決めてしまったし色々あって写した手記のことが頭から抜けていたのだ。

 そういえばこの部屋で確認すると言っていたのにぼんやりしていて鞄にしまったような気がする。おかげで部屋中に紙が散れることも破けることもなかったので結果的によかったとは思うが。

 鞄から念写した紙の束を取り出して、改めてそれを読む。ひとまず私が読んでからユーリに伝えるつもりだ。


 そこに書かれていたのはこの世界に呼び出された女性の人生の記録。しかし手紙ともいえる内容だった。手記自体は随分古めかしかったので結構昔の事なのだろう。それでも、彼女の身に起きたことは自分と重なる部分が多かった。

 異世界の違う文化に、価値観に戸惑ったこと。異国でも色に対する意識は似たようなものだったらしく、色が薄いと虐げられる人と親しくなったこと。……そしてその人と結婚して子供が生まれ、この地で最後まで生きていくと決めたことが書かれていた。



[これは私と同じように、この世界に召喚された後の世の誰かに宛てたものです。私は元の世界に戻る方法が分からず、この世界で生きることになりました。こちらは元の世界と違うことも多く、戸惑うことも多いけれど幸せに暮らしています。これを読んでいるあなたがこの世界を不安に思っているなら、少しでもその心の支えになれればと――]



 この書き手はどうやらこの世界で幸せになれたようだ。だからこの世界に来て不安になっているとしたら、心配しなくても大丈夫だと優しく語り掛ける文章だった。色んな事件に巻き込まれたりして結構波乱万丈な人生だったようだが、老年となってこれを書いた時には少なくとも幸せな人生だったと思えている。……念写ではなく、手記の実物に触れてサイコメトリーをしてみたかった。

 物体に宿った思念を読み取るその能力なら、この人がどんな様子なのか目に浮かんだだろう。温かい文だったから、きっと本当に幸せだったのだろうけど。



(元の世界に戻る方法は分からずじまいだけど、読めてよかった。……うん、私も自分の選択が間違いじゃないって思えてきた)



 この手記の内容は異国に召喚された同国の人間の人生録であり、元の世界に戻る手がかりはなかったことをユーリに伝えた。

 それを聞いた彼は――ほっと、安心したような感情を発して。その後酷く自分を責め始めた。



『ユーリさん? どうしたんですか?』


「……すまない。こんなつもりは……」



 片手で顔を覆った彼は、唇を噛んでいる。手記を読む間は文字に集中したかったので精神感応は切っていて、その間ユーリが何を考えていたかは知らない。ただ、この手記に私が元の世界へ帰る手がかりがあるか否か、固唾を飲んで見守っている様子ではあった。

 結果、この手記に世界の渡り方は書かれていない。元の世界に戻る手がかりはなかった。それを聞いた途端、ユーリの緊張は解けた。……安心してしまったのだ。私がまだ、帰ることはないと――手がかりが見つからなくてほっとしてしまった、そんな自分を『最低だ』と責めている。

 そこで私は、自分の意思をまだ伝えていなかったことに気づいた。



『ユーリさん、私、帰らないことに決めました』


「…………何?」


『ユーリさんがたくさん我慢して、頑張って協力してくれたのにごめんなさい。でも、帰らないと決めました』




 元の世界へ戻るのが、正しいのは分かっている。けれどもう、私の心がそれを明確に拒絶した。きっと、彼と離れて元の世界に戻ったら、私の力はまた暴走してしまう。

 私はユーリの傍に居たい。彼がそれを望んでくれるから、それに応えたいというだけではなくて。私も彼と過ごす心地よい時間の中で生きていきたい。



(ユーリさんのいない世界では、私は多分もう……まともでいられない)



 私はもう、私の感情を自分で抑えられない。暴走したら自分を止めることのできない爆弾のような存在だ。この世界にとって完全な異物だが、元の世界に帰っても危険な存在になってしまった。

 この世界に、好きな人が出来てしまったから。私の心を乱す彼が二つの世界を合わせても唯一、私を止められる人なのだ。

 ユーリは驚いた顔で私を見つめている。私の感情は、精神感応でちゃんと伝わっているはずだけれど。……でも、言葉でも伝えるべきだろう。



「ユーリアス……ん? ちょっと違うかな……ゆぅりあす……」


「……ユゥリアス」


「ユゥリアス。あ、分かった……よし」



 この世界の発音には慣れないし、最後に聞いたのが二か月も前だったから上手く呼べない私を見かねてお手本のようにユーリが自分の名を口にする。私が何をしようとしているのかは分かっていないが、混乱しながらもどこかで期待するような、それでいて不安でいるような、そんな気持ちで、心臓の鼓動も早くなっているようだ。

 夕日色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、想いを声にする。



「ユゥリアス、好きエシディ



 この世界の誰も、家族ですら呼ばない彼の本当の名前を呼びたかった。その名を呼んで、こちらの世界の言葉で気持ちを伝えたかった。きっとこの名を呼べるのは私だけだから。私だけに許された告白だと思うから。

 ユーリは私の人生で初めてできた友人。けれどこの感情は友情だけではすまないものだ。だから「友愛アシディ」ではなく「恋愛エシディ」の意味で好意を口にした。セルカに間違って使った言葉とは違う。これは本物の好意だと確信している。



「…………ハルカ、それは友人に向ける言葉ではない。……間違って、いないのか?」


『間違ってません。私のこれは、ユーリさんとはだいぶ違いますけど……でも、恋愛感情だと思います。伝わってま、すか……』



 夕日色の瞳にどんどん涙がたまっていくことに驚いた。彼が発する感情に悲しみなどないのに、何故泣かせてしまったのか分からずに固まっていると、ユーリは今まで見た中で一番柔らかく、ふわりと笑って見せた。



「君の好意は、くすぐったいな」



 人は、嬉しすぎても泣くらしい。笑いながら涙をこぼすその姿は、幸福に満ちていて。私もつられて笑った。




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