第13話 言葉を学び、学ばれ
歓迎会兼昼食のあと、私がこのホームでやるべきことを話し合った。といっても、魔力がないことになっている私ができることは限られている。
割り当てられた私の仕事は基本的に肉体労働だ。薪割りや水汲みなど、生活の基盤に必要かつ人力可能な仕事である。大体念動力とアポートの活用で簡単にできそうだが、人目がないことをしっかり確認せねばならない。……誰かの視界に入っている時はちゃんと体を動かさねば怪しまれる。まあ、それでも念動力は使うだろうけれど。
妖精の瞳という魔石の存在についても三人に伝えたが、これは私の財産なので他のメンバーはこの石を頼らないし、私が貸そうと言い出さない限り彼らは使う機会もないとのこと。……セルカが好奇心満々に観察させて欲しいと言ったのでその時は貸して見せたが。
(今日はあんまり仕事なかったね。朝からダリアードさんが大体やってたみたいだし)
ここでは皆がそれぞれ役割分担をして働いている。いままではダリアードが料理と畑の世話と力仕事をしていて、イリヤとセルカは掃除や洗濯、森で何かを採集するのは時間がある時に皆でやる。あとは魔道具を動かす際の魔力の提供や外への買い出しはユーリがやっていた、という感じだ。
人が増えればそれだけ一人一人の負担が減る。私が力仕事をすることになったのでダリアードは喜んでいた。自分の時間が増えれば畑を広げられる、と。
(ダリアードさんは食べ物に対して研究熱心なんだよね。応援しよう)
彼が美味しいごはんを作ってくれるなら私は喜んで様々な仕事を引き受けたい。食事が楽しめるのは大事なのだ。
今日は軽く薪割りの仕事をこなしただけで仕事がなくなったのでそのあとはゆっくり休憩して、日が暮れたら美味しい夕食を摂って、イリヤに「また入るの? 綺麗好きなのね」と言われながら本日二度目の風呂に入った。
そして、夜の自由時間。セルカに勉強へと誘われたので今度こそ頷いた。もうお風呂も済んだし、私も言葉は学びたいのだ。
勉強会に使うのはいわゆるリビングルームで、ローテーブルを囲むようにコの字型でソファが三つ置かれている場所と、六人掛けはあるダイニングテーブルのような広い机が用意されている場所がある。用途に合わせて使い分けるのだろう。
(明かりは電気の魔法かな? 仕組みはよく分からないけど)
この世界の夜は元の世界に比べると随分明るい。カーテンを閉めずに窓の傍に居れば本を読めるくらいには、星々の明かりが強いのだ。しかしこの大きな施設ではさすがに中心部まで光が届かないので、ユーリが魔力を使って明かりになる魔道具を始動させた。おかげでこのリビングはとても明るい。
私とセルカは現在、広いテーブルに向い合せで座って言葉の勉強中だ。ソファの方ではユーリがくつろいでいるように見せかけつつ、こちらの様子を見守っている。……私が何かやらかさないかと心配らしい。さすがに勉強中にやらかすようなことはないと思うので安心してもらいたい。
「朝の挨拶はね“
「うぃーうぃる……」
「そうそう。明日の朝はそうやって挨拶してみてよ」
日本語の発音は世界的に見てもゆっくりとしたものであるという。それに比べるとこちらの発音はかなり早く、イントネーションも変わっていて発音が難しい。私の言葉はかなりカタコトで聞こえることだろう。
それでもセルカは私が真似ると嬉しそうにして、基本的な挨拶をいくつも教えてくれた。勉強用にと渡された紙の束に「おはよう=ウィーウィル」「こんにちは=ウィーニス」「こんばんは=ウィーダィン」というように日本語で教わった言葉の意味と発音を書き込んでいく。まずはこうして単語帳を作って、それらを覚えてから文法や文字を学ぼうと思っている。……言語をマスターする日はまだまだ遠そうだ。
「不思議な文字だね、見たことない。ハルカの国の文字?」
こくりと頷いた。私は遠い異国の出身ということになっているので、異世界の文字を書いていても問題ないはずだ。……ここにいる彼らは、外の世界に出ることはないだろうから。事実を知ることはきっと、ない。
「ハルカ、頷く時は“
「……リー」
「うん。そんな感じ!」
精神感応があると語学の理解もスムーズでいい。本来、知らない言葉を学ぶのはもっと難しいはずである。意味と音を同時に“聞ける”テレパシストだからこそ、異世界の言語の中でも私は困らなくてすむのだ。
(……でもこれ、ユーリさんが本来使っている言葉と微妙に違うんだよね。敬語とため口みたいな差を感じる)
似た音ではあるが、同じ音ではない。ユーリが肯定する時は「リー」ではなく「リア」と発音していたし、否定する時は「ヤン」ではなく「ヤナ」という音だったと記憶している。おそらく「うん」「ううん」と幼い子供が使う言葉と「はい」「いいえ」と大人が使う言葉くらいの違いはあるだろう。
「簡単な返事くらいは直ぐにできるようになりそうだね。ハルカはすごいや」
『はやくハルカとお喋りできるようになりたいなぁ……ハルカの話が聞きたい』
セルカはとても私に興味があり、私の国の話や私自身のことを話してほしいようだった。そのためにも言葉を教えなきゃ、と熱心に指導してくれているらしい。……話せるようになったところで本当の身の上は語れないのだが、懸命に教えてくれるのはありがたい。
自分が一番の年少で世話を焼かれる立場だったのもあって、人に教えることができるのが嬉しいというのもあるのだろう。ずっと楽しそうで明るい感情を発している。
「よう、ガキ共。勉強頑張ってるか? 差し入れだぞ」
気の利くダリアードが夜食を持ってきてくれた。ハンバーガーのようにパンの間に具材が挟まれた軽食と、桃色のジュースだ。昼食で気づいたのだが、この世界は赤系統のものに甘みが強いことが多い。だからきっとこのジュースも甘いに違いない。期待してしまう。
「ありがと! あ、ハルカ。お礼は言う時は“
(……それは猫の鳴き声か何かですか?)
ユーリは猫の鳴き真似など一度もしなかったので、崩れた言葉なのだろう。この世界には猫がいないのか、違う鳴き方をするのか分からないが私には早口の猫にしか聞こえない。……それを口にすることに、若干の抵抗感を覚える。
だって、猫である。猫が鳴く姿は可愛いが、猫だから可愛いのである。無表情な人間が鳴いている姿を想像してみればいい。……自分で想像してげんなりした。それを今からやらなければならない訳だが。
「に……にゃんに……」
「あ、発音難しい? これは練習が要りそうだね」
「ハハ。頑張れよ、ハルカ。ほらこれでも食って元気出せ」
発音というか、口にするのが精神的に厳しい。羞恥心が刺激されてしまうだけであって練習は必要ない。ユーリからも『どうかしたのか』と不思議そうな意思が飛んできたが、ただ単に少し恥ずかしいのである。
……まあ、美味しいダリアードの軽食を口にすればどうでもよくなるレベルの羞恥ではあったが。
『猫っていう可愛い動物の鳴き真似をさせられているような気分なんですよ』
『…………ああ。君の世界の猫はそうやって鳴くのか』
こちらの世界の猫は「にゃあ」とは鳴かず「ヌオン」と鳴くらしい。全く可愛くなくて驚いた。ユーリも『礼を言う度に動物の鳴き真似をさせられるのは少し嫌だろうな』と同意してくれる。分かってもらえたようで何よりだ。
『あとで丁寧な礼の言葉を教えようか?』
『それは是非お願いします』
にゃんにゃんと鳴かずに済むなら是非そうしたい。精神感応のやり取りでは“音”までは分からないので、後ほどユーリに直接発音を教わることになった。教えてくれるセルカには悪いのだが「
ひとまず挨拶、返事、相槌などに使う単語で意思の疎通ができる言葉を一通り教えてもらったところで今日の勉強を終えることになった。明日からは身の回りにあるものをはじめ、いろんな単語を教わっていく予定である。
「じゃあ今日はここまでね。ハルカ、おつかれ!」
ニコニコと笑うセルカから、伝わってくる意思。きっと私が覚えたての言葉を使って、お礼を言ってくれると思っている。……二度と使わないと、思ったのに。これは、避けられないのか。
「…………
「うん! また明日、教えるからね!」
――そんな苦行を終えて、与えられた自室に戻る。勉強に使った紙の束を机に置いたらさっそくユーリへと
『ユーリさん、お礼の言い方を教えてください。あと、今日の魔石除去もやりましょう』
『……ああ、分かった。皆に見られる訳にはいかないから、そうだな……どうするか』
『見られなければいいんでしょう? そっちに飛びますね』
『少し待っ……たないな、君は……』
静止されるより先にユーリの目の前に移動してしまい、ベッドに腰かけていた彼は目元を抑えてため息を堪えながら俯いた。待て、と聞く前に瞬間移動を使ってしまったのだから仕方ない。
「夜に男の部屋を訪ねるのはあまり良いことではない」
『ああ……見つかったら外聞が悪いですよね。瞬間移動だからバレないとは思いますが』
「……そういうことじゃない」
ユーリは自分が男だと思われていないのではないか、というようなことを薄っすらと考えているがそんなことはない。今は解かれている長い髪が夜明かりに照らされて銀色に輝いて見えるし、整った顔立ちと相まってとても神秘的で綺麗だが女性的だと思ったことはないのである。
『ユーリさんは綺麗だと思いますけど、女性らしいと思ったことはないです』
「っだから突然そういうことを言うのもやめてくれないか……ッ」
『本気で嫌がられたら止めますけど……ユーリさんは恥ずかしいだけで嫌ではなさそうなので……』
「君は本当に
そうは言うがやはり褒め言葉にはどこかで喜んでいる様子だし、私もやめる気はない。慌てる彼の姿を見ているとなんというか、気分が高揚して“楽しい”と感じてしまうのだ。友人とじゃれ合うというのはこういうことだろうと一人で納得している。
『まあ、それはさておき。お礼の言い方を教えてほしいです』
「………………分かった。“
ニィアンナの発音が崩れて平民の間ではニャンニャと発音するのが主流に変わっているのだろう。何度か繰り返して発音の練習をしてみる。猫の鳴き真似のようだ、と思うよりは口にしやすい。
「にぃあんな……ニィアンナ……
「ああ、少し舌足らずに感じるがちゃんと聞き取れるな。単語だけならすぐに話せそうだ」
そう言って優しく笑うユーリはとても嬉しそうだ。言語の違う友人が、自分と同じ言葉を使うと嬉しくなるのだろうか。
「そうだ、君の世界の言葉も教えてほしい。礼の言葉はどう発音するんだ?」
「……“ありがとう”ですね」
「“エリガトゥ”……?」
「ありがとう、です。ありがとう」
私は殆ど精神感応で喋っているから、ユーリは日本語の発音をほとんど知らない。音として聞きなれていないだろう。ゆっくりとした発音にも慣れていないからか違う発音に聞こえる。何度か「ありがとう」の音を二人で交互に繰り返し練習した。
「“アリガトウ”……これで合っているか?」
「
イントネーションが違っていてカタコトに聞こえるけれど、日本語の「ありがとう」に違いない。これはたしかに、教えるのも相手が同じ言葉を使おうとしているのも、少し嬉しくなる気がする。セルカがずっと楽しそうに私に教えていた気持ちや、ユーリが嬉しそうだった訳が理解できそうだ。
「ああ、ありがとう。時々こうして何か教えてくれたら嬉しい」
『いいですよ、私も色々教えてもらいますしね。……次は魔石の除去をしますか?」
「……………………そうだな」
ユーリの気分が急転直下、楽しんでいた気持ちが一気に奈落の底に落ちたような憂鬱に染められたのが分かって、なんだか悪いことをした気がした。上り詰めた山で達成感を味わっていた人の背中を押して突き落としてしまったような、そんな気がする。……魔石を壊すのは本当に痛いらしい。
『……今日はやめておきますか?』
「いや、そんなことをしたら毎日延期してしまいそうだ。遠慮なくやってくれ」
『そうですか、それならやりましょう』
どうせ蹲ることになる、とユーリは床に座り込んだ。深呼吸を繰り返して落ち着こうとしている。私は昨日と同じ場所、左腕の付け根にある魔石の上に手を置いた。この一番小さな魔石なら十回も繰り返せば壊せそうである。
『じゃあ3、2、1でいきますからね。はい3、2』
「ァ゛っ!!??」
魔石を割った瞬間、やはりユーリは体を抱えるように蹲って暫く動けなかった。どれほど痛いのかは、精神感応で苦痛を感じ取らない限り彼にしか分からない。痛みさえなんとかしてあげられればと思うのだが、超能力はそこまで万能ではないのである。
「……君、最後まで数えなかった、だろう……」
『最後まで数えたら身構えちゃうかなと思って……』
「いきなり来る方が吃驚するからやめてくれ、頼む」
そうか、余計な気遣いだったらしい。ちょっと申し訳なくなって『ごめんなさい』と謝った。どこかで最後まで数えないでいきなりやってもらった方が怖くない、と言っている人間を見たことがあったのでそういうものだと思ったのだけど、人によるらしい。……超能力者である私は痛みやそれによる恐怖なんてあまり感じたことがないから、よく分からないのだ。
「いや、謝らなくていいんだが……君の善意なのは分かるしな」
『次はちゃんと数えますね。これ、今回の魔石です。今の場所はあと十回もあれば全部壊れそうですよ』
「……そうか。先は長いが、ひとまずそれを目標に耐えるとしよう」
ユーリに小さな魔石の欠片を渡す。強い痛みで冷や汗をかき、涙も滲んでいたが、それでも小さなその欠片を見つめる彼には期待の感情がある。これを繰り返せばいつか、彼は本来の魔力を取り戻すだろう。王族として認められるようになるかもしれない。……家族を取り戻せるかもしれない。色がないだけで存在を無視するような家族ではあるが。
(何が一番ユーリさんにとっていいかは分からないけど……いいようになってほしい)
私の初めての友人。この世界での恩人。より良き未来に進んでほしい、と思うのは当然だろう。私は彼の幸せを願っている。
「ハルカ」
『あ、はい。なんですか?』
「アリガトウ。……これからも頼む」
拙い日本語の“ありがとう”。柔らかな笑顔。それらに込められた好意と感謝。
……なんだろう。いま、胸が一瞬、妙に大きく鳴ったような。気のせいだろうか。でも、なんだか嬉しい気がする。
やっぱり同じ言葉を使おうとしてくれると嬉しいものなのだろう。私も自然と笑うことができた。
『任せてください。私はユーリさんの魔石が完全に取れるまでは帰らないつもりですし』
その時のユーリの感情は、複雑でよく分からなかった。嬉しいのか、悲しいのか、寂しいのか、喜んでいるのか。どうかしたのかと首を傾げると、彼はゆるく首を振る。これも時々感じる彼自身が理解できない感情だったようだ。
「……少し、疲れたな。汗をかいたから浴場に行ってくる」
『分かりました。じゃあ、おやすみなさい』
「ああ。また、明日な」
きっと魔石の除去が痛くて疲れたのだろう。部屋の主が居なくなるのに長居するのもおかしいので、直ぐに瞬間移動で部屋に戻った。
ベッドに潜り込んで目を閉じる。昨日の寝袋より広くて寝心地も悪くない、いい寝床だ。
(……この寂しそうな感じは……ユーリさんなのかな)
どこかからか流れて来る寂し気な感情を精神感応が拾う。ユーリはもしかすると、私に帰ってほしくないのかもしれない。……出会って二日しか経ってない、私に。私も別れを考えると寂しく思うから、きっとそれと同じなのだ。
なら、できるだけこの話題は避けるとしよう。帰る方法を探す時はどうしても避けられないが。
(あんまり悲しませたくないんだよね……)
そう。せっかく見るなら柔らかく笑う顔がいい。もしくは恥ずかしそうに慌てる顔がいい。ユーリが嬉しそうだったり、楽しそうだったりすると私も嬉しいし、楽しい。彼はすでに大事な友人なのだ。明日も私は、彼と楽しく過ごしたい。
そう思いながら眠りについた。
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