第180話 大谷吉継
遥か遠く、戦場に響く轟音を聞きながら、吉継の胸にはある記憶が去来していた。
あれは、木村吉清が南蛮貿易で得た珍品を自慢している時のことだった。
香辛料やオルゴールなど、見たこともない品々を前に、吉継は気になった物を手に取った。
「これは……?」
「おお、それは懐中時計じゃな」
吉清が懐中時計を手に取ると、ゼンマイを回した。
やがて、円盤の中心から伸びた針が規則正しく回りだす。
「この針が動くことで、時を知らせてくれるのじゃ。こうして南蛮人は一刻に満たぬ僅かな時を計り、いろいろなことに使っておるらしい。
船の速さを計り、馬が走る速さを計り、どれほど仕事をしたのか計るという」
まあ、儂は今の世の大雑把な時間の方が気に入っているが。と吉清が付け足す。
しかし、規則正しく時を刻むそれに、吉継はどうにも心が惹かれた。
「時計か……面白いな……」
そうして、吉継は木村吉清から懐中時計を貰い受けたのだった。
幾度となく鳴り響く轟音に、宗明は頭がおかしくなりそうだった。
あの大筒を放っておいては、いたずらに被害が大きくなるばかりである。
既に絶え間なく降り注ぐ砲撃により、どの戦場の兵たちも士気が地に落ちている。
そうした弱味につけこまれ、徳川方の攻撃は勢いを増すばかりであった。
(こちらの守りが崩されるのも時間の問題だ……)
反撃に出たいのは山々だが、無策で突撃したところで、返り討ちにあうのは目に見えている。
何か反撃の糸口はないものか、と。
「90秒じゃ」
ほとんど見えなくなった目で戦場を見渡し、大谷吉継がつぶやいた。
呆けた様子で家臣がつぶやく。
「は……? それは、どういう……」
「砲撃の間隔じゃ。懐中時計の秒針が、おおよそ90回刻まれたところで、砲撃が始まる。3度砲撃したのち、針が300回ほど刻まれたところで、再び砲撃が始まる。
奴らの大筒、連続して使えないとみた。準備に時間がかかっているのか、他に使えぬ理由があるらしい」
家臣が納得した様子で頷いた。
「なるほど……」
「至急、今の話をこの懐中時計と共に宗明殿の元へ持っていけ。これさえあれば、反撃の足がかりとなろう」
「はっ!」
大谷家臣が頷くと、急ぎ宗明の陣へ向かうのだった。
吉継の使者から説明を受けた宗明は、窮地に追い込まれてもなお光る吉継の慧眼に驚かされた。
宗明の顔にも希望がにじみだす。
「懐中時計なら私も持っている。これは大谷殿にお返ししてくれ」
吉継から送られた懐中時計を突き返すと、使者は困った顔を浮かべた。
「ですが、殿は時計の針を
「そういうことなら、石田殿に送ってやれ。あの方は左翼の要……必ずや役立ててくれるだろう」
「はっ、かしこまりましてございます」
使者が一礼すると、石田三成の陣へ向かうのだった。
吉継の献策により、最後の攻勢をかけるのは3度の砲撃が止んだのち。300秒の猶予期間。
それが明けて、最初の砲撃が始まる前にかけるとのことだった。
『これほど強力な火器ともなれば、一つ間違えば同士討ちになりねん。……それゆえ、乱戦に持ち込めば大筒は使えぬとみた』
とのことだった。
懐中時計を片手に、砲撃の時間を数えながら、宗明は兵の立て直しを行なっていた。
度重なる砲撃により、兵たちの士気は大いに落ちている。
まずはこれを立て直さねば、反撃に出ることもままならない。
兵たちを見回し、宗明が声を張り上げた。
「我らは間もなく徳川軍へ攻め込む! その時までの辛抱だ! 乱戦となれば、いくらでも勝機があるぞ!」
そうして3度の砲撃が止むと、木村軍、石田軍、大谷軍ほか、大坂方の全軍が徳川方に攻勢を仕掛けた。
宗明軍に相対するのは、池田輝政率いる池田軍だった。
陣を構えていた山を降り、一斉に雪崩込む。
木村軍2万対、池田軍4500。
数の上で圧倒的有利な木村軍だったが、筒井軍、田中軍が池田軍の援軍にやってくると、次第に劣勢となっていった。
乱戦に持ち込めば同士討ちを避けるべく大筒は使えないはずだが、それは乱戦に勝てる前提の話である。
度重なる砲撃により士気が落ちた木村軍に対し、体力を温存していた池田軍は堅実に木村兵を倒していく。
少しでも兵の士気を維持するべく、宗明も先頭に立って声を張り上げた。
「怯むな! ここを越えれば、徳川本陣はすぐそこぞ!」
宗明の騎乗する馬にも矢傷が増えていく。
そんな中、木村軍を率いる将の一人である真田信尹が宗明の前に現れた。
「若……この戦、我らの負けかと」
「なにを……」
「ご覧ください」
真田信尹が兵士たちの頭の上を指差した。
見れば、開戦当初は見渡す限り立てられていた木村軍の旗も、今では数えるほどしか見当たらない。
「しかし……」
迷いを見せる宗明の元に、浅野長政から使者がやってきた。
「我らが殿より、軍を維持できなくなったゆえ兵を引く、とのことにございます」
「なんだと……」
同様の報告が、増田長盛、前田玄以の軍からも伝えられる。
真田信尹が再び頭を下げた。
「この戦、ここが引き時かと……」
「……………………」
木村軍の他に、小西軍、長束軍など、多くの大名が次々と撤退を始めていく中、死兵となってさらに奥へ突き進む軍が見えた。
「あれは……」
遠目からだが、間違いない。大谷吉継の軍だ。
これまで長束軍や浅野軍を盾に進軍した大谷軍には、まだ徳川軍に食い込めるだけの余力があったのだ。
宗明は全軍に撤退するよう伝えたはずだが、大谷軍は退却の素振りを見せずにいた。
「まさか……」
大筒を封じるべく乱戦に持ち込むことを提案したのは、大谷吉継であった。
吉継は、その責任をとって
本来敗戦の責任を負うべき立場にあるのは、総大将である宗明なのだ。
吉継はあくまで献策しただけにすぎず、あくまで決定を下したのは宗明だ。
それなのに、その責任を吉継が命を賭して取ろうとしている。
「大谷殿……すまぬ……すまぬ……」
宗明は後味の悪いものを感じながら兵を引かせた。
自分が大将を務めた敗戦からの撤退。疲労以上に重くなった足を引きずり、宗明は戦場をあとにするのだった。
周囲から味方の旗が消えていく中、吉継の目には勝利の未来が見えていた。
(ここで徳川軍に打撃を与えれば、行軍は遅くなる……。時間さえ稼げれば、高山国からの木村軍が間に合うはずじゃ……)
木村吉清が大坂を発って、もう二月は過ぎている。どんなに時間がかかったとしても、もう到着していてもおかしくないはずだ。
であれば、今の自分にできることは、できる限り徳川軍に傷を負わせ、行軍を遅らせること。
それが、この戦いを敗戦に導いてしまった自分がとるべき責任であり、豊臣政権を二分する戦いで勝利を収める唯一の方法なのだ。
「殿!」
吉継の跨る馬に体当たりするように、大谷家臣の湯浅五助が吉継の前に躍り出た。
次の瞬間、どこからか響く鉄砲の音ともに、五助の身体が地に落ちる。
「五助……」
心の中で黙祷を捧げ、吉継は馬を急がせた。
吉継の盾となるべく、次々と大谷家臣が前に出た。
その時、吉継の目の前に、丸に十字の描かれた旗を掲げた軍が立ち塞がった。
「あれは……」
馬に跨った壮年の武将が、ちらりと吉継を一瞥する。
「こげん好き放題やられたままじゃ、島津ん名が廃る。……あん大筒でも道連れにせんと、俺(おい)の気が収まらん!」
「島津殿……」
徳川方をかきわけ、島津義弘率いる島津軍が道なき道を切り拓く。
「……そうだな。あの大筒には、散々いいようにやられてきた……。
冥土の土産に貰ったとて、文句は言われまい!」
島津軍に呼応し大谷軍も進撃を続けるのだった。
吉継より託された懐中時計を胸に、三成は撤退を開始した。
既に石田軍は総崩れとなっている。
軍としての体裁は保てておらず、兵たちは我先にと逃げ出していた。
三成もそれに紛れて戦場から離れていく。
山中に潜り、ある程度戦場の喧騒から離れたところで、ようやく気持ちに余裕が生まれた。
他の者たちは、大谷吉継は、無事に逃げおおせただろうか。
ふと、吉継の物であった懐中時計を手にとる。
戦の最中に矢を受けたのか、
あれだけ規則正しく聞こえていた音も止まり、今はただ、無骨な金属の塊として三成の手にずしりとのしかかる。
その瞬間、三成はすべてを悟った。
自分の親友は、もうこの世にはいないのだと。
吉継から託された懐中時計が、吉継の命脈が尽きたことを知らせているのだと。
理解した途端、三成の目から涙が溢れだした。
「刑部っ……!」
懐中時計を握り締め、三成はひと目もはばからず涙を流した。
付き従っていた家臣たちも三成にかける言葉が見つからず、黙々と自らの主の跨る馬を急がせた。
三成が吉継の最期を聞かされたのは、すべての決着がついた後のことだった。
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